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姫騎士は、異世界人の少女と血の約束を交わす  作者: null
三章 月明かりのない夜を

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月明かりのない夜を.4

誰が何と言おうと私だけが決められる、私の道だ。

 さっきの魔物など比較にならないほど大きく太い蛇の胴、それについた妖しい光を放つ群青の鱗。そして、大きな牙がずらりと並んだ大きな頭。


 その容貌と相手が発した言葉に声を失っていたのも束の間、突然、蛇の頭の部分がぱかりと中央から果実みたいに割れ、中から女性の上半身が現れた。


「あら、私の子どもたちが…酷いことをするものだわ」


 艶やかな女性そっくりだった。体皮が毒々しい青色で、髪の毛のような部分が蛇であることさえ除けば。


 爛々と光る赤い瞳には、知性の奔流が確かに感じられる。


「…魔族だ」と誰かが言った。それが自分の洩らした声だと気づいたとき、アリアは自分が動転していることに気づいた。


 十年前のことを思い出し、体が強ばる。


 恐怖というプリミリティブな衝動に今すぐ斬りかかりたくなったが、得策ではないぞ、と冷静な自分の声にどうにか救われ、その場に留まる。


 蛇女はアリアたちが殲滅した魔物の死骸をしばらく眺めていたかと思うと、すぅっと四人へ視線を映し、美しく微笑んだ。


「まぁ、また産めばいいものね。それよりも、ご客人をもてなすことが大事だわ」


 闇から、ずるずると彼女の長い胴体が現れる。一体どれだけ長いのか、10mどころの話ではなさそうだった。


「私の名前はエキドナ――素敵でしょう?自分でつけたのよ」


 エキドナは長い尾を窮屈そうに自分の体の前に出したかと思うと、上半身を前に倒し、四人へ顔を近づけようとした。


 当然、四人は反射的に後退した。


「うふふ、そんなに怖がらなくてもよくないかしら?」


 鈴を鳴らすような美しい声だ。彼女がずっと闇の中にいて、そこから話しかけてくれるという約束を固く守るなら、ずっと聞いていたいほどに。


 だが、現実はそうではない。


 追い詰められているのだ、自分たちは。


「村の人間を襲っているのは、お前か」


 とにかく、何か言わなければとアリアは言葉を絞り出す。


「んー…?」


 人差し指を頬に添え、小首を傾げる蛇女。小馬鹿にしているとしか思えない反応だった。


「昨日、湖畔で私たちを襲ったのもお前だろう」

「あぁ、それはそうね。その子が、とっても美味しそうだったから」


 あっけらかんとした返しに、一同がより警戒を強くする。


 何とも言えない熱を帯びた眼差しをエキドナに向けられ、身を竦めたプリシラの前に、オフィールがすっと庇うように立つ。その目には、ごうごうと燃える憤りが渦を巻いていた。


「もう、怖い顔。あのね、悪く思わないでほしいの。貴方たちだって、何か食べないと死んじゃうでしょう?私たちだってそうなのよ」


 エキドナはやがて広間に入ってくると、四人を取り囲むようにぐるりと部屋の外周に身を這わせた。攻撃の前兆かと思って身構えたが、彼女はそのうち巣のほうへと移動すると、とぐろを巻いて自分の胴に頬杖をついた。


「人が魔物を喰うように、魔物も人を喰うというだけ。大丈夫、安心して。今はお腹が空いていないから、貴方たちを襲おうとは思わないわ」

「それを信じろというのか」


 退却するための道はできた。しかし、狭い洞窟のなか、背後からエキドナに奇襲されたらひとたまりではあるまい。こうして、広い場所で対峙しても生き残れるのか分からないのだから。


 アリアの疑念に満ちた問いかけにも、エキドナは笑うばかりだった。人間ごときと舐められているようだ、と眉間に皺を寄せれば、エキドナはいっそう愉快そうに笑った。


「食べるつもりなら、とっくの昔にそうしているわ」


 エキドナは美しい女性そっくりの顔つきだったが、赤い三日月の端からはみ出ている舌先は二つに裂けており、彼女が蛇の血統にあることを改めて思い出させられる。


「魔族と人間の力の違いくらい、賢い生き物である貴方たちなら分かるでしょう?」

「どうかな。試してみるか?」

「強がるのはおよしなさい。損なだけだわ」


 そう言うと、エキドナはゆっくりと身を自らの胴体に寝かせた。凹凸に富んだ体つきが強調される姿勢になった彼女を見て、一瞬、神々しい絵画をイメージしたことをアリアは酷く恥じた。


「あのね、綺麗なお人形さんたち。さっきも言ったけど、私は別に人間が恨めしくて襲うわけじゃないの。空腹を満たすために必要なことだから、最低限しか襲っていないつもりよ。私はむしろ、人間とは仲良くやれているほうじゃないかと思っているの」


