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姫騎士は、異世界人の少女と血の約束を交わす  作者: null
六章 黒耀の蝶

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黒耀の蝶.4

天から降り注ぐ、赤い雨。

「おい、深白、深白っ!」


 最後の力を振り絞るみたいにして、扉を閉めて子どもたちを逃した深白へと、アリアは喉が張り裂けんばかりに叫ぶ。


 深白は死んだのではないか、とアリアは思った。扉にもたれかかり、力なく項垂れた深白の様子にはそれだけぞっとするものがあった。


 この位置からでは、その生死も確認できない。だが、それを確かめる暇など一ミリもないことぐらい、彼女は分かっている。


「エキドナ…っ!」


 自分の中にこれほど激しい感情が存在していることに驚きつつも、プリシラを、そして、深白を傷つけた憎むべき相手を睨みつける。


 彼女が手にした青い刃の如く鋭い眼差し。自らの知性すらも黙らせようという闘争の意志が、灰色の瞳のなか、激しく瞬く。


「許さん…もう絶対に、許さん!」

「怖い顔。視線だけで殺されちゃいそうだわ」


 煽るような発言を受けて、いっそう怒りの炎は強く燃え上がる。


 ぶんっ、と長剣を振り下ろし、未だに辺りを漂っていた塵を風圧でことごとく払ったアリアは、真っすぐ中段に剣を構えた。


「すぐにでもそうしてやる。お前が望むと望まざるとに関わらず、今すぐにだ!」


 地を蹴り、一気に間合いを詰める。


 傷を負い、体力だってかなり消費しているアリアだったが、その加速は今までで一番の勢いであった。


 怒りは力の原動力だ。それはいつの時代も変わらない。


「貴方たちだって私の子ども殺したというのに、傲慢ね、全く」


 エキドナの振り回す死の鞭をかいくぐりつつ、一歩、また一歩と前進する。しかし、時間をかけて五歩も進んだかと思うと、苛烈な尻尾の一撃を受けて、剣ごと十歩ぶんほど後ろに弾き返されてしまう。


 それを何度か繰り返していると、呆れたふうな口調でエキドナが声を発した。


「人間は、どうして何でもかんでも自分を基準にして考えるのかしら。この世界で、一番自分勝手な理屈を振りかざしているのは、貴方たちだって言うのに」

「偉そうに…!お前が人間の何を知っている!?」

「知っているわ」


 天井近くまで尻尾が振りかぶられる。アリアは建物に激震が走るほどの一撃が来ることを察し、大急ぎで横っ飛びしてそれを回避する。


 バンッ、と乾いた音の後、普通ならまともに立っていられなくなるくらいの振動が起きる。同時に巻き上げられた粉塵に顔をしかめていれば、木片が彼女の頬をかすり、赤い線を浮かび上がらせた。


「人間ほど賢くて、技術や知識を継承できる生き物はいない。そして、欲深く、脆弱で、残酷な生き物もまた同じで、いないのよ」


 粉塵が晴れる。アリアは真っ直ぐ立って訳知り顔なエキドナを睨みつけると、ゆっくり切っ先を持ち上げた。


 無言の凄みを前にしても、魔族は一切怯まない。それどころか、自分の言っていることが正しいと証明された…そう言わんばかりに満足そうに笑う。


「…その瞳が語っているわ。気に入らない相手を完膚なきまでに叩き潰すことしか考えていない――人間の業の深さを」

「お前などが…たとえ一言たりとでも、私を語るな」

「ふふ。ねぇ、貴方は魔族と協力することを選んだデニーロやノームよりも、ずっと罪深いと思うわ。なぜなら――」


 アリアはエキドナの言葉を待たず、駆け出した。


 次で決める。命を賭した、最後の攻めだ。


 エキドナは魔族の名に相応しい強さを持っている。プリシラの毒と、腕の立つ前衛が二人以上いないと勝利は望めないだろう。


 しかし、たとえ相手がどれだけ強大な敵だろうと、勝ちの目がまるで見えなかろうと、負けるわけにはいかない。


 自分が剣を取ったのは、いつかこういうときに、己の信念を穿ち立てるかの如く、貫き続けるためだ。


 エキドナはそんなアリアの姿を見て、失望したみたいに肩を竦め、首を小さく左右に振った。


「…デニーロとノームは、自分の手が泥と血とで汚れていることを自覚していた。そのうえで、大事なモノのために汚れた道を選んだ」


 夕焼けで赤く染まる礼拝堂を、アリアは長剣を肩に担いで高く飛ぶ。


 一方のエキドナは、身動ぎ一つしていなかった。


 ただ、眩しく飛ぶ彼女を見つめ、独り言を発していた。


「――二人とも、嫌いじゃなかったわ。人間の道理としては正しくなくとも、生きていくために取捨選択する姿は、『私たち』、そっくりだったもの…だから、人のことも、私は好きになれそうと思った」


