四 太陽神の女神(1)
「――んじゃあ、日曜な。神明系の神社の場所は調べとくから」
予鈴と同時に言い置くと、瑛太が薫の教室から出ていく。
ざわり、女子が何か囁きあった気がして、なんだろうと思って薫は後ろを振り向いたけれど、すでにクラスは平穏を取り戻しているようだった。
昼休みに瑛太が薫の教室へ訪れるのは、さほど珍しいことではなくなっていた。
最初クラス中がどよめいていたのが嘘のようだ。
「まるで――の約束だよね」
密やかな声に振り向くと、後ろの席の佳子と目が合う。
「え? 佳子ちゃん、なんて言った?」
彼女は小さくため息を吐き、
「なんかさあ、ニノミヤ、変わったよねえ」
と言う。
なんとなく前と同じセリフじゃない気がしたが、追及するほどでもない。
「…………そう?」
髪型はたしかに変わったけれど、他に何か変化があっただろうか、と薫は首を傾げる。
学校は当然、制服だ。
何の変哲もない詰め襟の学生服。他の男子生徒と何も変わらない。ただ、少しだけ背が高いだけで。
「いつも見てるとわかんないんだろうなあ。じわじわかっこよくなってる」
「えっ、どのへんが!?」
まったく理解できないのは、佳子が今まで瑛太のことを糞味噌に言っていたからだ。
髪を切ってきたときだって、髪型だけイケてるとかなんとか、ひどいことを言っていたくせに。
「目元が見えるようになったのは大きいよね。今まで、綺麗な目をしてるの、髪型のせいで気づかなかった。あのオンボロ眼鏡を外したらヤバいよ、多分」
(うん、それは知ってる)
最近、眼鏡を外した顔を何度も見た薫は思う。
だけど同時に、何を今更と思う。
「それに、ニノミヤって頭いいじゃん。学年で五番以内にいつも入ってる。このくらいの歳になると、運動神経の良さのポイントより頭の良さのポイントがじわじわ高くなってくるんだよねえ。ほら、やっぱり学歴って大事じゃん」
「でも、瑛太だよ? 中身はネクラで神社オタクだよ? ファッションセンスゼロだよ?」
たとえ外見が変わろうとも、薫にとっては中身は変わらない。
中身が入れ変わったときはびっくりするし、正直に言うと色気にあてられてドキドキしたりもするけれど。
(けど、それはカミサマに対してであって、瑛太じゃあないしなあ……)
遠い目になる薫に、佳子は言った。
「イケメンは何でも許されるんだよ。フツメンだったらキモいで終わるところが、『ちょっと残念』くらいで済まされるんだから」
「それ、地味にひどいよね」
つまりは、今まで瑛太のことをキモいと思っていた、という意味ではないのだろうか。
弟をけなされたような気分で薫が膨れると、佳子はニヤッと笑う。
「だから、あんたもちょっとは警戒しな?」
「何に?」
「そりゃあ、飢えたメス犬にだよ」
「瑛太に彼女ができるかもってこと?」
考えもしなかったことを言われて、薫は戸惑う。
佳子がニマニマと薫の様子をうかがっていて、癇に障る。
もしかして、薫が先を越されるのを笑っているのだろうか。
「……そりゃあびっくりだけど、万々歳じゃん。弟分の春はちゃんと祝ってあげるよ。赤飯炊いちゃうよ」
ちょっとムキになって言い返すと、佳子が、「かっ、薫! しーっ!」と口の前に人差し指を立てた。
後ろを振り向くと、教室の入り口に瑛太が亡霊のように立っている。
(わぁ、弟って言ったの聞かれた! ヤバい、切れる!)
薫は慌てて取り繕う。
「あ、あれ? 瑛太? どうかした?」
薫は瑛太がブチ切れるかもしれないと構えるが、瑛太は案外普通の顔をしていた。
「……金曜日、また金、預けに行っていいか訊こうかと思って」
「あー……」
また被害にあってはいけないということだろうけれど、薫としては、前回の神様の散財は正しかったと思っている。
この間、稲荷に行った翌日、瑛太はお腹を壊した。
母親からの情報によると、瑛太は母親から臨時で支給された病院代をケチろうとしたらしい。
さすがに医療費は親が出すらしいけれど、昔からの病院嫌いも手伝って、病院に行くふりをして家に帰ろうとしたところを神様に付け込まれた。
瑛太が弱って余裕をなくしている隙を狙って、神様は勝手に財布に残っていたお金を使ったのだ。
と言っても、サイズの合わなくなった靴を買い換えるという、すこぶる当たり前の使い方をしたのだが。
手持ちのお金と病院代は靴代に消え、さらに、親に病院に行かなかったことがバレて怒られた瑛太は、自分のお金で病院に行くことになってしまったのである。
まぁ、自業自得といえばそうなので、同情できない。
「でも、お陰で瑛太はすぐに学校に出てこれたわけだから、結果オーライじゃない?」
「オーライじゃない、全然」
瑛太は、そのときのことを思い出して気分を害しているらしい。
むっつりといつもよりも一段低い声で言うと、瑛太は「とにかく、預けに行くから」と言い置いて去って行った。
不機嫌な背中を見送って薫はため息を吐く。
「なんか機嫌悪くてごめんね。ほんと、昔から愛想なくってさあ」
からっと笑って言うと、佳子が、はぁ、と薫よりもさらに大きなため息を吐いた。
「……なんかニノミヤが、気の毒になってきた」
「え、なんで?」
訊き返すと、佳子は、
「あんた、ニノミヤの不機嫌の原因、ほんとにわかってないの? 薫、今、地雷三つくらい踏んだよ」
「えっ、三つ? 一つはわかったけど、残りって何?」
「ニノミヤが可哀想だから言わないけど」
佳子は、そこで真剣な目をする。
「私さあ、薫のそういうところ嫌いじゃないけど。でも、ぼさっとしてると、大事なもの失うことになると思うよ?」