「…人間と、仲良くだと?」


 それを聞いた瞬間、アリアは虫唾が走る想いがして表情を歪めた。


「戯言を。貴様たち魔族が、人の暮らしを破壊し、無用としか思えない殺戮を繰り返してきた成れの果てを、私はこの目で見てきた。そんなお前たちと人間が仲良くなどできるはずもない」


 かつての自分がそうだったように、魔族が人を追い詰めているのは事実だ。


 オフィールやプリシラだってそう。彼女らも守るべき村を魔族の配下によって焼き払われてしまっている。


 そんな三人を前にして、気軽に口にしていい話ではなかった。オフィールとアリアは言わずもがな、怯えていたプリシラさえも怒りに身を震わせ戦闘態勢を取っていた。


 エキドナは自身に向けられた敵意を感じ取ると、盛大にため息を吐いた。愚かな少女たちを憐れむような艶っぽい吐息は、いっそうアリアたちの闘志をたぎらせる。


 しかし、直後、エキドナが見せた行動にアリアはハッとした想いにさせられる。


 彼女は青い指先を床へと向けた。


 そこに広がる、赤い血溜まり。エキドナの同胞である、蛇の魔物たちが流した血だ。


 それが意味するところが察せられたアリアは、口を半開きにして固まった。そして、数秒かけてまた動き出したかと思うと、自らが手にした剣の柄に視線を落とし、付着したドロドロの血を見つめた。


(同じだというのか…?私がやったことは、あの日、お父様たちの身に降り掛かった悲劇と…)


「――似ているわ、魔族と人は」


 エキドナの声は、酷く冷めていた。あえて言うなら、深白の声色に最も近い。


「常に『侵略する者』であり、『侵略される者』でもある」


 アリアは、エキドナの話に呆然としていた。彼女の言うことには一理あると思ってしまったのだ。


 人間の歴史は常に戦争の歴史だと、誰かが言っていた。そして、実際に歴史はそうして紡がれている。人の歴史が戦いと流血によって形作られているのは間違いない。


 …当然、侵略されることもあれば、逆もまた然りだろう。今の魔物と人間の関係と同じように…。


 何事にも公平なアリアだからこその揺らぎ、動揺だった。


 何が正しい?


 何を正義として、何を斬ればいい?


 自分自身が辿るべき道は…。


 一方、オフィールは違う。その灼熱を伝播しやすいプリシラも。


「分かったようなことほざいてんじゃねえぞ、てめえ」


 エキドナの赤い瞳がオフィールを捉える。しかし、それでも彼女は怯まない。


「てめえとその間抜けなお友だちが、先に人間を襲った。だから、まとめて斬られて、蛇革にされる。お友だちも、てめえもだ」


「…『卵が先か鶏が先か』。想像していたより、話ができないのね、人間って」


 エキドナの感情が、冷めた想いから、呆れ、そして、失意に変わっていくのがはっきりと分かった。


「黙るのです、蛇女。魔族の歴史は人間の歴史の何万分の一にも満たない。貴方たちが『侵略者』であることは、疑いようもない事実なのですよ」


 二人の発言は、自警団に所属し、常に侵略される側だったからこその言い分だろう。そこに間違いはないと思うし、今の話題を出されてお冠になるのも理解できる。


 だが、アリアはそうではない。彼女はいつも、『誰かの代わり』に魔物を打ち払い、時に侵略し、根絶やしにしてきた。


 松明の光を受けて色を変えたアイボリーの髪が、洞窟の入り口から吹き込んでくる風で揺れる。


(…デニーロの自己正当化のための言葉などより、よっぽどくるものがあるな…こいつは)


 表情一つ変わらないアリアだったが、その心内は悶え苦しむようにうねっていた。少なくとも、自分の部下が勝手に戦闘態勢に入っていることを止めようとはしないくらいに、周りが見えなくなっている。


 アリアの様子を訝しがった深白が、そっと静かに彼女の隣へと移動し、その青ざめた顔を覗き込んだ。


「…アリア様?」


「あ…え?な、なんだ」ハッとして顔を上げる。深白の少し強張った顔と視線が合う。


「なんだ、ではなくて…このままでは二人とも勝手に戦い始めそうですよ。予定通りなら、撤退するべきタイミングじゃありませんか?」


 そのときになって、アリアは自分の部下が激昂するままに戦いの火蓋を切って落とそうとしていることに気づいた。


「いかん…」


 自分は何をやっていたのだ。エキドナの言葉には確かに悩むべき点がいくつもあるが、今はそれどころではない。


「プリシラ、オフィール、下がれ。ここは引くぞ」慌てて後ろから声をかけ、二人を止める。「悔しいが、私たちだけでやり合うにはリスクが大きすぎる。一度本国に戻り、騎士団を連れて来るんだ」

