第2章 第41話 ロマン
「お祖母さん戻ったよ」
「おかえりコノ。ジノ婆はなんだって?」
「いつもの感じかな」
「ジノ婆だって神様じゃないからね」
そうなのだ。長生きしたからといって神様になるわけではない。他の人よりはこの土地のことを知っているというだけだ。
「出島のあたりが神秘的な何かの力でどこかとつながっていることはわかりましたよね。六角柱のことも教えてもらったし、問題はどういうタイミングでどこに行って、戻ってるのかはっきりしないことかな」とトラピさんが言った。
「でも、それって一番肝心なところじゃない?」とナミナさんがすかさず突っ込んだ。
「夢がないことを言うなあ。そこが創造力の問題なんだよね。その想像力を逆手に取るのが手品師なんだけど」とトラピさんも思うところがあるようだ。
「それにしては現実主義者みたいに自分用の六角柱を置こうとしてない?」
「あれも、ジノ婆さんの話にロマンを感じたから作ろうと思っただけ」
「また、男のロマンだ。そして男はみんな行方をくらますと……」ナミナさんは、まるで男はみんな身勝手だとでも言いたいような口ぶりだ。
「オルターさん、ロマンって大切ですよね」とトラピさんに話を振られた。
「あ……そうだねえ……ないよりはあったほうが……」なんとも歯切れの悪い答えになってしまった。
「あはは、ロマンのお陰でいつも女は振り回されて大変だねえ」お祖母さんが笑っている。
「そうだ、お祖母さん。鮫の話は聞いたことがありますか」トラピさんが思い出したように聞いた。
「鮫も男のロマンなのかい? この土地では昔から海もないのに鮫の話はよく聞くよ。あれも神話みたいなものかね」
そのとき、腰まである長靴を履いて、肩から投網を下げたお爺さんが入ってきた。
「お祖父ちゃん、おかえり。今日はたくさん獲れた?」とコノンさんが聞いた。みんなは以前にも会ったらしく、驚く様子もなく話を続けた。自分だけが何日もこの家にお世話になったのに会うのははじめてのようだった。
その真っ黒に日焼けした顔からすると、屋外にいることが多いのだろう。投網漁で生活の糧を得ているのかもしれない。このお祖父さんも200歳近いのだろうけど背中も曲がってないし、気骨のありそうな顔つきが職人を感じさせる。オールドリアヌの人は歳をとってもそれぞれの力で自然とともに生きている強さを感じさせる。
「あんた、昔はよく鮫を捕まえたって、いつも言ってるわよね」お祖母さんが話の続きを始めた。
「鮫がどうしたって?」事情のわからないお祖父さんは片脚立ちになって長靴を脱ぐのに気を取られている。
「コノンのお友達が鮫はいるかって聞いてるのさ」
「この村に鮫も見ないで大人になった男なんかいないだろうよ。鮫漁に行くのは成人の儀式みたいなもんだったからな」
「それであんたも鮫を仕留めたって言ってたね」
「あの日のことを忘れられるわけがないだろ。とにかく島ほどあるでかいやつだったからな。あれは鯨を丸呑みにしていたやつにちがいない。鮫漁は成人の儀式として一人で海に行くものと決まっていたから、あいつがわしの目の前に現れた時には村一番の英雄になれると思ったもんだ」
「鮫がいたんですか?」
「そうともさ。3日間お互いに睨み合ってな。夜明けの薄暗い時間に相手が目を閉じた一瞬を見て、特大の槍でひと突きだ。あの頃はわしの腕にかなうやつはいなかった。あの鮫もたいしたやつで、命乞いもしないで静かに海に命をささげたよ」
「それで手ぶらでご帰還かい?」
「ばかなことを言っちゃいけない。生まれた海に戻してやるのが鮫に対する仁義だからな。それが海の勇者に対する情けというもんだろ」
「そういうことらしいよ」と言うと、お婆さんは飽きれたような顔をして台所に入った。
ノートの主が書いていたジギ婆さんの旦那さんもそうやって海に出て時間がゆるりと動くのを見たに違いない。そこがすべての謎のはじまりのような気がしてならない。
お祖父さんの話は、鮫の話から若い頃の思い出、自慢話とどんどん広がって行った。しばらく聞いていたネモネさんも水の瓶詰めをしに行ってしまった。
「わたしゃ生まれてこのかた鮫とやらにお目にかかったこともないから、どこまでがほんとの話やら……」というお祖母さんの声が台所から聞こえてきた。
お祖父さんは「まあ、鮫も見たことのない女にはわかれっていうほうが無理だわな」と気にすることもなく、また巨大な鮫と睨み合ったときの話を続けた。
「鮫を生け捕りにしてきたという話はないですか?」とトラピさんが念を押すように聞いた。ノイヤール湖のどこかにいるのかどうかを知りたかったのだろう。
「トラピさんとやら、そんなことじゃなくてな。この村は鮫に守られてるわけだ」お祖父さんはまるで秘密を明かすかのように顔を寄せて言った。もちろんお祖母さんには聞こえない。
話を聞いているうちに、自分が見たあの大きな鮫はコノンさんの祖父さんが言っている鮫と同じかもしれないと思い始めた。
「鮫がどこにいるかって? あんたにも鮫がいるんじゃなのかい?」お祖父さんはにやりとしてトラピさん胸のあたりを指差した。
「生け捕りにしたとかしないとかじゃなくてな。わかるだろ?」というとお祖父さんはグラスを手に取りゆっくりと口に運んだ。
「網のあとのこの一杯がたまらんでな」と言って満足そうに笑った。
自分の鮫がいる? お祖父さんが話しているのは自分にしか見えない鮫なのだろうか。
「あんたの命が助かったのも鮫のお陰じゃないのかい?」お祖父さんがこちらを見て言った。
だまって鮫の話を聞いていたナミナさんが「結局、男はみんな鮫探しなのね」とあきらめたように言った。
「そんなに鮫のことを知りたけりゃ、ジノ婆に聞いてみな」とお祖父さんは投網を干すための支度をしながら言った。
結局またジノ婆さんに話が戻ってしまった。ジノ婆に何を聞けばいいというのだろうか。




