Prologue 1「天国への扉」
齢一桁が終わろうとしていた頃か。
その頃の俺は、とあるゲームに夢中になっていた。
オープンワールドゲーム「ヘヴンズゲート」。
キャッチコピーは、剣と魔法の世界を縦横無尽に駆け巡る――。
今となってはありきたりだが、あの頃の少年たちの冒険心に、ブッ刺さらないはずがなかった。
もれなく俺もその一人だった。
このゲームに魅せられ――というより、当てられたと言ったほうが正しいが、俺は完全攻略の名の下に四六時中プレイしまくった。本当に異常なほどに。
そしてそれは今もまったく色褪せず、現在四十歳無職、ネカフェ暮らしという僧侶のような過酷な日々を送りながら、ヘヴゲのサイレント実況をして暮らしている。
俺の本名は矢崎輝人。だが本名を晒すわけにはいかない。実況中はゲームキャラ名である、ノクターン・ザ・ライトニングを使用している。
痛々しいのは自分でもわかっている。しかし九歳から使っている名前だ。それなり以上に愛着があるから仕方がない。
ドリンクバーですれ違う奴らは、俺のことを冷ややかな目で見ては、ヒソヒソと負け組だの底辺だのと囁く。あるいは、社会のゴミやウジ虫だとも。
人様に言われるまでもなく、そんなことは俺自身が一番理解している。
第一、好きでこんな腐った世界に生まれたわけじゃない。
社会に適合できていたならそうしているさ。
真面目に働けるなら働いている。
言葉を話せるのなら、サイレント実況なんかじゃなく、普通に実況プレイをしている。
二十五年前のあの日、俺の喉は死んだ。
一体、俺たちが何をしたっていうんだ。
あれは十五歳の時のこと。
廃校舎に生える雑草みたいな日々。
誰にも気づかれることもなく、何にも傷つけられることもない、そんな毎日。
しかし、アイツと出会って、そんな変わり映えのない日々は少しずつ変化していった。
どっちが声をかけたのかは覚えていない。
俺たちは休み時間になると廃校舎裏で合流し、ヘヴゲの攻略話に花を咲かせていた。
初めてできた、気の知れる友だった。
あの日までは。
俺たちはいつもの場所で話していた。
その日、同学年の、いわゆる不良と呼ばれる奴らの喫煙現場に遭遇した。不良というのはいつの時代も日の当たらない場所で事に及ぶ。そして奴らも例外ではなかった。
地面に散らばる吸い殻を目にし、よからぬ事態に巻き込まれる前にその場を去ろうとした。
だが、何かの拍子に物音が立ち、奴らの一人に見つかってしまう。
いかにもボスみたいな風貌の男が、薄ら笑みを浮かべていた。
ツいていない。
でも別に何をされるということもない。
なにせ俺たちは雑草だ。奴らの気に留まることもないだろう。そう思っていた。
しかし世界は、俺が考えるほど甘くはなかった。
不良グループの誰とも目を合わせないまま歩き出そうとしたとき、ボスが徐に口を開いた。
曰く、目撃者は消さなければならない、と。
なんの冗談だと思った。アニメや映画の見過ぎだろとも思ったが、もちろんそんなこと言えるはずもない。
キョドっていたに違いない俺たちの反応が面白かったのか、奴らはケラケラと笑っていた。
そしてボスは何も言わず、手下たちに指示を出す。
気がつくと、俺たちは屋上まで連れて行かれていた。
ゆっくりと煙を吐き終えたボスは、唐突に言った。
「お前たちのどちらかがここから飛び降りれば見逃してやる」と。
こんな場所から落ちたら、ただでは済まない。
最悪、命を落とすかもしれない。
奴らにとっては、俺たちがビビっている様子を楽しんでいるだけなのかもしれない。
だが、当人にとっては大真面目なんだ。
雑草はなぜ人目につかない草むらに身を潜めるのか。
答えは単純だ。それが唯一の生きる術だから。
それができなければ、残された道は一つ。
そこから先はあまり覚えていない。
ただ一つ、確かなことはアイツが残した言葉だけ。
「ヌフラムの門で待ってる」
そう言うと、静かに俺の視界から消えた。
本当に一瞬の出来事だった。何が起きたのか分からなかった。
俺だけじゃない。奴らも慌てていた。
それ以降、俺の喉はその役割を終えた。
あとになって分かったのだが、不良グループはお偉いさんの子らしく、学校側が無理やり事件を揉み消したらしい。
俺はこの通り喋ることができなかったため、証言不十分だとか何とかで転校を余儀なくされた。
奴らと学校側からすれば、厄払いが完了したというわけだ。
背中を丸め、炭酸飲料を片手に、自分のブースの戸を開ける。
しかし、こんな生活も悪いことばかりではない。
長い年月を経て、大切な仲間もできたんだ。
七人の勇者支援部隊、実況視聴者たちだ。
彼らは支援部隊というだけあって、俺が旅に出るための投げ銭をしてくれる。多い時で一日に三千円も。
