(7)
翌日、薫たちは早々に家路につくことになった。
というのも、ひねった足の腫れが結構ひどく、湿布を貼ってもとても観光に堪えられなかったからだ。
なにより陸、それからスポンサーの父と母が帰っておいでと命じれば、帰るしかなかった。
陸に、カミサマの名前探しという事情を説明して、味方になってもらおうとしたが、完全理系の兄には到底理解できないことだったらしい。バカにしていると思われ、余計にへそを曲げられてしまった。
バスはキャンセル。北野天満宮もおあずけのまま、新幹線の車窓をため息混じりで見つめる。
ちなみに新幹線自由席の三列席、車窓側が薫、真ん中が兄、通路側が瑛太という配置だ。
瑛太と相談したいこともあったから、兄の存在がじゃまだ。それに、なんだか暑苦しい。
見た目は結構なイケメンのはずなのに、彼女ができないのはこういう配慮のないところに理由があるような気がする。海くらい、おおらかであればいいのにと思う。
「瑛太くんはー、別に残って観光していっても構わなかったんですけどー」
「ちょっと陸兄、感じわるいよ。なんなのそれ。一人置いていったら、可哀想でしょうが」
というより、カミサマ憑きを一人で置いていって、何かあったら怖い。
「もう高校生だから、一人でも大丈夫だと思うけどー。俺が高校生のときは、青春18きっぷで全国をぐるぐるまわってたしー」
一体どうしたというのだろう。妙に風当たりがきつい。つい先日までは、こんなことなかったのに。
「喧嘩でもしたわけ?」
こっそり(と言っても、間に兄がいるので筒抜けだが)問いかけると、げっそりした顔の瑛太は小さく首を横に振る。
「薫、今度から旅に出たいなら瑛太じゃなくて俺に言えばいいから。兄ちゃんが電車でどこでも連れて行ってやるから」
「なんなんだよ、今更。昔わたしがいくら行きたいって言っても、連れてってくれなかったくせにー! っていうか、妹連れて行かないで、彼女作って彼女と行きなよ!」
痛いところを突かれたらしく、兄はむうっと黙り込んだ。
家に帰ると、お説教が待っていた。
瑛太とともに座敷に座らせられる。薫は怪我もあって足を崩しても許されたが、瑛太は自主的に、ものすごく綺麗な正座をしている。
「あのねえ、薫。私は信用してるって言って、送り出したと思うのよ」
母は大きくため息を吐く。
「だからー、怒られるようなこと何もしてないってば。ほぼ予定通りだったし、そもそも予定変更になったのって、海兄のせいだよね」
「だからその時点で連絡すべきだって言ってるの。男の子と二人きりの旅なんて、許すわけないでしょうが」
母はゆっくりと、穏やかに言うけれど、目が据わっている。
薫は、なんで怒られているのかわからなかった。理不尽さに腹が立ってきて、涙目で訴えた。
「男の子って言っても瑛太だよ。兄ちゃんたちと一緒だよね? なのに何を心配することがあるわけ!」
母は一瞬固まったあと、薫と瑛太の表情を順に見比べる。そして何かを会得したかのように頷くと、ひどく気の毒そうな顔をした。
とそのとき、母の携帯電話が着信を告げる。
「あら、海だわ。取り込み中なのに。ほんと間の悪いったら……」
母は一瞬迷ったが電話に出る。
「なに、海。謝るために電話かけたの? あんたねえ、いつも自分のことしか考えてないのは、昔からだったけれどいいかげん――え、は? なに言って――」
母が目を大きく見開くと、顎を落とす。そして呆然と耳から電話を離すと、
「結婚するって、絵麻ちゃんと」
とつぶやいた。
「…………」
しん、と座敷に沈黙が落ちたあと、
「ええええええええええ!」
一転、皆が叫んだ。
母が根掘り葉掘り聞いたところによると、今回の絵麻さんの突撃が決め手となったらしい。
海がゴールデンウィーク中に一日も休みを取らなかったのは、早く一人前になりたいという一心からだったそうだ。
絵麻さんに会いたいとは思ったけれど、帰ってもすぐ戻らなければならないし、遊ぶこともできないのに呼び寄せるわけにもいかないし、と諦めていたという。
だけど、やってきた絵麻さんに、『無理して遊ぶこともないし、一緒にいられればいい』と、ストレートな愛の告白をされて、心が一気に動いたという。
兄は就職したばかりじゃ早いかなと言っていたけれど、母は絵麻さんの身になってみれば遅いくらいだと叱っていた。
そしてその会話をスピーカーで聞いていた瑛太も陸も、そろって砂糖を吐きそうな顔をしていた。
約一名――弟に先を越された陸――を除いておめでたいムードのせいなのか、なぜかあっさり説教から解放された瑛太が、玄関先で靴を履きながらつぶやいた。
「なにがどう転ぶかわかんないな」
「だね」
薫は見送ろうとするけれど、「足痛いだろ、そこでいい」と遠慮される。
せめて玄関の外までとサンダルを履く。ドアを開けると、外はまだ日の光が満ちていた。
瑛太は眩しそうに目を細めた。
「ひょっとしたら、アイツはあれでも、神様として仕事をしてるのかもしれない」
「え? カミサマが?」
「浮気してるかもって言ってけしかけただろ。で、結果、鈴木さんはその言葉に背中を押された。一歩を踏み出す勇気をくれるのが神様なら、理にかなってる」
「うーん……つまりはあれって、縁結びをしてくれたってこと?」
瑛太はふと目を瞠った。
「あ、もしかしたら……アイツ、あれもこれも縁結びのつもりなのか?」
だとしても、方法はもうちょっとなんとかならないのかよ――と瑛太はぶつぶつなにか言っている。
「なに? なにが縁結び? 意外だー、瑛太ってそういうの興味あるの?」
ひどく疲れた顔の瑛太は答えをくれない。
「じゃあな」
瑛太は階段を降りる。いつもなら次の計画を口にする瑛太が、なにも言わなかったことに気づく。
なんだかこれっきりのような気がして、薫は慌てて彼の背中に声を投げた。
「また行こうね。神社巡り。次はどうする? 《天神》? 《熊野》? 《白山》? 《八幡》? 《若宮》?」
それとも《神明》――伊勢神宮。薫は、未解決のままの《祇園》、八坂神社も思い出す。
結局はっきりと候補から消えたのは、《稲荷》だけだ。
だけど、回り道でも、一歩ずつでも、前に進めばきっと最後にはたどり着く。
「ちゃんと解決するまで、付き合うからね」
瑛太は振り返る。そしてなにかを恐れるような顔で、薫をじっと見つめる。
「無理に付き合ってないか? 宇気比で負けた責任感じてとか。もしそうだったら、降りてもかまわないから」
「無理とか思うわけないよ」
薫は伝え忘れていたことを思い出した。
瑛太が玄関の前の階段を一段降りると、目線の高さが重なる。
薫は少しだけ声を潜めた。
「だって、旅行、めちゃくちゃ楽しかった。だからまた瑛太と行きたい。――今度は怒られないように、うまくやるし」
生まれて初めて自分で決めた道を歩いた、今までの旅とはまったく違う旅。薫がずっとしたかった旅だった。
いしし、といたずらを企むように笑うと、瑛太は一瞬目を見開いたあと回れ右をした。
「……とにかく早く足を治すこと」
自宅の方へと駆けていく彼の耳は、なんだか赤いような気がした。
《完》
第一話、完結です。感想などいただけると励みになります!
※第二話は別小説に分けることにしました。既にお読みいただいていた方、申し訳ありません。




