(3)
目的の本は案外すぐに見つかった。
広い本屋だから発掘作業が大変だろうと思っていたけれど、予めピックアップしていた本のタイトルを書店員さんに告げると、すぐに案内してもらえた。
小難しそうな新書と、イラストなど盛りだくさんのムック本を数冊手に取った瑛太は、少し目を通して、結局ムック本と、『解説 日本書紀』と書いてある新書を購入した。
「日本の神話には古事記の他にもう一つ、日本書紀ってのがあるんだけど。――俺、これについてはあまり詳しくなくて」
「それで買ったんだ?」
瑛太は頷く。
「今まであんまり興味持てなくて。古事記は読んでて面白いんだけど、なんだろうな、日本書紀はいまいち引き込まれなかった」
瑛太は、買ったばかりのもう一冊の本をじっと見下ろす。漫画チックなイラストが、なんだか浮いている気がして、薫は尋ねた。
「なんか、そっちは導入って感じなんだけど?」
「俺の読んでるやつは、マニアック過ぎて薫が読めないだろ」
「え? わたしが読むわけ!?」
驚いて声を上げると、
「基礎くらい頭に入れておいてもらわないと、俺がいないときに支障が出るし。この間みたいに名前を尋ねるチャンスを逃されたら困る」
稲荷神の名を言えなかったことを言われて、薫は文句を呑み込んだ。
たしかに、カミサマが出てきているときには瑛太がいない。カミサマに詳しくないと、手がかりが得られない。
責任重大だと、今更ながら気がついて薫は青くなる。
「それに、一緒に考えるときには図があったほうが説明が楽だし」
付け加える瑛太は、どこか楽しそうだった。
駅にたどり着くと、シュークリームの専門店から漂う甘い香りが鼻に届いた。
とたん、ぐう、と薫のお腹は空腹を訴える。時計を見ると11時半だった。
「瑛太、ご飯どうする?」
「んー……今日は午前中だけの予定だったから、持ってきてないんだよな」
街に出るのに、おむすびはさすがにないかと薫は笑う。
「家に帰って適当に食うかな」
「だね」
そう言いつつ薫は空を見上げた。まだ日は高い。
このまま帰るのもありだけれど、部活がないのですることがない。勉強しろと母が言うだろうと思ったら、うんざりとした気分になった。
「瑛太は午後はどうするの?」
「うちでさっき買った本を読むけど。調べたいことがあって」
「じゃあ、遊び行ってもいい?」
「は?」
瑛太がぎょっと目をむいた。今までも――というより、先月三兄が大学に進学するまで――ゲームだ試験勉強だと普通に家を行き来していたから、まさかの瑛太の反応に薫は驚いた。
「えっと、さっきの本、見せてほしいんだよ。ほら、家帰ったら絶対勉強しろって言われるし」
「……あ、あぁ」
瑛太はどこか落ち着かない様子で考え込んでいたけれど、
「…………そうだ、二ノ宮神社に行く? 社務所借りて読めばいいし」
と難しい顔で言った。
「なんで?」
「散らかってるし、……うち今、誰もいないし」
家に誰もいないなら、そっちのほうが気楽じゃないかと思いつつ、嫌ならしょうがない。無理強いはしないと薫は頷く。
「そう? じゃあ、お昼食べてから自転車で行こっか」
休日だけあって、二ノ宮神社にはちらほらと人がいた。
この間の野球少年は、もうシーズンに入って忙しいのだろうか。そんなことを考えながら社務所に入ると、巫女さんが笑顔で挨拶をしてきた。
「あっ、薫ちゃん! 久しぶり~!」
「絵麻さん、お久しぶりです。いつも海兄がお世話になってますー!」
何を隠そう、この巫女さんの鈴木絵麻さんは次兄、海の彼女である。
しかも、小学生のときからのおつきあいという、年季の入り具合。
あの次兄は、兄弟で一番の堅物のような顔をしておいて、隅に置けないのだ。
これまでに女の影がまったくない、長兄の不甲斐なさを考えると、少し泣けてくるけれど。
「ねえねえ、あいつ、ゴールデンウィーク帰ってくるって言ってた? メール送っても、仕事が終わればとかで要領得ないんだよ」
絵麻さんは、むうっと口をとがらせている。
ぼんやりしている兄と、嫉妬深い彼女という組み合わせのせいなのか、喧嘩は年中行事だが、まただろうか。
だが、兄が大学に進学してからの遠距離恋愛も未だ続いているし、本当に仲が良いのだと思う。