 刹那、大きな牙がついたフードが展開される。アリアの身を串刺しにしようとしているのが、彼女自身もよく分かった。


 だからこそ、躊躇いなく飛び込んだ。


 迷いは勢いを殺す。


 今は、どんな感情も風に変え、駆け抜けるしかないのだ。


 ガキン、とぞっとするような音を立てて、巨大な牙が重なり合う。


 そこに、アリアの姿はなかった。


 彼女はフードの奥、つまり、エキドナ本体の前に降り立っていたのである。


「長い独り言は、もう終わりか?」


 脇を締め、長剣を大きく振りかぶる。


 胸を突いても効果がなかった。ならば、蛇の体からエキドナ本体を切り離すほどの斬撃を与えるしかない。


「だったら、その言葉を辞世の句にして、消え果てろ、エキドナッ!」



 凄まじい袈裟斬りは、驚くべき鋭さと速さでエキドナの上半身を切り裂いており、アリア側の手応えも間違いなくあった。


 しかし、不思議と『終わった』という確信がなかった。むしろ、その逆だ。


 顔を上げる。アリアの目の前には、傷口から血ではなく小さな青い蛇を無数に出したエキドナの姿があった。


 ふぅ、とエキドナが吐息を漏らす。アリアとは反対に、彼女には『終わった』という確信があるようだった。


「貴方の罪深いところは――自分自身は正しく綺麗なままで、誰かを裁こうとするところよ」

「正しく、綺麗なままで…?」


 なぜか、その言葉がやけに頭に引っかかったのだが、理由はすぐに分かった。


 深白も、同じようなことを言っていた。


 …綺麗なものは、綺麗なままで、と。


 その逡巡が、大きな隙をアリアにもたらす。


 エキドナの傷口から飛び出してきた蛇の群れが、こちらに目掛けて牙を剥いた。


 アリアはすぐに集中を取り戻し、剣を先ほどとは逆の軌道で振り払う。


 矮小な蛇の群れ如き、彼女の鋭い剣術の敵ではなかった。もちろん、エキドナだってそんなことは分かっていた。


 エキドナの狙いは、その直後の隙だ。


 大きな蛇の頭に覆われた薄闇の中で、きらり、とエキドナの異様に鋭く尖った爪が鈍く輝く。


「くっ!」


 そこから先は反射で動いていた。


 卓越した槍術を繰り出されているような一突きを、剣の腹で軌道を逸らしてかわす。


 チリッ、と爪先が頬をかすめる。


 血がアリアの白い頬をつたうも、そんなものに意識を割く暇は当然なく、続く一突きを回避するのに全神経を集中させる。


 空を裂く音と共に迫る攻撃を完全にかわしきった――そう考えた刹那、今度は絶対にかわせないという軌道で死の一撃が迫っていた。


 はっ、と息を飲む。


 数秒にも満たない時間が、永劫にも感じられた。


(か、かわせないっ…!)