これがなければ、俺は魔物を狩りに行くことも、コンビニに行くこともできない。
とても大切な仲間たちだ。
そんな彼らだが、俺のように戦場へ赴くことはない。戦々恐々とした魔の巣窟での戦闘、毎日欠かすことの許されないデイリークエスト。そういった困難に挫折した戦友たちが、俺に希望を託してこの世界を去っていった。
今ではヘヴゲのプレイ人口は百人を下回っている。
俺は、そんな志半ばで散っていった彼らの期待にも応えなければならない。責任は重くのしかかる。
彼らの助けもあり、俺は全クリまであと一歩のところまで来ている。
しかし、クリア率は九十九%からピクリとも動かなくなった。それに気づいたのは二年ほど前。
残り一%の達成条件が未解決のまま、いたずらに時間だけが過ぎていった。
時間というものは有限であり、貴重な存在だ。
こんな生活をして何を考えているんだと自責した時期もあったが、そんなことは俺の重すぎる責務に比べれば無意味だった。
というのも、いきなり運営からサ終の知らせが届いたのだ。それも、ひと月後にまで差し迫っている。
始まりがあれば終わりは必ず来る。
サ終というのはオンラインゲームの宿命のようなもの。
分かってはいるし、分別もあるつもりだ。
だが、それでもやり遂げなければならないことが俺にはある。
だからこそ、貴重な時間を一分一秒たりとも無駄にはできない。
俺は持てる最大限の脳みそをフル回転させ、とある結論に辿り着いた。
長年の経験から導き出されたもの――ヘヴゲ完全攻略の最後のピースは、おそらく、いや間違いなく存在するであろう隠しステージ〈ヌフラムの門〉への到達であると。
もちろんこれは攻略サイトには載っていない、あくまで俺個人、いや俺たちの仮説の話。ゆえに推測の域を出ることはない。だが、俺は確信している。
そもそもヘヴゲのストーリーは、光の神ヌフラムと闇の神ヌルエルの戦いの物語だ。
千年前、神々の戦いは激化し、最終的に光の神ヌフラムがヌルエルを封印する形で勝利を収める。世界に平和が訪れたかと思えたが、何者かが闇の神の封印を解いてしまう。再び世界が闇に包まれる前に、勇者たち(プレイヤー)がヌルエルを倒すため世界を駆け巡る――
というのが大まかな流れだ。
ここで重要なのは、光の神ヌフラムが作中に一度も登場しないという点だ。
一方で闇の神ヌルエルはラスボスとして登場する。最終形態の龍神化には相当苦戦を強いられたのを覚えている。
これはあまりにも不自然すぎる。
普通、メインキャラならCVや姿形、挿絵の一つくらいはあるものだ。
また、一部のNPCの不自然な言い回しやゲームタイトルから察するに、このゲーム世界のどこかに存在しているはずだ――それが俺の導き出した答えだった。
ヌフラムがいるであろう門〈ゲート〉――それを俺たちは“ヌフラムの門”と呼んでいた。
そして、ついに辿り着いたのだ。
湿気と瘴気が漂うアヴァラスト洞窟内。ここはかつて、光と闇、二柱の神の橋渡しをしていた氷の神フィニムの聖域だ。ストーリー序盤に訪れる、低級魔物が無限に湧き出る場所。
いわゆるチュートリアル専用エリア。
設定上では、光の神ヌフラムがフィニムから氷愛の封印呪文を教わった場所。それを危惧した闇の神ヌルエルがアヴァラスト洞窟に炎の神を送り込み、氷山は溶け、魔物が棲みつくようになった――そんな経緯だ。
チュートリアル専用エリアだけあって、ここを訪れる冒険者はほとんどいない。まさに盲点だった。
この場所の、とある氷壁の前でレベルをカンストさせた後、ある呪文を唱える。
ヌフラムがフィニムから教わった氷愛の封印呪文。この呪文は長ったらしい詠唱にも関わらず、低級魔物しか封印できない役立たずの呪文だと、当時ほとんどの冒険者が使うことはなかった。
フィニムがヌフラムに託した想い――一体それはどんな想いだったのか。
そんなことを思いながら呪文を唱える。
だが、ただ唱えるだけではダメなのだ。
フィニムは言葉を話せない神。
つまり手話――手信号で呪文を詠唱する必要がある。これは古代呪文に相当する難儀な技術であり、使える冒険者はほとんどいない。
幸い、俺はケチな報酬しかもらえない手信号に関するサブクエもきっちりこなしている。また、現実でも声を失っていたため、ある程度こういった動作には慣れていた。
俺はゆっくりと、確実に手信号で呪文を唱えた。
『光は闇を照らし、闇は光を包み込む。
氷は炎を鎮め、炎は氷を昇華させる。
風は大地を育み、大地は風を癒す。
全ての元素は円環を保ち、やがて永劫をもたらす。
〈エターナル・ラヴァル〉』
呪文を終えると大地が揺れ、氷壁が崩れ落ちていく。
なんとも神々しく、壮大な光景だった。
現れたのは、百段を優に超える氷の階段。
その先に、俺たちが待ち望んだモノが姿を現した。