苦笑いをしながら、火の粉がかからないようにと、さっさと逃げることにする。
「あー……訊いときますね!」
一応スマホを取り出してメールを送っておくと、絵麻さんは満足したのか、仕事に戻った。
「鈴木さん、ちょっと隣を借りますね」
瑛太が靴を靴箱にそろえて入れている。薫も続いて、社務所の奥の部屋に小さな机を出す。
そして勝手にお茶を淹れると、トートバッグの中から先程買った本を二冊取り出した。
薫は畳の上に座布団を敷き、座ると早速本題に入る。
「で、瑛太。調べたいことがあるって言ってたけど……何?」
「俺、さっきの神明神社で気分悪くなっただろ。なんか、いつもと違うっていうか。内側から『やめろ』って拒絶反応があったっていうか……カミサマがあの神社を――祭神を嫌ってるっていう気がして」
「祭神って天照大神だったよね? 嫌う? 人気ナンバーワンを?」
「ナンバーワンは人間にとっての。日本の――ていうか古事記に出てくる神様ってさ、喧嘩はするし、嫉妬はするし、すごく人間臭いわけ。だから好き嫌い激しそう」
瑛太はムック本のページを開く。
「だから、もしかしたらそういう神様を調べたら手がかりになるんじゃないかって思ったんだ。となると、ある程度わかりやすく、特徴が端的にまとまってるのがいいなって」
なるほど、それで本屋に行きたがったのか、と薫は納得する。
本にはイラスト付きで、天照大神の誕生シーンが書かれていた。
「薫は古事記をどの程度知ってる?」
「いや、普通そんなに知らないと思うよ?」
どの程度と言っても、薫が知ってるのは、アマテラスが天岩戸に隠れて地上が闇に覆われた話と、スサノヲがヤマタノオロチを退治したという、有名な神話くらいだ。
そう言うと、瑛太は「やっぱり本はこれにしてよかったっぽいな」と小さくため息を吐いた。
「じゃあ、天照大神誕生の少し前の物語からはじめるけど」
瑛太が図を見ながらまず説明してくれたのは、日本の国産みの話だった。
日本の八島を産んだ男神の伊弉諾尊と女神の伊弉冉尊だが、伊奘冉尊が火の神を産んだときに火傷で死んでしまい、悲しんだ伊弉諾尊は死者の国――黄泉の国に迎えに行く。
そしてそこで、変わり果てた妻の姿を見て逃げ帰ってくるのだが、黄泉の穢れを祓ったときに左目から生まれたのが、天照大神。右目から生まれたのが月読尊、鼻から生まれたのが須佐之男だという。
「だから、天照大神と二ノ宮の祭神、須佐之男は姉弟ってことなんだけど」
「へえ」
純粋に物語として面白いなと思いながら、薫は相槌を打った。
「で、俺、気になってさ。須佐之男と天照大神は古事記の中で結構派手な喧嘩をした。天岩戸の神話だって、須佐之男が乱暴狼藉をしたせいで怒った天照大神が隠れたって書いてある」
瑛太は続きのページを開いた。そこには馬の皮を被って笑っている須佐之男のイラストが描いてある。
「須佐之男と仲が悪いって言いたいわけ? でもここの祭神なんだよね? 前、反応しなかったし、今もしないよね?」
「だからさ。ここじゃだめなのかもって。前に言わなかったっけ? 記憶喪失のショック療法の話」
「あー、きっかけが多いほど戻りやすいみたいな?」
瑛太は憂鬱そうにため息を吐いた。
「それを確かめるには……やっぱり総本社にも行く必要があるんじゃないかって気がしてる」
「でもええと……総本社って?」
薫は、須佐之男を祀ってある神社は何だったかと記憶を探る。
「二ノ宮神社は祇園社。その総本社は京都の『八坂神社』だ」
「うわああ……京都は遠いよ!」
薫が思わず大きな声を出したところで、
「京都は遠いよねえ……」
と、隣室からどこか恨みがましい声が上がった。
「薫ちゃん、京都に遊びに行くの? ってことは、海、やっぱり帰ってこないって?」
「絵麻さん」
割り込んだのは、巫女仕事に戻ったはずの絵麻さんだった。
そういえばと思い出す。次兄は今、京都に住んでいるのだ。
ひらめいた考えを口に出していいものかと、瑛太を見ると、彼も同じようなことを考えていたらしい。
「今度の週末にはもうゴールデンウィークだよね? ほら、泊まる所があれば高速バスとか使えばなんとかなるかも」
