第31話 見送り
翌日は、ネモネさんの出発準備で朝早くから賑やかだった。というより、船長がいたからそう感じたのかもしれない。
船長はしばらく仕事がないので港でゆっくり過ごすという。船長の休んでいるところなんてみたことがないから、休みの日は何をするのか想像もつかない。働き者の船長がずっと寝て過ごすとも思えない。
「ネモネさん、ほんとうに一人でだいじょうぶ?」年寄りはどこまでも心配が先に立つ。
「なにかお土産買ってきますね」と出発を前にしてますます元気だ。カバのミームも玄関で準備万端の様子で待っている。背中に荷物の鞄を載せてやる気満々のように見える。
「爺婆じゃあるまいし、ちょっとそこまで行くのにみんなで何を心配してるんだ? なんなら俺が抱っこしてエクスポーラーに載せてやろうか」
「そういうことではなくて、女性が一人行くようなところではないから……」
「利権さえからんでなきゃ、ただの観光になるに決まっているだろ。きれいな湖とやらを心ゆくまで楽しんでくることだな」
「はい……」ネモネさんが微笑んだ。
「エクスポーラーって、動物もだいじょうぶなのかしら?」と思い出したようにマリーさんが言ったので、「うさぎを連れて乗ってる人もいるからだいじょうぶでしょう」と答えると、船長が「エクスポーラーも俺様を乗せないで、カバやウサギの相手してるんじゃ大変だな」と笑い飛ばした。
忘れないうちにと思って、昨日描いた地図をネモネさんに渡して湖への道を簡単に説明した。とくに出島の周辺には気をつけるように伝えた。旅慣れているせいかさすがに理解は早く、こちらが逆に説明に戸惑うぐらいだ。一通りの説明を聞き終えると、鞄の中身を確認すると言ってミームのところに行った。今朝のミームは普通にカバの色をしている。
「そうだ、マリーさん、昨日ナーシュさんの部屋で水彩画のセットをみつけて、勝手にお借りしました。すいません」
「ああ、いいの。あれは何を思ったかナーシュが突然買ってきて。絵もかけないのに……。遠慮しないで使って」
「この近くに画材屋があるんですか?」
「画材屋というか文具屋が港の方にあるの。ナーシュの知り合いだから、付き合いで買ったのかもしれないわね」
「ハロウか? だったら、あとで俺が案内してやるよ」
画材屋のある港町というだけで、ここの人たちの豊かな生活を感じる。人間も捨てたものじゃない。絵だって果てしなく広がる世界と自然を愛し、それとひとつになろうとしている行為と言えなくもない。絵の具の顔料が自然からつくられたものであればなおさらだ。それが、美しい自然の一部を紙に切り取るだけにすぎないとしてもだ。
「そうだ、マリーさん。部屋の番号のことなんですけど……なにか理由が?」
「ああ、あれは、ナーシュが好きな番号を勝手につけたの。わたしも1から並ぶよりもいいわねって」
「俺はいつも2だ。港を見るにはあそこが一番いいからな」
「3はダルビー海運の事務所。オルターさんの5も見晴らしはいいわね。7だけは空き部屋がないとき以外は使わない……」
「そりゃ、マリーとナーシュの部屋だからだ。わはは」
「それは、どうかしら……」
マリーさんが呆れた顔をしているところをみると、何か違う意味があるのだろう。
とりとめもない話しが終わると、エクスポーラーの時間になったのでネモネさんを駅まで見送った。
その後、約束通り船長が港を案内してくれるというので、話に出ていた画材屋に立ち寄ることにした。
海に沿って西の方角に5分ほど歩くと目当ての店に着いた。軒先にはHAROW'Sという看板がかかっていた。銅板でつくられたもののようで、見るからに年期の入ったものだ。裏には店に来る客が係留するための小さなヨットハーバーも見える。マリーさんが言っていたように、ヨットマン相手の雑貨屋といういうほうがイメージに近いかもしれない。
「ハロウ、いるかい? 客を連れてきたぞ」
「船長、まだ店を開いてないようだよ」9時を回ったばかりだった。
「この街には営業時間なんてしゃれたものはない。あるのは店と客だけだ」店の奥を覗き込むようにしながら言った。肩越しにのぞくと工房のようなところが見えた。
「ほんとうにいないみたいだな……夜逃げでもしてなければそのうち帰って来るだろう」いつもと同じで勝手なことを言っている。
店内にはヨットでの生活に必要というもというわけでもなく、日常生活に必要なものがところ狭しと並んでいる。鍋、紐、糊……。画材は店の一番奥の隅の方にあった。昨日使った鉛筆もここで買ったのだろう、同じものがあった。
「ご覧の通り、どこにでもある雑貨屋だな。もともとリアヌシティにあった店だが、ハロウもドームとの関係に嫌気がさして、看板だけ持ってこちらに引越しというわけだ。ただ、売り物はオールドリアヌでつくられたものを昔と同じように揃えているみたいだな。壁に歴代のオーナーの肖像画がかけてあるだろ」
「なるほど、歴史のある雑貨屋なんだね」
「店の奥にお宝があるって聞いたな。昔の貴重な生活用品でもあるんだろ。ハロウがここに来たときにはじめた骨董市が、毎月一回日曜日の朝に開かれるから来てみるといい。そこの壁に予定が書いてあるだろ」
船長の指す方を見ると、黒板に予定が書かれていた。次は今週の土曜日だ。朝6時から2時間。骨董好きは早起きする人が多いのかもしれない。
画材を見ていると、その横にいろいろな紙があるのに気がついた。見ると一枚一枚にHAROW’Sの透かしが入っている。古風な店構えにも通ずる店主のこだわりを感じさせる。そうでなければ、ナーシュさんもひいきにすることもなかっただろう。画材の棚を眺めていると絵の具のうんちくが書かれたメモが置いてあった。リアヌシティの特産の原料を使っているという説明書だった。昨日使ったパレットや筆はやはりここのオリジナルだった。
画材以外にもオールドリアヌの職人がつくったというものも多く、それぞれに製作者の名前がついていた。この作者を訪ねて行くのもいいかもしれない。店の品物を眺めているだけで、オールドリアヌの街並みが目の前に浮かんでくるようだ。
船長も何かの物色に夢中になっている。葉巻のところを見ているところをみると好きな葉巻のシガレットケースでも探しているのかもしれない。




