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仮想の水 - Waterland of Inworld  作者: uota
第1章 誘い
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第21話 ミドリの海 *

 ハトを見送った後、3人でメーンランドに向けた島便りの積み出しの準備をした。船長の船が来る前に用意を済ませておかないといけない。新聞の発行を気軽に請け負ったものの、いざ用意するとなると慣れないこともあって結構な手間がかかる。ミリルさんの活字並べと印刷はもちろんのこと、印刷されたものを油紙で包んでしばるのもなかなか手間のかかる作業だ。


 1時間ほどかけてなんとか準備が終わらせてひと休みをしているところに、湿地に行っていたトラピさんが戻ってきた。


「いかがでしたか?」ミリルさんが、息のはずんでいるトラピさんを出迎えた。


「ありがとうございました。この小さな島にもいろいろな記録が残っているんですね。周辺に土地の記憶が漂っているようでなかなかよかったです。あの壜にノートが入ってたんですね。それにしても、よく水が入らなかったものだなあ」


「ああ、あれは代わりのものを置いてあるだけなので……」


 ちょっと古い壜を選んで置いたこともあっていつも現物と誤解されてしまう。ちょっと申し訳ない気分になる。


 トラピさんは納得したように何度か小さく頷いた。


「当時の瓶にもやはり水は染み込んでいたようで、実際読めないところもあったと聞いてます」


「じっじのよむ」コピがうれしそうに言った。


「あそこがこの島の発祥の地と言ってもいいかもしれないですね。島のはじまりを刻んだメモリアル・ボトルというところでしょうか」


 個人的な思い入れも強いかもしれないけど、実際あのノートの主がこの島の実質的な開拓者となったことは間違いない。


「ほんとうですね。あそこにあった壜に何百年も前のノートが入っていたと思うといろいろ想像してしまいますね」橋の方角を振り向いてトラピさんが言った。


「また、あのノートの続きを読ませていただけませんか」


「いつでもいいですよ。古い表現なので読みにくいと思いますけど、灯台の引き出しに入れてあるので。だれでも見られるようになってますから」


「コピはよんで」


「コピちゃんも、ノートさんのファンなんだよね」とミリルさんが言うと、コピはにこにこしながらうなずいた。


 少しノートを見てきますねと言ってトラピさんが灯台のほうに向かうと、コピもそのあとをちょこちょことついて行った。



***** ノート *****


 深夜に海のほうが騒がしいので、窓から覗いて見ると、赤い月に照らされた海が波立って見えました。


 そのとき、ミドリ鮫の群れが島の近くまで来ていることに気がつきました。この群れを追って漁師が来ていたと思うと、今島にこうしていることの喜びは言葉にできないほどのものでした。興奮のあまりしばらくは動くこともできずに海を見ていたと思います。島が消えたのを見たという漁師も、あのミドリ鮫を追いかけてきたのですから。


 急いでボートを海に出して、鮫たちのほうに漕ぎ出しました。数えられないほどの鮫を間近で見ると恐ろしくもありましたが、闇の中でエメラルドのように輝く美しい鮫を見ているうちに恐怖心は消え去ってしまいました。


 鮫の渦の中に入ると、人ひとり分の隙間もないその数に圧倒されました。それは海が緑色に染まるほどの数でした。島の周囲を覆いつくすほどでしたから、数百、数千もいたかもしれません。鮫は人の大きさほどもありましたが、するどい歯があるようにも見えなかったので、人を襲う鮫ではないことはすぐにわかりました。もしかするとこの島に彼らが好む海草のようなものがあるのかもしれません。それとも繁殖の場所なのでしょうか。緑の海草が彼らをその保護色にしたのか、食しているうちに海草の色に染まってしまったのか。透き通るような緑色が目を捉えて離しませんでした。


 ミドリ鮫の群遊の中で夜明けを待っていると、一匹の鮫がボートにぶつかってきて、逃げるまもなく海に落とされてしまいました。もともと泳ぎは得意でなかったので、鮫の群れにもまれているうちに気を失ってしまいました。意識が遠のく中、鮫がお爺さんのことを話しているように見えました。


