これからの話
「これから、話を始めるところだ」
アリアは、草原に残された朽ちた丸太に腰掛け、風が奏でる歌に耳を傾けていた。
遠く、どこまでも届くようなメロディにつられて、青々とした葉っぱが右に左にと波打つ。
草木が踊りたくなるのも頷ける蒼天の下、お供も連れずに真っ直ぐ地平の彼方を見つめていたアリアは、気もそぞろ、といった感じで鞘に入った剣の柄に何度も触れた。
待っているのは、彼女の友であり、部下でもある親衛隊たち。
エキドナに負傷を負わせられたプリシラが、今日、ようやくオフィールと共にこちらと合流できると手紙で知らされた彼女は、自ら二人を出迎えることにしていた。
内緒で待機しているから、ここを通りかかった二人が自分を見つければ、きっと、あっと驚くことだろう。
「いや…プリシラは怒るかもしれんな。『姫様、お供も連れずにお一人なんて!』とか言いそうだ」
つい上機嫌になって、独り言を口にする。プリシラの声真似など生まれて初めてやったが、自分でも呆れるくらい似ていない。
ガタン、ガタン、と行商の馬車が横を通り過ぎていく。
荷台に乗った荷物のなかに、ミストマリアがあるのを見かけたアリアは、商人を呼び止め、いくつかそれを買った。
丸太の元に戻り、ミストマリアを頬張る。水気を多量に含んだ果実が、風と共にフルーティーな香りを運んでくる。
エキドナの件で、霧の村は王国の支援を受けられるようになった。村を離れたくはないと言っていた人々もそのまま残ることができ、孤児院だって、礼拝堂はボロボロになってしまったが、このまま運営を継続できる。
それらは、魔族が住んでいた場所を調査するため、便宜上、村に与えられた恩恵であるわけだが、この際、きっかけなどどうでもよかった。
自分のやったことに意味はあった。
そう感じられることのほうが大事だ。
シスター・ノームの言っていたことを思い出す。
流れ人には頼るのではなく、自分自身が救世主になれと。
「…救世主など、大仰だな」
ぽん、と隣にミストマリアを置く。
果実は陽光を浴びて、瑞々しく輝いていた。
やがて、街道の彼方から、見慣れたシルエットが近づいてきた。
馬を並べ、やいのやいのと文句を言い合っているらしい二人――オフィールとプリシラだ。
アリアは、城からさほど離れていないので馬は使わず、徒歩でここまで来ていた。
口喧嘩に一生懸命になっているらしい二人は、丸太にアリアが座っていることにも気がつかず、すぐそこまでやって来た。
「品がないのです、私は絶対にそんな賭け事には乗らないのです!」
「いいじゃんかよぅ、な?ただ城に戻るのも面白くねぇし、付き合えよ、プリシラ」
いつもの元気な声を聞いて、アリアは安心して立ち上がりかけた。ところが、直後、オフィールたちが語った内容を聞いて、ぴたりと動きを止める。
「嫌ですぅ」
「じゃあ、お前は、アリア様が深白と懇ろな関係になってるかもって思うわけだな?」
その発言にアリアは絶句しつつも、度々繰り返している深白との『約束』を思い出してしまい、顔を赤くする。
「オフィールの馬鹿!そんなこと、あってはならないのですっ!」
「うしっ、それなら賭けようぜ」
「望むところなのです。姫様が深白さんと何の関係も持っていなかったら、親衛隊の宿舎の掃除、三ヶ月は変わってもらうのですよ」
「おう、いいぜ?でも…悪いがな、相棒。私はこういう賭け事には昔から滅法強ぇ。絶対にあの二人は人目を忍んで――」
これ以上は聞いていられない、とアリアは丸太から離れ、街道に躍り出た。
眉間に皺を寄せ、腰に手を当てた、見るからに怒り心頭といった様子の主君の顔を見て、二人はぎょっとしていた。
「相変わらず、お前たちは仲が良いな」
「げっ、アリア様…!?」
「開口一番、『げっ』とは…主君に対して素晴らしい挨拶だな、オフィール」
「うえぇ、いや、それは、その…」
なんとかごまかせないか考えているのだろう、オフィールは視線を右往左往させながら、言葉を探していた。すると、彼女が声を発するよりも先に、プリシラが馬から降りて口を開いた。
「ご機嫌麗しゅう、姫様。わざわざお出迎えに来て下さったのですか?」
「ああ。プリシラはきちんとした挨拶ができる部下で感心だ」