 身を後ろにずらす。下がる速度より、迫る速度のほうが当然速い。


 そうして、エキドナの爪がアリアの喉元を貫こうというとき、横から違う何かが割り込んできた。


 細く、鋭いものだ。一瞬、オフィールのことが脳裏をよぎったが、牙の隙間から漏れる光を受けたそれは、剣ではなかった。


 割り込んできたそれは、エキドナの腕を貫き、彼女自身の外殻とも呼べる蛇の頭部に内側から突き刺さった。


「な、何よ、これは…!?」


 腕をピン留めされたエキドナは、目を丸く見開いてそれに触れた。それからややあって、手に力を込めると、バキッ、と乾いた音を立ててそれを折る。


 すると、水の入っている袋を破いたときのように、血液らしきものが多量にこぼれ落ちた。


 エキドナが何か傷を負ったのかと思ったが、そうではない。彼女は血という血は流していないのだ。


「一体、何が起きている…」


 エキドナと同じように困惑していたアリアは、距離を取ることもせず、互いの間合いに入ったままで滴る血を観察していた。


 やがて、外殻を閉じたままでは何も見えないと判断したエキドナが、フードになっている蛇の頭部を後ろへと格納した。


 突き刺さった角度からして、右側から打ち込まれたものに違いない…とアリアは差し込む夕日に顔を曇らせながらも、そちらを見やる。


 そこにいたのは、右手を真っ直ぐ伸ばした、黒と白をまとう少女――深白だった。


「深白…!?どうして、傷は致命傷だったのでは…」


 エキドナの尻尾に突き破られた胸の傷は、どこを探しても見当たらない。代わりに、丸く切り抜かれたような修道服と、火傷の痕のような痣だけが深白の白い胸にあった。


 ただ、彼女の足元には血溜まりがあった。やはり、大きな傷を負ったのは疑いようもないのだが…。


「どういう手品なのかは分からないけれど、何をやったって無駄――」


 不意に、パリン、という音が礼拝堂に響いた。


 エキドナとアリアの周囲に深い霧が生じた直後、エキドナのつんざくような悲鳴が轟いた。


 言わずもがな、割れたのはプリシラのフラスコ瓶で、生じたのは毒の霧だ。


「オフィール流に言うと、ざ、『ざまあみろ』なのですよ」


 礼拝堂の長椅子を杖代わりに立っていたのはプリシラだ。


「プリシラ!」


 顔色は酷く悪いし、肋でも負ったのか脇の辺りを抑えている。ただ、幸運なことに致命傷ではないらしい。


 彼女はアリアの呼びかけに応えるようにして、頷くと、「後は、任せましたのです」とずるずる前のめりに崩れ落ちた。


「…ああ、私に任せろ!」


 プリシラの頑張りを無駄にしないためにも、両手で剣を天高く振りかぶる。


 しかし…。


「いい加減、鬱陶しいのよ、貴方たちはッ!」


 エキドナは血走った目でそう叫び、両手を交差させて振り払う、その風圧だけで霧を散らすと、凄まじい勢いで体を跳ね上げた。


「なにっ!?」


 その拍子に、アリアの体が天高く舞った。



 天窓から差す黄昏の光を受けて、アリアの深い青の鎧が鮮やかに輝いた。


 肩甲骨辺りまで伸びたアイボリーの髪が広がり、ティアラがきらり、と銀の雫を深白の瞳に落とす。


(本物のお月さまみたい…)


 何にも染まらない月輪が、深白にだけは見えるような気がしていた。だが、それはもちろん、ただの幻覚である。


 深白は、絶体絶命の窮地でも、普段の氷のような表情を崩さないアリアの絢爛さを堪能すると、高く右手を掲げた。


 突如、深白の胸の痣が白光を放ち始める。


 イメージとしては、空気を練り上げる感じ…。


(自分の意思では使えないから、一度も意識して練習はしていないけど、大丈夫。だって、死にかけてても上手くやれたんだから。しかも、二回もね)


 利き手とは逆の手で、自在にナイフを操る。


 その緻密さに比べたら、こんなものは自分にとって『技術』ですらない。


 足元に広がっていた自分の血が、少しずつ空気中に浮かび上がっていく。


 赤い珠が、一粒、一粒、折り重なって形を作る。


 やがてそれらは、赤く大きな十字架を模した姿に変わると、その鋭い先端をエキドナのほうへと向けるべく、くるりと回転した。


 ちょっとだけ、気が遠くなる。


 こんな量の血が自分の体から流れ出ているなんて、想像したくない…けど、事実そうなのだ。


 胸の穴を埋めたのも、エキドナの腕を貫いたらしい棘も。


 全部、私の血だ。


 神経を尖らせる。エキドナはすでにアリアに熱中しているから、外すことはないだろうが…念には念を、だ。


 さっさと終わらせて、血が欲しい。


 深白は、落下しながらも、諦めることなく剣を振るおうとしているアリアの首筋を見つめた。


 嫌われたっていいから、もう一度、あの人の血が飲みたい。


 いや、嘘だ。


 嫌われるのは…ちょっと、嫌だ。


 どうしてかは、よく分からないけど…まだ、あの人とたくさんの言葉を交わしてみたいと思う自分がいる。


 とにかく、今の自分がするべきなのは…。


「…さっさと終わらせること、だよね。お母様」


 ふと、どこからか、『よくできました』とお母様の声が聞こえてきた気がした。そう言って頭を撫でてくれたお母様は、もういない。


 深白は大きく息を吸った。


「エキドナさん!」


 響く、深白の声。


 エキドナの瞳がこちらを捉える。そして、空中に浮いた大きな十字架を目にして、ぽかんと口を開ける。


「――向こうで、シスターによろしく」


 堕ちるのは、彼女もシスターも同じ地獄の底だ。


 …そう、私も、同じ。


 素早く手を前に倒す。


 たおやかな指先に導かれた十字架は、ずどん、という鈍い音を奏でてエキドナの横腹をえぐり取るように貫通する。


 蛇の胴体と切り離される、エキドナの美しい凹凸に富んだ体。


「…っ!?」


 もはや、悲鳴を上げることもできないようだ。


 最後の一撃を叩き込む告死天使は、エキドナのすぐ真上に迫っていた。


「これで、決着をつける!」


 アリアは流星にも似た軌道で舞い降りると、そのままエキドナの体をつむじからへその辺りまで、美しい剣でもって両断する。


「せいやあぁっ!」


 天から降り注ぐ、赤い雨。


 それらを全身に浴びながら、アリアはゆっくりと立ち上がり、剣を鞘に納める。


「…さらばだ」

みなさん、お疲れさまです。


みなさんのちょっとした楽しみになれればと、執筆しておりますが、


一ミリくらいはそうなれているでしょうか?


何はともあれ、ご覧になって頂きありがとうございました!


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