「嫌です」


 想像もしていなかった返答に聞き間違いかと眉をひそめる。すると、オフィールは肩越しにこちらを振り返りながら、はっきりと、もう一度だけ告げた。


「すみませんが、その命令だけは聞けませんね、アリア様。私は、私たちはもう魔物相手になんか、逃げ出したくないんですよ」


 オフィールが相棒に頷いてみせれば、自然とプリシラも前に出てそれに応じた。


「申し訳ありません、姫様。こればかりは…」


 一応の謝罪をしてみせる彼女だったが、目に滾る闘志から、プリシラも主の命令を聞くつもりがないことは一目瞭然だった。


「おい、お前たち、これは命令だ」

「ここでこいつを叩いておかないと、また村の人間が食われますよ!いや、村自体、ぶっ潰されるかもしれねぇ。そんなのは…もう絶対に見たくねぇんだ。私も、プリシラも!」

「こいつの言い分が正しければ、今すぐ村が壊滅するようなことにはならない」

「魔物のボスが言うようなことなんて、信頼できやしない!そうでしょう、アリア様!」


 オフィールの金髪が闇に吸い込まれそうになりながらも、炎の揺らめきを反射して輝いている。強い意志の奔流に飲まれかけつつもどうにか踏みとどまり、アリアは首を左右に振る。


「お前の心配も分かるが、だからといって、ここで私たちだけで戦って解決できる問題でもないんだ。嫌だとか、逃げ出したくないだとか、そういった次元の話ではない。魔族は魔物とは違う、聞き分けろ!」


 アリアは、真っ直ぐな目で親衛隊の二人に危険を説いた。しかし、彼女らは最終的にはぷいっと顔を背けて、臨戦態勢に戻ってしまった。


「お前たち…!」


 これでは本当に二人で戦いを始めてしまいかねない。幸い、エキドナは事態を静観することにしたようだから、アリアは二人の前に出て、行く手を遮るようにした。


「いい加減にしろ、撤退するという約束だったろう!?無駄死にするぞ!」


 無駄死に、という単語が気に障ったのだろう。オフィールは目くじらを立て、挑発的な口調でアリアに言った。


「あんたは逃げればいい」

「オフィール――」

「プリシラ、お前は黙ってろ」


 相棒にすら冷徹な態度を取った彼女は、じろり、と挑みかかるように主を睨みつけた。プリシラはどこか諦めたふうに、キャスケットを深く被り直し、エキドナへと視線を投げた。


「私が…自分の命惜しさに撤退を促していると思うのか、オフィール」


「…いいや、そんなはずはねぇ。あんたに限って、そんなことは。分かってるんです、アリア様。ですけどね、私とプリシラは、こういうときに戦えるように、今までこうして生きてきたんだ。アンタに助けてもらったあの日から――燃える村を見捨てて逃げたあのクソみたいな夜から、こういうときに、もう逃げ出さなくていいようにするために…っ!」


 それ以上は、上手に言葉を紡ぐこともできなかったのだろう。オフィールはバツが悪そうに顔を背けると、「あんたと深白は逃げてもいい。そうするべきだ。でも、こっからは私たちの生き方の問題…口を挟まないでくれませんか」と言い捨ててしまい、もう二度と二人を振り返ることはなかった。


 いつか、こういうときが来るとは思っていた。


 オフィールとプリシラは、無力だった過去を払拭するために自分と行動を共にしている。


 生き方の問題だ。変えようもなければ、止めようもない。それができる権利も。


 脅威から逃げることで命をつなぎ留めた彼女らにとって、逃亡は敗走を意味し、生の意義の放棄を意味するのだろう。


 だが…。


 エキドナは、相変わらず知性に満ちた瞳でこちらを見ていた。選択を待っていることが、嫌でも感じられた。


 彼女は逃げる者を追わないという直感があった。すなわち、嘘を吐いていないという直感だ。だが、一方で、歯向かう者には容赦はないだろうという確信もあった。


 間違いなく、選択の時だった。


 アリアは十秒ほど目をつむった。自分の魂が行くべき道を、その魂に問いかけていた。


「アリア様」深白が呟く。

「ああ…言いたいことは分かっている」


 ゆっくりと、瞳を開く。


 そのときにはもう、迷いも躊躇もなかった。


「分かった。お前たちの生き方、命だ。勝手に捨てろ」


 はい、と少しだけ悲しそうな声で二人の部下が口を揃えて返事をした。それを確かに聞いてから、アリアはエキドナを緩慢な動きで振り返り、ひと思いに剣を鞘から引き抜いた。


 キィン、と響き渡る、鞘滑りの音。


 それはいつも、アリアの心を落ち着かせた。


「ちょ、あんた…!?」


 オフィールが目を丸くしている顔が目に浮かぶ。続けて、プリシラも声を発した。


「ひ、姫様、なりません!この戦いは――」

「これが、私の生き方だ」


 プリシラとオフィールの制止の言葉を遮り、アリアはさらに続ける。


「誰が何と言おうと私だけが決められる、私の道だ。口を出すなよ、オフィール、プリシラ」

ご覧いただき、ありがとうございます!


次回の更新は火曜日になります。


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