第1章 第26話 おいしい水
翌日は雨もすっかりあがって、草木に乗った雨露の粒が朝日に照らされて、あちらこちらで小さく光っていた。リブロールに行ってみると、昨日の女性が戸口の掃除をしていた。雨のせいで少し汚れてしまったのかもしれない。
「おはようございます。今日はいい天気になりましたね」気づかないようなので挨拶した。
「昨日はありがとうございました。お礼になればと思ってお掃除をしていました」と言うとにっこりと微笑んだ。少し元気が出たようだ。
気になっていたカバを探すと、店の横にある小さなプールで朝から水浴びをしている。環境がどうあろうが、わが道を行く姿勢は見上げたものだ。きっと大物になるに違いない。でも、大きくなったらどうなるかは考えない。
「ご挨拶が遅くなりましたが、私、ネモネと言います」
「オルターです。どうぞよろしく」
「昨日は、助かりました。こちらは雨が少ないと聞いていたので、雨具も用意してなくて」
「突然の雨でしたからね。カバ君も元気でよかったです」
「この子にとっては、雨は生活そのものなので一向に気にならないらしいです。水が命の次に大切なものなんです」
「人間も水がないとだめですからね。人もカバも同じです」当たり前すぎて、自分でも何を言ってるのかわからない。こんなことを言ってしまうのも、カバがここにいること自体がそもそも普通じゃないからなのだ。
話しているうちに、ノーキョさんが手を振りながら、こちらに向かって来るのが見えた。
「ノーキョさん、いらっしゃい」
「オルターさん、来ましたよ。印刷うまくいったみたいですね。新聞の第2号を拝見しました。昨日、コピちゃんが届けてくれて」
「あのインキのおかげで、いい新聞ができました」
ネモネさんとノーキョさんは初対面のようだったので、それぞれを簡単に紹介した。二人はすぐに打ち解けて話をしている。若いと仲良くなるのも早い。
「また少し、資料整理をさせていただきますね」といって、ノーキョさんはテーブル席のほうに資料のどっさり入ったかばんを下ろした。ほんとうに勉強熱心な人だ。本だけでなく、ノートや使い道のわからない道具もたくさん出てきた。布製のボロボロになった筆入れは見てくれにこだわらないノーキョさんらしい。
「あれ、オルターさん、この本。どうしたんですか?」
「本? ああ、それは昨日、定期船のダルビー船長が持ってきてくれたものなんですよ。まだ、整理できてなくて」
ノーキョさんも、新しい本が気になったようだ。しばらく見ていたと思ったら、いきなり大きな声をあげた。
「ああ、これはすばらしい。この水の本、手に入れるのが難しいと言われているものですよ。たしかにこれだ、間違いない」驚きを隠せない様子だ。こちらはそれを聞いて少し慌てた。
「え、そうなのですか? 実は、私はまだよく見てなくて」希少本に気づかないなんて本屋の面子もあったものではないけど、もともとそんなものは持ち合わせていないのはみんなのほうが良く知っている。
「かなり古い本で、今ではほぼ入手不可能だと思います」手に取った本を何度もひっくり返したり、ページをめくったりしながら言った。
ノーキョさんもどこかで探したことがあるのだろうか。
「実を言いますと、私も水をさがしに来ました。最初その本を見てほんとうにびっくりしました」ネモネさんも同じことを思っていたのだ。これじゃあ、もう本屋だなんてはずかしくて言ってられない。やはり、船長の目利きがあってのリブロールということか。
「そうだったんですね。それでカバを?」また、変なことを聞いてしまった。とにかく外のカバが頭から離れないのだから仕方ない。
「あ、あの子はミームという名前なんですけど、他のカバさんにはない特別な力をもっているんです」
「特別の力というと?」ノーキョさんが聞いた。
「身体にいいお水を見つけられるんです」秘密を明かすように小さな声で教えてくれた。
「それがあそこにいるカバですか?」ノーキョさんが驚いた顔をして、プールで水浴びをしているカバを見に行った。
「水の具合がいいと皮膚がピンク色に染まるんですね。それでいい水を探せるんです」
「それはすごい。いい水というのは?」
「穏やかな気持ちになれて、長生きができるお水です」
「長生き……それは聞き捨てならないな。そんな水が見つかれば、みんな欲しくなるでしょうね」
そう言ったときに、ふと思い出した。
「あれ? もしかして最近島のあちこちをこのミーム君と歩いていました?」
「はい。何かご迷惑を?」昨日と同じ困った表情を見せた。
ピンクのカバ……これをみんな豚と見間違えたのかもしれない。
「どうかしましたか?」ネモネさんが心配そうにこちらを見ている。
「いや、ちょっと思い出したことがあって。大丈夫ですよ。だれも気にしてないですから」
「気にしてないんですね。よかった」と言ってほっとしたような表情をした。
「オルターさん、あのカバ、もしかすると水を探すカバかもしれないですよ。以前、聞いたことがあって、いい水を見つける力をもったカバがいるらしいんですよ」
「あ、そのカバです」ネモネさんが、あまりにさらりと答えたのを聞いて、ノーキョさんは、空いた口がふさがらなくなってしまった。
「え? そうなの? いやー、これは驚いた。今日は、本といいカバといい、とっても水日和な朝になってしまいました。こんなこともあるんですね。あの、ネモネさんは、ずっとこちらにいらっしゃるんですか?」
「ええ、もしいいお水がみつかったらというか、いい温泉がないかと思ってまして」
「おー、それはすばらしい。ぜひぜひ、温泉を。ねぇ、オルターさん。いいですよね」
「そうですね。温泉できればきっとノーキョさんと、それこそ入り浸り」
「ほんどだ、ほんとだ、文字通り入り浸りだ。あはは。温野菜だってできるし。最高ですね。願ったり叶ったりですよ」
「それで、歩いてみた感じはどうでしたか?」
「まだ、来たばかりでわからないのですが、冷水のいいお水はいくつかみつけられたので温泉もきっとみつかると期待してます」こちらの反応に安心したのか、ネモネさんもうれしそうだ。
「いやー、それは楽しみだ。オルターさん、みんなで温泉ですよ。温泉に入って、ここでうたた寝。考えただけで楽しいじゃないですか。ネモネさん、何かお手伝いすることあったら言ってくださいね。穴掘りでもなんでも協力しますから」
「ありがとうございます そう言っていただけると心強いです」
カバは相変わらずプールに浸かったまま全く動く気配もない。気のせいか、肌がピンク色に見えた。




