五 京都へ(1)
絵麻さんには悪いと思いつつも、その後、薫と瑛太は京都行きを決定し、旅行の計画を立てはじめた。
夜行バスを使って京都に向かい、海のアパートに一泊。それから翌日の夜にまた夜行バスで戻るという、実質三泊二日の弾丸旅行計画。
海のところへ瑛太と一緒に遊びに行くと告げたところ、母はあっさりすぎるほどあっさりと頷き、薫は拍子抜けした。今まで、何度頼んでも絶対だめだと言っていたのに。
聞けば薫一人だと迷子が心配だけれど、瑛太が一緒ならその心配はないからだという。
ばんざいと諸手を挙げて喜んだ薫だったけれど――壁は別の意外なところにあった。
それは、5月1、2日に休みを取り、9連休を実家で過ごそうと早々に戻ってきた長兄、陸だった。
二人で計画ノートを作って提出すること。それが母の出した条件だった。
だから連休初日の4月29日に瑛太を自宅に呼びつけて、移動手段や宿泊などの細かい日程を割り出している。
薫と瑛太はリビングの隣にある客用の和室にローテーブルを出して作業していたが、母と兄の会話は筒抜けだった。兄が無理やり襖を開けていったのだ。うるさいから閉めたいのだけれど、瑛太がそのままでいいと遠慮した。
「海のところに行く? なんでいきなりそんな話になってるわけ?」
ダイニングでは、兄の刺々しい声と母ののんびりした声が、不協和音を奏でている。
母と兄の喧嘩はいつものことだ。大雑把な母と几帳面な長兄は、いまいち反りが合わない。
「前からずっと京都に行きたかったんだって。けど誰も忙しいって、付き合ってあげなかったでしょ」
「京都に行って何すんの?」
「神社巡り」
「流行りの御朱印集めとか? そんな趣味あったっけ?」
「このごろ、目覚めたみたい。近ごろ、瑛太ちゃんとちょくちょく神社巡りしてるんだよ。私には何が楽しいかわかんないけど、スタンプラリーみたいな感じなのかもねえ」
御朱印集め? 何だそれ、と流行りものに疎い薫は、顔をしかめる。
「母さんさあ、もうちょっと気にかけてやらないとだめだと思うけど。薫たち高二だよ。父さんはなんて言ってんだよ?」
「瑛太ちゃんなら安心だって。母さんもそう思う」
「だーかーらー、その意識が問題だって言ってんの」
「――大丈夫だって。陸、相手はあの瑛太ちゃんだよ。おとなしい草食動物だよ」
「そっかあ? なんか急に色気づいてるし、いつまでもそう思わないほうがいいって」
「海のとこに行くのに、心配しすぎでしょ。ほんと、過保護なんだから。それより自分の心配しなさいよ。なんで、ゴールデンウィークをまるまる実家で過ごすとか、寂しいことを言ってるわけ。
普通ここはデートでしょ。彼女いない歴が年齢なんて、母さん情けない。せっかくイケメンに産んであげたのに。陸みたいなのを、世間では残念なイケメンって言うわけよ」
「余計なお世話だ! 母さんがそんなだから、俺が心配しなきゃならないんだろ!」
兄が怒鳴ったのを機に、薫は跳ねるようにして叫んだ。
「――ちょっと陸兄、うるさいよ! お母さんがいいって言ったんだから、いいんだよ! もう決定なんだよ!」
襖を閉めながら叫ぶと、薫は移動手段の検索に戻った。
(ほんっと、陸兄、何を心配してんだか……相手は瑛太だっての。弟だってのー!)