とりあえず、宿の確保はできることがわかった。
だけど、交通費は工面するしかない。バスだとしても瑛太が首を縦に振らないだろうと思ったけれど、薫の予想は外れた。
「……行くか?」
どうやら、彼なりに切羽詰まっているらしい。
それはそうだ。実際に散財の被害を受けているのは薫ではなく、瑛太なのだから。
「ちょっとお、私を無視して何二人で悪巧みしてるわけ? おじいちゃんに言いつけちゃうからね!」
「悪巧みとか人聞きの悪い。じいちゃんに言ったら、絶対面倒なことになるんでやめて下さい」
瑛太が顔をしかめる。
「どうしよっかな。だって二人とも、私に全然協力してくれないじゃん。兄カップルが喧嘩してるっていうのに、薄情者~!」
「だって海兄との喧嘩とか、年中行事じゃないですか。付き合ってられないんですよ。っていうか、ちゃんと仕事して下さい」
瑛太はそっけない。
心の中で同意しながらも、薫はフォローする。こじれると大変なのは薫なのだ。
「海兄も、まだ帰って来ないとは、言ってないですし!」
とそのとき、タイミングがいいのか悪いのか、ぴろん、とその兄からのメールが届いた。
『やっぱ仕事で帰れない。絵麻には上手く言っといて。あいつ、これ以上怒らせたら、血管ブチ切れて倒れるし』
ひえっと思わず顔が引きつったとたん、
「なになに? んなんだとー!」
画面を覗き込んだ絵麻さんが爆発した。
「あいつさ! ほんと、釣った魚に餌はやらないって、このことだよ! 盆も正月も帰ってきたかと思ったら、忙しいとかで一日二日で戻っちゃうしさ!」
「絵麻さん絵麻さん、落ち着いて!」
社務所だということを忘れてもらっては困る。
薫がしいっと口の前に指を立てると、絵麻さんの顔が急に歪んだ。
「喧嘩ばっかりだから、帰るのが嫌になっちゃったのかな……」
しょんぼりとうなだれる絵麻さんは、ふと二ノ宮神社の本殿を見やった。
「ここ、縁結びの神様でもあるはずなんだけどなあ。長く一緒にいすぎたのかなあ……。小学校から一緒だったら飽きもするかぁ……あぁ……会いたいなあ」
ずっとここで祈っているのだろうか、そう思うと、かける言葉が見つからず、薫は言葉をつまらせる。
しばし沈黙が続いたあと、瑛太がポツリと言った。
「そなたも、見当違いなことを願うものだな」
薫はぎょっと目をむく。
この口調は……!
見ると、瑛太は眼鏡を机に置いて目頭をもんでいた。
「え、瑛太ぁ!?」
絵麻さんの願い事に反応しちゃった!? 慌てて口をふさごうとした薫だが、間に合わなかった。
「会いたいのならば、なぜ自分から会いに行かぬのだ?」
だが、絵麻さんは落ち込んでいるからか、それとも瑛太が変なのはいつものことなのか、気にせずに答える。
「巫女のバイトじゃあ、京都まで行くお金を稼げないんだよ。生きてくだけで精一杯。瑛太くんだって知ってるでしょ。ここ薄給だって」
「随分一方的な言い分だな。海とやらとそなたで、なんら条件は変わらぬではないか」
瑛太――カミサマの呆れた声に、絵麻さんはむうっと顔をあげる。怒りが力に変わったのかもしれない。
「なに、ちょっと瑛太くん、さっきから聞いてたら何なの、その変な口調に、生意気な言い草!」
薫は慌ててカミサマの首根っこを掴むと、
「ごめんなさい絵麻さん、こいつこのごろ、こういうのがブームで!」
と無茶なフォローをして引っ張っていく。
だが、カミサマの口は閉じない。靴を引っ掛けながら後ろを振り返り、捨て台詞のように吐き捨てる。
「そなたは金がないと言い、海とやらは時間がないと言う。その足りぬ二つは、私には同じものだと思えるのだがな。金がなければ時間を使うしかないし、時間がなければ金で買うしかないのだから。
ないものを嘆くのではなく、考えて工夫せよ。そなたがそんなふうに放っておくと、そろそろ愛想を尽かして、浮気の一つでもするかもしれぬぞ? いや、すでにしておるかもしれぬな」
薫は瑛太ごと殴りつけたい気分で、社務所から飛び出す。
(あー、もう! カミサマ、何やってんだよ!)
どんな反応をしているか怖かったけれど、薫は恐る恐る振り返る。
絵麻さんは呆然としていた。