 みんな……知ってる……元気。会いたいか……ぶくぶく、ぶくぶく……


 なにも、どこも、だれもない……ぶくぶく、ぶくぶく……


 それは最初にして最後のとても不思議な体験でした。幻聴と思うには、あまりにはっきりした言葉だったのです。


 気がつくと、私は一人浜辺に打ち上げられていました。夜も明けてすっかりあたりは明るくなっていました。ときおり波が足先を撫でるのを感じたとき、命が助かったことを心から感謝しました。起き上がってみると少し先にボートも見えました。もしかすると鮫が助けてくれたのかもしれないと思うと、知らず知らずに涙がこぼれ落ちました。そして、この島への思いが一層強くなっていきました。


 自然はたくさんのやさしさにあふれている。人が心を開くとき、誘われ、迎えられ。救われる。

 そこは、一人でいる世界ではなくなり、多くの命に生かされていることに気づく。


 あれほど海を覆い尽くしていた鮫の群れが嘘のように消え去って、朝日が採れたての果実のように瑞々しい穏やかな夜明けでした。鮫の残したものはないかとあたりを探してみましたが、浜辺はいつもと変わらず、昨日の乱舞を思い起こさせるものは何もみつかりませんでした。もしかすると夢だったのだろうかと思ったほどです。ぼんやり昨夜の余韻に浸っていると、あの手紙のことを思い出しました。時間がゆるりと動いたのは、ミドリ鮫の現れた夜ではなかったでしょうか。


 そう思ったとたん、あれが夢でなければ何か記憶を裏付けるものがあるのではないかと、何かに取りつかれたように海岸線を隅から隅まで探しました。何日探したでしょうか。それでも何かが起きた痕跡をみつけることはできませんでした。二度とないチャンスだったかもしれないと思うと、意識をなくしてしまったことが悔やまれてなりません。


 鮫が現れた日をあらためて思い返してみると、赤い満月の昇った夜で、雨の降った翌日でした。季節は初夏。これが次の群泳を知る材料になるのかどうかはわかりませんが、またミドリ鮫が来てくれることを祈って、今夜は床につくことにします。


***** ノート *****



「さめいっぱい、いっぱい」コピが最初に口を開いた。


「そうなんだ。なにも起こらなかったんですね」トラピさんもちょっと納得がいかないようだ。


「それもわからないままですよね。なにかが起こったのかどうか」あとからいっしょに来たミリルさんもトラピの気持ちを察して残念そうに言った。実際にそのあとに何かがわかって、その記述をしたノートがなくなってしまったということも考えられなくないから、なおさらもどかしさだけが残ることになるのだ。


 のどに何かがつかえたような気分で言葉がでなくなっていた時に、突然コピが口を開いた。


「コピはミドリざめみる」


「え?」思いがけない言葉に3人があっけに取られてコピの顔を見ると、「ときどきくる」と不思議なことじゃないよとでもいうようにコピが言った。みんなの気持ちが理解できないのかきょとんとしている。


「コピちゃん、ミドリ鮫を見たことがあるの?」


「うん」


「いつも来ている……?」


 トラピさんは興奮を隠せないようにコピの顔を覗き込んだ。


「でも、すこし」


「少しだけ……でも、来ているのかい?」


年寄りの自分の目では見えるものも見えなくなっているのだろうか。思わず、3人そろって海のほうを見てしまった。ミリルさんとトラピさんはしばらくだまったままで、それぞれにこれまでに見た島の風景に鮫がいなかったか思い返しているようだった。


「まだしばらく、島の歴史の謎解きは続きそうだな」トラピさんが独り言のように言った。


 しかし、コピはこの島のことをほんとうによく知っている。というより、この子にしか見えないものがあるようにさえ思える。いずれにしても、この島に今でもミドリ鮫が来ているのであれば、その日にこそ時間がゆるりと動くのかもしれない。

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