第40話 ノイヤールの緑石
「そろそろ戻りましょうか」とコノンさんが言った。
トラピさんも、ナミナさんも出島を離れるのが名残惜しそうだった。ジノ婆さんにもっと話を聞きたいという思いと、何を聞けばいいのかわからないという気持ちが入り混じって言葉にならないようだった。せっかく会えたのにすっきりした答えも得られず消化不良になってしまったかもしれない。
ジノ婆さんの方は、とくに引き止めるわけでもなく、別れを惜しむわけでもない。ここに何百年も暮らしているというのが事実なら、今日の訪問者など取るに足らない、通りすがりの旅人にもならないだろう。
最後にと言ってトラピさんが「六角柱は勝手につくって置いてもいいんですか?」と聞いた。
「それはあんたの自由じゃな。ここに戻る気ならつくればいい」
「ここに戻れる人は、もう六角柱があるということですか?」と尋ねると、「あるから戻れるとは限らないけれどもな」という答えが返ってきた。この答えをどう捉えればいいのだろう。それは、戻れたからといって必ずあるとは限らないと言っているようにも聞こえた。
「じゃあ、ジノ婆、また来るね」とコノンさんが言ったのにあわせて、それぞれお礼の挨拶をして出島を後にした。
自分はどこかから戻って来たということだろうか。あれば戻れるということは、すでにあるということなのだろうか。それともどこにも行ってなかったというほうが正しいのか。何が答えなのかわからない。
トラピさんが六角柱を少し見て行きたいというので、比較的たくさんあるところをコノンさんに教えてもらって立ち寄った。大きな木の下にあって、木が傘になって守っているように見えた。
「面に刻まれている6種類の文字はみんな同じだ……」と言いながら、トラピさんがメモを取り始めた。本気でつくることを考えているようだ。こちらはここに作らなければいけない理由もないので、誰か知った人の名前はないか探してみることにした。コノンさんがナーシュさんの六角柱を教えてくれた。他のものと違って薄緑色の石でつくられていた。一見、苔がむしたように見える石だった。
「これはいい石なんですよ。ノイヤールの湖底でしか取れないものなので、なかなか目がにする機会がないです」
コノンさんがそう言うのを聞いて、ミドリ鮫の群れが湖の底に息を殺して潜んでいる様子が頭に浮かんだ。もちろんそんなことはないのはわかっているのだけれど。
「オルターさん、これは話をされていたハロウさんという人のものかなあ?」とナミナさんが聞いて来た。見ると確かにハロウと掘ってある。ナーシュさんのすぐ近くだ。それも同じような緑の石だった。
「この石のほうがご利益がたくさんあるのかな」とトラピさんが言うと、コノンさんが「それは聞いたことないですけど」と言いながら笑った。
緑の石は村に功績のあった人の印なのかもしれないと勝手に想像してみた。
「トラピ、ほんとうにつくるつもりなの?」とナミナさんが聞いた。
「なんていうか、手品みたいじゃない。人が消えたりあらわれたりなんて……」と言いながらメモを取り続けている。トラピさんの場合は土地への執着というわけではないようだ。不思議な現象に手品師としての血が騒ぐのだろう。
突然、ウォーターランドで消えたないないさんのことがふと頭をよぎった。ロスファさんというのが正しい名前だったと思い、あたりを探して見たがやはりみつからない。ロスファさんの出身はここだったという話は聞いてないからなくても不思議ではない。彼もどこかに六角柱をもっていればいいのだけれど。
ここにナーシュさんの六角柱があるということは、いつか戻ってくることがあると考えてもいいということだろう。もしかしてと思って自分の名前を探して見たけれど、さすがに見つからなかった。
「あれ、オルターさん、石……」胸元で光っている石にナミナさんが気づいた。
「あ……」と言葉に詰まって「えっと、さっき出島でみつけました」とその場を取り繕った。みつけたのではなく、意識が戻ったら手に持っていたのだけど、そんな話を誰が信じるだろう。だいたい意識がここになかったことすら知らないし、自分さえも起こったことを信じられないでいるのにとても人に説明する気にはなれない。それこそ気は確かか疑われるだけだろう。
「オルターさん、運がいいですね」 と言われて、運って何だろうと思った。
帰り道にコノンさんが野生のウサギのいるところを教えてくれた。昔はたくさんいたけれど、ノイヤール湖の水位がときどき下がるようになってからはめっきり数が減ったのだという。
「雨が少なくなったということ?」
「ドームができたころからなので、何か関係あるんでしょうか」と逆に聞かれた。
「自然は敏感ですからね。それにドームのエネルギーは水の力を使っているというから当然なにか関係しているでしょうね」とトラピさんが言った。
ウサギの姿は見ることができなかったけれど、ウォーターランドにも同じような草原があると思った。あそこなら彼らも水の心配をしないで安心して暮らせるだろう。
「オルターさん、ジノ婆さんの話はわかりました?」とコノンさんが聞いてきた。
「そうだねえ、もともと答えなんかないような気もするし……ただね、なんていうか、あの場所はどこかに繋がってるように思えてね」心の中ではそうに違いないと思っているのだけど、みんなの意見も聞きたかったので控えめに言って見た。
「どこかというと?」とトラピさんがすぐに反応した。
「だれも知らないところにね」
「だれも知らないところへの入口ですね」とコノンさんがこちらを見て微笑んだ。
「そう。それはジノ婆さん自身もほんとうにわからないんじゃないかな」
「あの森には聖霊がいてねというような話に近い感じですかね」トラピさんが自分なりに解釈して言った。
そうかもしれない。だれも知らないけれどみんなが知っている。あの湖にはミドリのサメがいてね……心の中でつぶやいた。




