第2章 第15話 消えた男
その後、公書館に入ってくる人はだれもいなかった。棚を2段ほど見たところで、いつまでも果てることのない作業の先行きがまた気になり出した。そうなると消えた男に話を聞けなかったことがどうにも悔やまれる。
「しかし、人が突然いなくなるかな……」思わず口をついて出た。
「気がつかないときに出て行ったとか?」自分を納得させるように横にいたナミナさんが言った。
でも、そのナミナさんはずっと入口の横にいた。
「もしもし……だれかいませんか?」とどこかにいるかもしれない男に向けて声をかけてみたが、誰からも返事はない。狐につままれたような気分だ。気分を変えるために別の棚を見ることにした。
双子がつまらなそうにしているのを見て、ナミナさんが背中を押すようにしていっしょに出て行った。子供にとってはなかなか退屈な場所なのだろう。
「この棚なんかは町の風土や風物詩に関するものを整理しているように思いません?」トラピさんが言った。
「なるほど、それで気候や季節行事になるわけですか」
次に、裏側の産業関連をまとめたところを見ていると、『失われた子供の興隆』という本があった。失われた子供のことはノートにも書いてあったと思い目次を見てみると、それはどうも金融関連の仕事をする人々かその職業のことを指しているようだった。お金の貸付を生業とする人がこの町に集っていたようだ。
今でいう金融業が生まれた頃の町の様子が克明に書かれている。町が大きくなるきっかけを失われた子供たちがつくったのは間違いない。その内容からすると1700年終わりあたりから1800年初頭が浮かんでくる。200年ちょっと前だ。
さらに見ていると、すべての棚が時代順に並べてあることがわかった。古いものは500年も前の記録もあるようだ。紙が生まれたのはいつだったかと考えてしまった。
なかなか目指すものに出会えないでいたところにナミナさんが戻ってきた。
「ちょっと、お二人来られない?」
「なにかみつけました?」言われるままに外に出た。
そのままナミナさんのあとについて公書館の裏の草地のほうへ回った。無邪気に双子がころころころがって遊んでいた。
ナミナさんが、「静かにして」と、人差し指で唇を押さえるようして言った。
「あれ? 人の気配?」
「聞こえるよね? よかった、わたしだけじゃなかった」
どこからか聞こえる小さな音に集中していると、近くで立て膝になっていたトラピさんが叫んだ。
「下のほうだ! 地面の下から聞こえる。ここきっと地下があるんですよ」
3人が地面に耳をつけようとしたそのときに、さっきの男がのっそりと現れた。
「おまえたち、何しに来た」
それは明らかに疑いを持った眼差しだった。髭を蓄えた大柄な男は、5人を品定めでもするようにじっと見た。そして、忘れないようにしっかり記憶にとどめているようだった。
あわてて飛び起きて、「あの、ノートを書いた人を探しに……」とトラピさんが答えた。
「おまえ、何を言ってる。ここで勝手なことをするな」
「ナーシュさんの知り合いの人にここのことを聞いて……」事態があまり芳しくないようなので思わず口を挟んだ。
「ナーシュさんの名を出せば、出入り自由とでも思っているのか? 」
これはどうも雲行きが怪しい。この男は何かを疑っているようだ。出直したほうがいいかもしれない。
「えっと、別に大切な資料を盗ろうとしているわけじゃなくて、ほんとうに……探しものを」
「みんなそう言う。それが手口だ。ここは俺たちの場所だということだけはよく肝に命じておけ」
取り付く島もないというのはこのことだ。今日のところはあきらめたほうがよさそうだ。
「オルターさん……」とトラピさんがこちらの顔をうかがっている。
「私、オルターと言いますが、お名前だけでも」
「ホーラー、ホーラー・ヤイハブ」ぶっきらぼうに名前だけ吐き捨てるように言った。ヤイハブというところを特に意識して言っているように聞こえた。
ナミナさんは理不尽なことを言う男の態度に納得がいかないという顔をしているが、とりあえず今日のところは退散したほうが良さそうだ。
意気消沈したままに水路にあったベンチのところに戻って、3人であらためて顔を見合わせてため息をついた。せっかくのオールドリアヌ散策にケチがついてしまったような気分だ。
「あいつ、なんなんだろう?」ナミナさんが口惜しそうに言った。
「まあ、僕たちは他所者だし、ホーラーという男の気持ちもわからなくはないよね。あそこは彼らにとっては特別な場所だったんだよ、きっと。誰でも入れるところではなかったとはね」トラピさんがなだめる。
「それはわかるけど、あの言い方はないでしょ?」
「あはは、それだけ大切な場所ってことだね。ノートさんのことを知りたいというのはこっちの勝手な都合だし」
「オルターさんは、ほんと人がいいですね。それなら公書館の看板はずすべき」ナミナさんの鉾先はこちらにも向けられた。
「でも、地下になにかありそうなことはわかったじゃない。ナミナの大発見だよ」トラピさんがナミナさんのご機嫌をとるように言った。
「そうよ。せっかくみつけたというのに、何あの男。失礼だよ」
「ナミナさんの好きなオールドリアヌのイメージが壊れるよね」と同調すると、「私はこの町好きなのよ。どうしてそれがわからないかなあ」と男の態度に対する憤懣はおさまらない。
「さあ、気分を変えてもう少し歩きましょう」
「よし、こうなったらあいつも知らないような大発見するわよ」
「あはは、じゃあ宝探しに出発だ!」
水路に沿った径を歩いていくと露天のたくさん出ている円形の広場に出た。ここが村の生活の中心になっているところなのだろう。しばらく見ていると誰もお金のやり取りをしていないことに気づいた。お店と思っていたのは商品を並べてほしい人に配っているだけのようだった。何も並べないで座っている人は何かのサービスを提供するのかもしれない。誰かが近づくと少し話をして、そのままいっしょにどこかに行ってしまう。
船長へのお土産にちょうどいい葉巻屋もあったし、マリーさんの喜びそうな新鮮な野菜もあった。髪切りをする人や、家の修理を請け負う人や、牛を連れてミルクを配る人など、生活のすべてがここにあった。その生活と仕事の境目がないのんびりした交流がとても自然で、穏やかな陽射しとともに悪くなりかけていた村の印象をもとのように戻してくれた。
「オルターさん、このお茶、ほらノートに出てたアシスタントの女性がお土産で買ったあのお茶ですよ」
「おー、ほんとだ。このあたりの名産なのかな?」
「このお茶いただけますか?」と露天を出している人に聞くと、「好きなだけもっていきな」と言って大きな匙のようなものを渡された。
「お代は?」というとゆっくり首を横に振った。
いつかオールドリアヌにお返しすることを心に誓って、ありがたくいただいた。ここには人の気持ちの交流がたくさん残っている。お茶を袋に入れながらナミナさんが老婆と話し込んでいる。彼女のご機嫌もすっかり治ったようだ。
丸い広場はサークルと呼ばれていた。みんなが集い交流する場所として、形のあるものもないものも、日常の全部がまとめて行き交っている。
突然、ナミナさんたちが演奏の身振り手振りをしながらトンテケのリズムを口ずさみだした。それを見たまわりにいる人たちが自然に手拍子をはじめた。リズムに合わせて双子も楽しそうに踊りだす。
「いいね。これが本当の交流だよね」とトラピさんもうれしそうに言った。
サークルの人たちの様子を見ていると、その中に公書館で会ったあの男がいるのに気づいた。いつか彼とも話ができる日がくるだろうか。
空を見上げると薄い雲が茜色に染まり始めていた。明日もいい天気になりそうだ。トラピさんたちとの小旅行も終わりに近づいていた。




