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仮想の水 - Waterland of Inworld  作者: uota
第1章 誘い
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第29話 窓の記憶 +

「これぐらいでどうかな?」背伸びしたままのノルシーさんがもういいだろうと言いたげに聞く。


「もう少し右が上かな」


「これぐらい?」無理して首をこちらに向けるている。


「も少し……」まだ右が低いように見える。


「ああ、それで、いい具合かな。ちょっとそのままで」金槌を取って踏み台に上がり、窓枠の蝶番に釘を5、6回打ちつける。


「もう、いい? いいかな?」背伸びして伸ばしている手がさすがにつらいようだ。


「待って、待って。もう一箇所」上のほうも手早く釘を打つ。


「それにしても、この窓もお客さんが開けたとたんに、枠ごと落ちるかな」ノルシーさんがぼやいた。


「まあ、そういうこともあるってことですな」島に来てからずっと外の雨風にさらされて、海の向こうを見続けた窓に多少の気遣いもしたくなる。


「そういうことなわけね。まあ、この家みつけたとき、最初にくっつけたのがこの窓だし。彼も彼なりにがんばったと」


 キイコ、キイコ。ノルシーさんは窓が固定されたのを確認するために開けたり閉めたりを試している。


「彼だか彼女だかはわからないけど、それだけ開けたり閉めたりされれば、足腰も弱くなるってものですな。ご苦労様です」


「おお、これはお窓様失礼いたしました。ゆっくりおくつろぎください」ノルシーさんは取り付けがうまくいったのを確かめると窓をゆっくり閉めた。


 今日はエバンヌにお茶を飲みに来たら、いきなり窓の修理を手伝わされることになった。エバンヌの建物は風格があるものだけど、二人で取り付けた窓も骨董品のような味わいのある美しい窓だ。その窓が落ちたというのだから、手伝わないわけにはいかない。


 あらためて取り付けてみると、この窓から飽きもしないで海を眺めていたのを思い出す。あのころは二人以外にあまり住人もいなくて、来る日も来る日もこの窓越しに海を見ながら時間をすごした。当時はリブロールもなかったから、ここが唯一の休憩場所でもあった。お茶を飲みながら、これから先のことを考えたり、新しい発見を披露しあったり、いつか世界周遊の大型客船でも通るんじゃないかと、できるかぎりの想像を膨らませて楽しんだものだ。二人共に、この窓が唯一外界とつながっていると感じていたのかもしれない。


「窓はできるだけ大きくしようなんて言ったのはオルターさんだよね? よくもこんな大きな窓をつくったもんだ」と懐かしそうに言うと、息を吐きかけながら窓ガラスを丁寧に拭き始めた。


「そうだったかな。とにかくきれいに拭いてやってくださいね」ノルシーさんにお願いする。


「今でもね、この窓からの眺めが好きで来るというお客さんは多いよ。暗いお店だから、海のほうにどうしても目が向くんだろうけど」


 たしかにエバンヌは照明を落としている分、明るい海が外で見るより一層きれいに見える。とくに北側の海の透明度はきわだっているから、始めて来た人にとっては思いがけないプレゼントになるだろう。


「あ、そうそう、豚のことだけど。あれは豚じゃなくてカバみたいだよ」


「え? 豚じゃなくてカバ? それじゃあ、ますます話がわからなくない?」


「なんでもね、いい水を探す力のあるカバらしいよ。知る人ぞ知るカバだとか」


「じゃあ、いい水探してもらって、おいいしい水割りをいただけるってわけだ」ノルシーさんが窓を拭く手を止めて、いたずらっぽい目をしてこちらを見る。


「ああ、そっちの話ね。それもありですかね」


「しかし、誰もカバとは思わないでしょ。カバと散歩なんて。どれだけのどかな島なんだ。ほんとにカバなの?」


「プールに浸かってるの見たからね」


「そうなんだ。プールにカバか……」


 ノルシーさんが磨く窓を通して灯台を見ていると、忘れてしまった記憶が思い出されるような気がする。


「しかし、この窓から見る灯台は格別だよね。あれがレンガ作りの灯台だったんだからね」


「今の、白い灯台もよくない?」


「どちらもいいけど、この窓越しに見ると、もともとあった赤いレンガの灯台が見えるんですよ」


「またノートの読みすぎ」呆れ顔でこっちを見た。


「そうかもしれないけど、やっぱり赤い灯台なんだよね」


「そんなこと言ってたら、ほんとうに自分の記憶が何処かに行ってしまうかもよ。痴呆に注意だね」 と言いながら、ノルシーさんはレコード棚の整理をはじめた。


「それならそれでも」


「まあ、ご本人がご所望ならそれもいいですけど。記憶なんて過去のものでしかないからね」 ノルシーさんもメーンランドの話をあまりしたがらないから、過去にこだわりもないのだろう。


 この島の景色はときどき昔どこかで見たことがあるように思えることもある。なくした記憶は案外近いところにあるのかもしれない。記憶なんて、断片の組み合わせでしかないと思うこともあるし、人間は思い出に生かされていると感じることもある。この窓から見える気がする赤い灯台がその答えを出してくれる時がくるのだろうか。

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