小さくため息を吐く。
「えっと、バスはこっちを23:00発で、京都に着くのが6:00みたい」
「…………」
瑛太の手が止まっているのに気づいて、薫はスマホから顔を上げる。
「あれ? 瑛太? どうした?」
瑛太は、どこか引きつった顔をしていた。
「あ――いやなんでも、ない」
薫が首を傾げると、彼は気まずそうに顔を背ける。
「ええと、八坂神社に最初に行くとして……でも実質二日あるんだし、それだけで帰っちゃうのもったいないよね。ついでに観光したいなあ」
パラパラと雑誌を開く。薫が自主的に購入した旅行ガイドブックだ。
「もったいないっていうか、他に絶対見ないといけない場所が二箇所ある」
「え、どこ?」
「ほら、《稲荷》が中途半端になったままだから。伏見稲荷大社は外せない。それから、《天神》――『北野天満宮』にもついでに行っておいたら、効率いいよな?」
「あ、そっか。京都のやつは全部片付けちゃうわけだ」
「当たり前だろ。せっかく行くんだから」
「じゃあさらに、伊勢まで行っちゃう?」
思いつきで言うと、瑛太がはぁ? と目を丸める。
「……伊勢と京都は結構、離れてると思うけど。薫、地理って苦手だったっけ」
地図帳を開く。
日本地図の京都府と三重県を指さされる。なんとなくすごく近いような気がしていたけれど、改めて見ると、自宅から箱根までくらいの距離があって愕然とした。
「あ、無理だね、これ」
関東以外の距離感はどうもつかめない。いや、関東でさえも怪しいけれど。
ふと薫は疑問に思う。
「あれ、でもそういえば、伊勢はなんで行かないの? っていうか、手がかり多そうだし、京都より先に伊勢に行っておいたほうがよくない?」
すると瑛太ははじめて可能性に気づいたのか、はっとした顔をした。
「かもしれない。そう言われると、手がかりのある伊勢に一番に行くべきだよな。……いつの間にか、行かないようにアイツに操作されてた感じがする。あー……なんか、こういうの、気持ち悪い」
瑛太の葛藤が目に見えるようだった。
無駄足は踏みたくない。だけど、行きたくない。そんな葛藤が。
もしかしたら、伊勢に行くのが正解なのかもしれないと、薫も思う。
だけど、この間あんな小さな神明神社でもきつかったのだ。伊勢など、市内に入っただけで瑛太は倒れてしまうかもしれない。
そうなると、目的を果たすどころではなくなる気がする。目に見える挫折が待っているのならば、避けるべきだと思った。
「でも、アマテラスじゃないって思ってるんだよね?」
瑛太は頷いた。
「本当に戻りたかったら、反発じゃなくて引き寄せられるんじゃないかって思うんだ。……どうしても行くっていうんなら、そっちの計画立てるけど」
「カミサマの名前探しなんだから、カミサマのしたいようにするのが、きっと吉だよ」
薫は、自分にも瑛太にも言い聞かせる。
瑛太は肩の荷が下りたのか、ホッとした顔をする。
だが、すぐに顔をしかめて、「でも、それでいいのかな」と思考を戻そうとした。
「大丈夫、大丈夫。いいんだよ、間違ったらやり直せばいいだけだよ。それに、伊勢だったら許可、取り直さないとだめだよね?」
瑛太は苦笑いをする。そして、小さく息を吐いて背筋を伸ばした。
「だな。じゃあ今は京都に集中しよう」
目をノートに落とした瑛太が、ふと目を細める。京都市内の地図が貼り付けてあり、目的地に丸が付けられていた。
「問題は、その三社が結構離れてることと、伏見稲荷大社がめちゃくちゃ広いってこと」
「そうなの?」
「伏見稲荷大社は、稲荷山全体がご神体になっててさ……つまりは」
「登山!?」
瑛太は頷いた。
「山頂にも神社がある。ここは半日見てたほうがいいと思う」
瑛太はノートの1ページに伏見稲荷大社とタイトルを書き、所要時間最低三時間と書き込んだ。
「どう動けば一番効率的だろうな……」
スマホの地図アプリで経路検索をする。
だけど、電車とバスの経路が入り組んでいて頭が混乱してくる。
どれが一番効率がいいか、ああでもないこうでもないと真剣に話していると、襖がバアンと左右に開く。
「もしかして俺の力が必要か?」
薫は顔を引きつらせた。
現れた陸の目が爛々と輝いている。
先程反対していたのはどこのどいつだと思ったけれど、話題が話題だけに仕方がないと思った。
「鉄オタは出て行け!」
長兄は、鉄道などのダイヤのことになると目の色が変わる。時刻表があれば頭の中で全国を旅することができる、変わった趣味の人だった。
兄は薫と同じく旅好きだけれど、彼の旅には目的地がない。
電車に乗ることが目的になっている旅には、誰もついていかない。山手線を何周もする旅など、一度で充分だった。
(あの趣味のせいで、彼女がいないと思うんだけど)
薫はうんざりとしたけれど、瑛太が振り返って尋ねる。
「最初に八坂神社に行きたいんですけど、次はどこがいいですか?」
あっさりと、検索ソフト代わりに使うことに決めたらしい。兄は目を輝かせる。
「うーん、でも伏見稲荷大社が京都駅から一番近いから、最初にすべきなんだけど。ほら、京都駅でJR奈良線に乗り換えれば、稲荷駅まで5分だ」
「できれば八坂神社が最初がいいんです」
「そうか、なら――」
兄は楽しげに複数のルートを挙げる。
驚くべきことに、バスルートまで完璧に頭に入っているらしい。
地図アプリよりよっぽど正確でわかりやすい説明に薫は呆れるが、瑛太は黙々とメモをとっている。
これは自分の出番はなさそうだ。任せてしまおうと、薫は腰を上げた。




