第39話 離脱
抵抗しても無駄だと思って暗闇の意思に身を委ねていると、 先のほうに見えた緑の点に徐々に引き寄せられていった。それは予感していたとおりミドリ鮫の群れだった。この前のような巨大な鮫ではなく、人間の倍ほどの大きさの鮫が100匹近くも泳いでいる。
何か獲物を真ん中にして、お互いに牽制しながら襲いかかるタイミングを伺っているようにも見える。恐ろしい気持ちとは裏腹にその距離は徐々に短くなっていって、最後は吸い込まれるように大きな鮫の球の中に取り込まれてしまった。
襲われると思って咄嗟に目を閉じ、口を食いしばり身体を小さくした。
ところが、実際には何も起きなかった。彼らはまったく見えてないかのように、一定の距離をおいたまま周囲を泳ぎ続けている。その真っ黒な目は深海に住む魚のように、かすかな光だけを感じ取っているようにも見える。それは、永遠の時間を住処にしていることの証であるかのように、何の意思も感じさせず、どこまでも深く沈んだ眼差しだった。
この空間が水の中なのか空中なのかもよくわからない。なにかやわらかい抵抗感の中に身体が浮かんでいて、手足を動かすにしてもすばやくというわけにはいかない。どちらかに重力がかっているようでもないので、宇宙空間に投げ出された感覚に近いかもしれない。わかっているのは、世界の光を吸い込んでしまいそうなほどの闇の中にいること、そしてまわりに身体をミドリ色に発光させながら泳ぐ鮫がいるということだけ。
そもそも、これが夢なのか現実なのか、それさえもわからない。身体をよじってみても、手足をバタつかせても、おかれている状況はまったく変わらない。少なくとも命が脅かされないのであれば、なるようにしかならないとあきらめた。
しばらく鮫のゆったりした群泳を眺めていると、ウォーターランドの動物たちと同じ緑色の水玉模様だということに気づいた。身体の中では淡い緑色の細かな点がときどき明滅しているのがわかった。それは、身体の代謝に合わせてリズムを刻んでいるようにも思えるし、お互いに何かを交流しているようでもある。もしかすると彼らだけにわかる歌を歌っているのかもしれない。お互いの身体を伝わり流れる光の連鎖が、宇宙を旅する流れ星のようだった。
Why does the sun go on shining?
Why does the sea rush to shore?
Don't they know it's the end of the world,
'Cause you don't love me any more?
気がつくと頭の中で、ジ・エンド・オブ・ザ・ワールドのゆっくりしたメロディーがリフレインしていた。夢であればいいのだけれど。この先に一体何があるというのだろう。
そのとき、どこかから、
みんな……知ってる……元気。会いたいか……ぶくぶく、ぶくぶく……
なにも、どこも、だれもない……ぶくぶく、ぶくぶく……
という声が聞こえてきた。いや、聞こえたと感じただけで、声ではなかったかもしれない。
以前どこかで同じ言葉を聞いたことがあると思ったけれど、意識がもうろうとして思い出せない。誰かから聞いたことばだっただろうか。
声の先を探して、闇の奥に視点が定まらないままに目を向けてみると、赤い木の葉のようなものが回転しながら浮遊しているのに気がついた。あれは、あのときに乗った赤いボートだ。どうしてここにあるのだろう。幻覚が繋がっているのか。
もし、記憶と意識を閉じ込めている場所があるなら、こんなところではないだろうかと思った。夢の世界も記憶の断片と考えれば、これこそが夢そのものかもしれない。
そのとき、背中のほうにコツリと当たるものがあったので手を回してみると、なくしたはずの虹の石だった。ミリルさんが作ってくれた袋に入っているのだから間違いない。中の石を出してみたけれど、光も差し込まないところだから虹を見ることもできない。鮫たちの光の明滅を受けて、かすかに緑色にみえるだけだった。
孤独な闇の中でコピのことを思い出してウォーターランド戻りたいと思った。その瞬間に、闇の空間が突然霧散して消えた。
目の前にはジノ婆さんが何事もなかったように椅子に腰掛け、みんなも前と同じように話を聞いている。自分はここに倒れていたはずではなかったのかと思ったが、誰もそれについて言う人もいない。
「六界錐をつくれば生き返れるということですか」とトラピさんがさっきと同じことを聞いた。
「ふほほ、ノイヤールの水次第じゃな」
みんなの顔を見ても、なにもなかったように前と同じ会話を続けている。おかしい。これはデジャブなんかではない。どう考えても時間がどこかで引き戻されている。
前と同じ会話をひととおり聞いた後に、思わず「ミドリの鮫をこの湖で見た人はいないですか」と聞くと、ジノ婆さんは「聞いたことはないが、いると思えばいるじゃろうな。ふほほ」とこちらを向いて言った。
握っている手を開いたとき、そこに虹の石があった。




