異世界人である私と、貴方との約束.3
誰もが簡単に穢れるこの世界だからこそ、純白の光はその美しさを際立たせる。
久しぶりに、晴れやかな気分だった。
振り返って眺めた美しい女性が、「望むところだ」と答えるものだから、いっそう最高の気分になった。
窓枠から降りて、アリアへと近づく。彼女の顔が一瞬で緊張に支配されたのを感じ、深白は嬉しいような、くすぐったいような、そんな気持ちになった。
ベッドに腰掛け、こちらを見上げていた彼女が、さっと目を逸らした。
ついさっきまで凛として、自信と覚悟に満ちたような顔をしていたくせに、こういう雰囲気になるとすぐにこれだ。
(もう、可愛らしくてたまんないなぁ)
深白はアリアの両足の間に片膝をつくと、両手を彼女の白い首の後ろに回した。
「ま、待て」
「ん?」
「も、も、もうするのか…?」
アリアが俯いたまま言葉を詰まらせるものだから、つい口元が綻ぶ。顔を上げていたら怒られたかもしれないが、今のアリアにそんな余裕はない。
月明しか部屋を照らすもののない空間でも、彼女の顔が真紅に染まっているのがハッキリと分かる。それを見ているだけで、胸がじゅくじゅくと疼いた。
「するよ」
ゆっくり、這うように、両手の指先をアリアのうなじから、耳の後ろ、そして、柔らかですべすべした頬へと動かす。
「あ、う…」
ぴくっ、と何度も体を微動だせるアリアを見ていると、何か分からない感情が背後に忍び寄ってきた。
その正体を確かめないまま、額をこつん、と重ねる。熱でもあるのではないかと思えるほどに、彼女の額は熱かった。
「言ったでしょ、もう『限界』だって。喉が渇いて仕方がないんだよね」
「わ、分かった、だ、だが、ちょっと、待て、待ってくれ――」
アリアの制止を無視して、唇を首元に移動させる。ぺろりと舌なめずりしたのを見ていたのか、アリアは声にならない声を上げて自分の首を隠した。
むっ、とアリアを恨めしく見つめる。すると、彼女は素早く目を逸らした。
「約束、破らないって言ってなかったっけ」
「もちろんだ。破らない、破らないから…ちょっとだけ待って…くれ」
今にも消えそうな声で呟いたアリアを見ていると、どうにもならない衝動が沸き起こった。
アリアの首元に無理やり、がぶっ、と何の前触れもなく噛み付いてやれば、彼女は吐息混じりの悲鳴を上げて驚きを示した。
「うぅ…み、深白…」
「私、犬じゃないから、『待て』はできないよ」
微笑みと共に、深白がナイフを取り出す。何もないところから出てきたみたいな手際の良さは手品のようだった。
「動かないでね。傷が残らないようにするから」
アリアからの返事がなかったため、「いい?」と再確認すれば、彼女はこくこくと何度か頷いてみせた。
深白は細心の注意を払いつつ、切っ先をアリアの首筋に入れた。
ほんのわずかな抵抗の後、アリアの小さな悲鳴と共に赤い宝石が姿を現す。
むせ返るような血の匂い。脳髄をかき回すほどの魅力に、深白は生唾を飲んでアリアを上目遣いに覗いた。
「じゃあ、吸うね?」
「うっ…聞くな!そんなこと…どうせ、待てって言っても待たないんだろう!?」
もはや、今のアリアに氷のような仮面はない。あるのは、羞恥心を煽る行為を前にして、右往左往する年相応の姿だ。
深白は、投げやりな言い分をするアリアに嗜虐心を駆り立てられ、思っていないことを口にする。
「待ってあげようか?」
「え…ほ、本当か?」
アリアの動きが一瞬だけ止まる。気持ちを整える余裕ができる、とでも思ったのかもしれない。
どうせ、そんな余裕は永遠に来ないくせに。
「嘘だよ」
そう言うや否や、深白はアリアの首筋を垂れる血に舌を這わせた。
「やっ」と短く、アリアが声を発する。脳内物質の生成が加速させられる声だ。
舌が脳に届ける、甘美で濃厚な味わい。
これ以上はない、と叫びたくなるくらい、潤いに満ちた刹那。
垂れていた血を舐め取れば、次にやるのは予告通り、傷口から血をすすること。
じゅる、と音を立てて吸えば、アリアの体が揺れた。
「うぅ…」
いつもの凛とした声が嘘みたいに、高い、悲鳴同然のうめきが上がる。
その声を聞いて顔を上げた深白は、アリアの顔を見て、『罪悪だ』と思った。
上気した頬、切なそうな吐息、潤んだ灰色の瞳。
瞳は、焦げつくように燃えていた。
焦げついたものは、なに?
私?
あぁ、そうだ、私だ。
こんな目で見つめられたら、離れることなんてできない。
そんなの、あまりに業が深すぎる行為だ。
「…じ、じろじろ見るなぁ」
ここは、酸素が薄い。
当たり前だ、これだけのものが燃えている。
灼熱と渇きに突き動かされて、アリアの肩をマシュマロみたいなベッドに押し込めば、「きゃっ」と可愛い声が聞こえた。
間を置かずして、深白はアリアの肩――エキドナにつけられた傷が治りかけているところ――に素早く、新しい傷をつけて、血をすするべく吸い付いた。
「いっ…!」
痛みに喘ぐアリアに構わず、じゅっ、と強く血をすすり、喉を潤す。
胸が弾み、飛んでいきそうな感覚に浮かれながら、深白はその行為を遮二無二なって繰り返す。すると、急にアリアが深白の首の後ろに手を回した。
「み、深白…!」
抱きしめられ、震える声で名を呼ばれ、思わず、深く息を吐き出す。
この気持ちの正体はなんだろう、と血を吸うついでに考えていたところ、ふと、思い当たるところがあった。
――幸福感。
随分と久しい名前に、どうしてか、深白は月を探すべく無理やり体を起こした。
月は、常に彼女と共にあった。
太陽が日陰で生きる深白に何の恩恵も与えてくれない一方、月明かりは常に彼女の道程を照らしていた。
探していた月は、自分を照らす青白い月光は、今、深白の目の前にあって、ぺろりと舌なめずりした彼女を下から照らしている。
(綺麗なものは、綺麗なままで…)
誰もが簡単に穢れるこの世界だからこそ、純白の光はその美しさを際立たせる。
荒い息遣いで頬を紅潮させたアリアを見つめ、深白は喉元に這い上がってきた充足感ゆえに彼女をからかいたくなった。
「ねぇ、興奮してる?」
「なっ…!?」目を丸く見開いたアリアは、すぐに屈辱を晴らすために凛々しい顔つきに戻った。「していないっ!」
ぱしっ、と脇腹を叩かれる。遠慮のない振る舞いに、かわいいな、と感想を抱く。
「ふふっ」
深白は、いつまでも顔を真っ赤にして、得意のポーカーフェイスも崩してしまったアリアを見ていると、我慢できずに吹き出してしまった。
「なんだ、何を笑っている、もういいのか!?」
「あはは、はは」
「済んだのならどけ、深白!ああ、もうっ」
確かに、アリアの言う通り十分潤った。これでしばらくは血を求めずに大丈夫だろう。
深白は最後にもう一度だけアリアの首筋をぺろり、と舐めると、恨めしい顔をして自分を見る彼女に言った。
「ふふ、顔、真っ赤だよ?」
夕方頃に、エピローグを投稿してこちらの物語はお終いになります。
今までお付き合い頂けた方は、よろしければそちらまでご覧になって頂けると幸いです…。