「とんでもありません」とキャスケットを脱いで一礼する相棒に、オフィールが馬から降りながら、「お前、汚えぞ!」と苦言を呈するも、ごすっ、とプリシラから脇腹を肘鉄されて沈黙した。
「オフィールとは日頃の行いが違うのですよ」
ふふん、と鼻を鳴らして同僚を揶揄するプリシラ。彼女は彼女で、なぜか自分は怒られないと考えているらしかった。
そうは問屋が卸さない、と眼差しを鋭くしてアリアは言う。
「お前の言う通りだ、プリシラ。さすがは、主君に関する下世話な話で賭け事をするような忠誠心の高い人間だな?」
「ひ、姫様…?」本気で自分に矛先が向くとは思っていなかったらしく、彼女は慌てて言い訳を始める。「さ、さっきのは違うのですよ!そう、オフィールが勝手に…」
「言い訳か?見苦しいぞ。話に乗ったプリシラも同罪だ。二人揃って、普段の掃除に加え、宿舎の庭の草むしりまでやってもらおう。たまには庭師も休ませなければな」
アリアは、二人が、「はい…」と肩を落としたのを確認すると、深くため息を吐いてから話を変えた。
「…とはいえ、よく無事に戻ってきた。エキドナとデニーロの一件、ろくに労えずに私たちだけ城に戻ってすまなかったな」
両手を広げて、二人に合図する。そうすれば、彼女らは顔を見合わせてから嬉しそうな顔つきになると、揃って駆け出して、アリアに飛びついた。
「私、頑張ったのですよ、姫様!」
「あぁ、知っている。プリシラが一番酷い怪我をしていたのに、あのとき、よく立ち上がって援護してくれたな。あれがなかったら、私たちはやられていた」
「えへへ…」
甘えるように顔を鎧にくっつけるプリシラに対し、オフィールは肩でも組みそうな勢いだ。
「アリア様、きちんと命令通り、デニーロの奴は私がやってやったぜ」
「オフィールが引けを取るとは思っていなかったが、たいした負傷もなく、あいつを倒したのはさすがだ」
「おう!」
主君にするような返事ではなかったが、自分の代わりにプリシラがそれを咎めてくれたので、何も言わずにいた。ただ、放っておくと痴話喧嘩が始まりそうだったので、アリアは彼女らから身を離すと、深く頷いてから口を開く。
「二人とも、これからも、その力を私に貸してくれ」
親衛隊の二人はそれぞれの言葉でアリアの求めに応じた。
「それじゃ、早速次の任務の話をしたいのだが…」
「えぇ!?帰ってきたばっかりだぜ?休ませてくれよぉ、アリア様ぁ」オフィールがごねれば、プリシラが、「文句を言わないのです。オフィールは私がリハビリしている間も、ぐぅぐぅ眠っていたはずですよ」と睨む。
変わり者の二人だが、ここまで気を許せて、信頼できる腕前の人間はそうそういないことだろう。
そして、自分と共に歩んでくれる仲間は、オフィールとプリシラだけではない。
「すみません、少し遅れましたか?」
カナリアの鳴くような声が蒼天を翔ける。
「いや」と振り向けば、そこには新しい仲間が――深白が立っていた。
親衛隊の紋章が入ったジャケットに、足元まであるローブ。下は、親衛隊の布地をそのまま使ったスカート。
深白の強い希望で、全身が黒を基調としてコーディネートされている。
いつまでも修道服では色々とまずい、ということで、親衛隊の衣装を仕立て直してもらったわけだが、これがなかなかどうして、彼女に似合っていた。
深白はプリシラとオフィールの、新たな仲間を歓迎するこそばゆい視線を浴びると、おどけた様子で微笑んだ。
出会ってすぐの儚げな微笑も良かったが、これはこれで悪くない。
アリアは先ほど買ったミストマリアをプリシラとオフィールに渡してから、ゆっくり、深白へと歩み寄った。
全てを喰む、オニキスの瞳。
吸い込まれそうだと見惚れつつも、最後の一つを彼女に向かって差し出した。
「これから、話を始めるところだ」
これで、竜星の流れ人の番外編は終わりとなります。
転移モノを転移先の世界の人間視点で書きたかった作品、お付き合い頂けた方がいらっしゃれば、光栄です。
少ないながらもブックマーク等をつけてくれた方のおかげで、こうして書き終えることができています。本当にありがとうございました!
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評価の頂け方次第で続きも考えますので、よろしくおねがいします!
それでは、またどこかで。




