第2章 第16話 雲の塔
トラピさん、ナミナさんと、また楽器を持ってオールドリアヌを訪ねることを約束して、エクスポーラーに乗った。例のディスプレイにはオールドリアヌにいた時間のところにはカラードエリアとだけ表示されて、その内容には何も触れられていない。生体チェックに異常なしとだけ表示されている。リアヌシティ側から見るとオールドリアヌのほうがなんらかの色のついたエリアということなのだろう。何はともあれ、今回も無事チェックは通過したようだ。
港のホテルに戻ると、おいしそうなスープの匂いがしていた。奥のほうから有名な歌曲の一節が聞こえてくる。若かったころの出会いを懐かしむ歌だ。マリーさんの艶やかな声を聞くだけで、慌しかった1日の疲れを忘れ、心が静まってくる。
「おかえりなさい、オルターさん」ドアのベルの音で帰宅に気づいたのか、マリーさんの歌が止まった。
調理場に行って戻った挨拶をすると、窓ごしに歩いている姿が見えたと教えてくれた。調理場にいればだれが訪問してくるか事前にある程度わかるようだ。お客をもてなす準備をするには最高の見晴らしというわけだ。
マリーさんは、シチューを混ぜる手を休めて「何か収穫ありました?」と言った。お土産の新鮮な野菜を渡すと、サラダにするとおいしそうと喜んでくれた。
「いやあ、あそこの本はすごかったですよ」緑の手帳を開きながら説明した。
公書舘の地下の話をすると、マリーさんも地下のことは知らないと言った。聞くと、マリーさんはリアヌシティの生まれではなく、ナーシュさんのほうの出身地だった。どうやら、地下の蔵書については誰でもが知っている話ではないようだ。
「それで、何かわかったことありました?」
「いや、あれはちょっとやそっとで見られる量じゃないですね。なにか方法を考えないと一生かかっても無理かもしれないです。それと、あそこの湖ご存知ですか? ノイアール湖と言ったかな」
「ああ、きれいな湖……いいところね」
湖で起きた不思議な話をすると、ジノ婆さんという180歳を超える老婆が湖の北側にある出島に住んでいることを教えてくれた。なんでもオールドリアヌの生き証人と言われているそうで、代々長生きの家系もあって、字は書けないけど本のなかったころの吟遊詩人のようにリアヌシティのことを語り伝えているということだった。彼女なら何か知っているかもしれないということだった。たしかに180歳以上の長生きが3代ぐらい続けば簡単にノートの主の時代に遡ってしまう。住んでいるのが湖のほとりであれば、なおのこと詳しいかもしれない。
いろいろ聞いてみると、マリーさん自身は実際にリアヌシティで暮らしたことはなくて、知っているのは近代化が始まって以降のリアヌシティのことだけだという。
「雲の塔がまだ低かったころは、リアヌシティへの入植者も少なかったし、ドーム・コンストラクションなんて会社もなかった」スープ皿をテーブルに並べながら言った。
「雲の塔?」
「ドームの中枢になっている一番高いタワーがあるの。そこが町の拡大に合わせるように高くなっていった。それと合わせるようにドームの運営基盤が整備されてされていったわ。ナーシュとは、その雲の塔に行くと言って出て行った日が最後……雲の塔なんて誰も入った人がいないところだったから、危ないことはしないように言ったのに……」
触れないほうがいい話をしてしまったようだ。
「オルターさんが行った公書舘に、とにかくたくさんの記録があるらしくて。データ消失でリアヌシティの運営システムが瓦解しそうになったときに、ナーシュが公書舘の記録を提供してドームを救ったの。公書舘の記録でドームは倒壊を免れたということね。そのときの条件がオールドリアヌを歴史地区として残すというものだったらしいわ。もちろん地区保存のための資金供出も得られたのだけど、公書舘の記録の公開で自治を得たというほうが正しいわね。でもそれは諸刃の剣で、身を切って土地を守ったとでも言えばいいのかしら」
「というと?」
「記録を提供することが、公書舘と自分の身を危険にさらすことになったわ。そこにこのドームの命運を握る鍵があったわけだから。ドーム・コンストラクションとは対峙せざる得ない関係になってしまった。表向きはなんとでも言えるけど」
「なるほど、それほどに重要なものがあそこには眠っているというわけですね。それをナーシュさんは知っていたと」
「ドーム・コンストラクションにとっても痛し痒しね。自治権を与えざるを得ないわけだから。目障りなものがドームの横に残ってしまった」
リアヌシティを守るために使われたのがオールドリアヌの宝とも言える記録そのものだったのは両方にとってとても皮肉な話だ。
お土産に買ってきたお茶をマリーさんに入れてもらった。ノートに書いてあったほどの苦味は感じなかった。それでもどこか懐かしく感じたのは、以前どこかで飲んだことがあるのかもしれない。マリーさんは珍しい香りだと喜んでくれた。
二人で話し込んでいるところに「準備ができたから明日出港するぞ」という大きな声が聞こえた。船長が帰ってきたようだ。どうやら船長はここを常宿にしているらしい。
「お、じいさん、急ぎの荷物が出てな、急遽明日出港だ。ウォーターランドにも立ち寄るから、何か伝えることがあったら書いておいてくれ。みんなを安心させてやらないとな。こんなにうまくいってますって言ってやれ。わははは」
船長にも公書館の話をした。ただそのあたりの経緯はナーシュさんから直接話を聞いていたマリーさんのほうが詳しいようだ。
「とにかく、まだ何度も行かないと。次はジノ婆さんのところも訪ねてみることにしよう」
「ああ、あれはオールドリアヌの道祖神だな。じっと町の様子見ていて、巫女のようなことをしたり伝承のための記憶を唱えている。こちらの質問に答えてくれるかどうかは婆さんの気分次第だろうな」と船長が言った。
湖の北の端で一人暮らす老婆と話しをすることへの期待がふくらんでいった。




