第1章 第43話 旅立ちのとき
今日はいつだろう?
あまりに深く眠り込んでしまったので、ベッドに入ってから何日も過ぎたような錯覚にとらわれた。子供の頃の昼寝のあとに感じた、あの一人時間から取り残されたような感覚だ。あまりに突然の火事だったから、自分でもわからないほど疲れていたのだろう。身体は正直だ。
遠くから誰かを探しているらしい人の声が聞こえた。それがコピの声だとわかるまでに少し時間がかかった。夢と現実の間をふわふわと浮かんでさまよっているようだった。だれかが起こしに来てくれなければ、それこそ昼どころか何日も目が覚めなかったかもしれない。
呼ぶ声に促され薄く目を開けたとき、世界は磨りガラスを通したように白くぼやけていた。コピの声のするほうに顔を向け、ミリルさんに印刷のお願いをするように頼んだ。確認のできたページを封筒に入れてなんとか持たせた。その後は、意識の奥からするするっと伸びてきた夢の触手に捕われて、また眠りの淵へと引き戻されていった。
再び目覚めたのは真夜中だった。寝すぎで体中が痛く、それが同じ日なのかどうかさえも怪しくなっていた。夜中の散歩というわけにもいかないので、そのまま机に向かってメーンランドについて書かれているページ探してぱらぱらとページをめくった。あとで思い返してみると、この時点で私の意識はすでに島になかったのかもしれない。ノートの主が書き残したふるさとの情景が自分の記憶を塗り替えていくような不思議な時間だった。
翌朝からのはじめた印刷は思ったよりも順調に進んで、3日もするとメーンランドのことが書かれているところはほとんど印刷で複製することができた。ミリルさんの頑張りがなかったらとても無理だっただろう。そして、あの船長の持ってきた青い表紙だけの本にメーンランドの思い出を書いたページが綴じこまれた。ノートの主の記憶を辿るように青い本の長い旅が始まった。
新しい島便りもつくった。ひどい火事もあったけど、一日も早く水の力を借りて前のような美しい島に戻ることを祈りながら、楽しくなれそうな温泉のことを書いた。メーンランドでできるだけたくさんの人に渡してこよう。それが島のみんなを支えてくれて、森の再生も早めてくれるような気がする。
船長の定期船が来たのはそれから2日たった朝だった。それからは、あわただしく出発の準備がはじまった。船長に予定を聞くと、今回は島に一泊して帰るとのことだった。新聞の効果かどうかわからないけれど、数人の観光客も乗っていた。それぞれに出発時間を確認して島の散策に出かけていった。彼らの観光の時間を取るために船内で一泊するのだという。
「オルターさん、準備のほうは大丈夫ですか」とミリルさんが気にかけてくれる。一人じゃなにもできない人だと思われているから仕方ない。
「少しの間ですから、荷物はあまり持たないでね。すぐ戻りますよ」と気軽な旅を装ってみる。
「すぐに戻るって言って戻らなかった人もいるからね」めずらしく顔を出していたノルシーさんが人の心を見透かしているように笑った。
「え? あー、ノートの主のことですね。ミイラ取りがミイラにならないとも限らないということですか?」ミリルさんがまた心配になったようだ。
それを聞いていたコピまで「じっじ、はやく、はやく」と言い出した。
「だいじょうぶ、私は若くないし、この島が自分の終焉の地と決めているから」少なくとも今は本当にそう思っている。
「何かあったら、俺もいるしな」ソファーで寝ていた船長が目を覚まして、いつもの調子で話に割り込んできた。
「必ず連れ戻してくださいよ、船長」ミリルさんがソファーの船長のところで約束してくれというように話している。
「いや、その時は俺がリブロールのオーナーになる。わははは」とその願いを一笑に付した。
「もう、船長はそんなことばっかり言って」ミリルさんがぷいと横を向いた。
「ミリルさん、心配ないですよ。向こうにはトラピさんもナミナさんもいるから安心してください」
みんなの様子をじっと見ていたコピが「じっじ、これ」と言って小さく握った手を差し出した。
「これは?」と聞くと「いちばんきれいないし。きのうみつけた」と精一杯の笑顔でこちらを見ている。
「これは宝石かな。コピありがとう。必ず肌身離さず持っているよ。これで大丈夫だね」光にかざして見ると、虹色に輝いた。石を通して光の先を見るとそこにも小さな虹が見えた。なんてきれいな石なんだろう。こんな石のある島を忘れてしまうわけがない。
それを見ていたミリルさんが「なくさないように袋を作りましょう。ちょっと待っててくださいね」といって裁縫セットを手提げ袋から出した。
「みんなよお、なんだか俺が爺さんを誘拐でもするようじゃねぇか。どうなってるんだ、おい」
船長の大きな声を聴いてちょっと雰囲気が和んだ。船長がいれば心配なことなんて起こるはずもない。すべてはうまくいくはずだ。
「あれ、オルターさん、もう出発ですか?」いつもと同じつもりで資料整理に来たノーキョさんがたくさんの人を見て驚いている。船長のように神経の太くないノーキョさんだから、これではいつものようにうたた寝もできないだろう。いつものリブロールでなくてちょっと申し訳なく思う。
「出発は明日ですよ」と言うと、ノーキョさんは、安心したようにいつものようにテーブル席の椅子に座った。
そうは言っても、今日しか会えない人もいるかもしれない思い、留守のお願いを書いた手紙をみんなに手渡して回った。
「これは?」とノーキョさんが不思議そうな顔をした。
「みんなにひとことだけですけど手紙を書きました」
「オルターさんらしいな。あとでゆっくり読ませてもらいますね」
「そうしてください。ここで読まれるのはちょっと気恥ずかしいですから」
出発の時間が近づくにつれ、島の美しさはこの人たちの温かな気持ちでできているのかもしれないとあらためて感じた。ノート氏に始まったかもしれない人のつながりはみんながどこに行こうとずっと続いていくのだろう。




