(5)
帰りの電車も空いていた。一車両に五名ほどしか乗っていないガラガラの電車で、長椅子を陣取る。
ぐぅ、とお腹が鳴る。スマホを見ると、既に4時だった。薫は「あーお腹減った……」と眉を寄せる。
すっかり忘れていたけれど、昼ごはんを食べ損ねている。
すると、瑛太がカバンをゴソゴソと漁り、小さな保冷バッグを取り出した。
中を覗くと、アルミホイルに包まれた手作りのおむすび。思わずごくりと喉が鳴る。
「朝握ってきたやつ。やる」
瑛太が短く言う。
そういえば、瑛太は昼食代を節約するために、自分で弁当を作っているのだ。休みの日までとは徹底していると感心しつつ、いただくことにする。
大きな海苔に包まれた、こぶし大のいわゆる爆弾おにぎりは、米粒が潰れない程度にちょうどよく握られている。
中には鮭のあらほぐしが入っていて、塩加減がいい感じだ。
(うーん、すごい。美味しい……)
意外な特技に感動しながら瑛太を見ると、彼はおむすびに手を付けていなかった。
「食べないの?」
「あんまり腹減ってない。食べたかったらもう一個やる。こっちは明太子」
油揚げがまだ効いているのだろうか。
そんなことを思いつつありがたくおむすびを完食し、ホッとため息を吐いた。
車窓からは、低空を雲がすごい速さで動いて行くのが見える。
「明日も雨かな」
薫はスマホを立ち上げると、天気予報を見る。
あいにくの雨だ。季節の変わり目だから仕方がないのかもしれないけれど、このところ曇天や雨天が多いなと思う。
カミサマが瑛太に憑いてからかもしれない。
「やっぱりカミサマ、願い事聞くだけ聞いて、あとは放置だったね。なんなんだろ、あれ」
願いを聞き出したものの、何か働きかけるわけでもなく。
願い事を聞いた薫と瑛太が手を貸したけれど、カミサマはノータッチ。見ているだけだ。
「せっかく動けるんだから、もっと力を貸してくれるかと思った。ほら、アニメとかだったら、不思議な力持ってたりするじゃない? 死んだ人を生き返らせたりとか」
「んー……そんなのいたら大変だろ」
興味がないのか、疲れているのか。生返事の瑛太は目をつぶっている。
彼は大あくびをすると、眼鏡を取って目頭をもむ。
その横顔が神社で祈っているときの彼の顔と重なり、ふと、ずっと気になっていた問いが口から溢れた。
「ねえ、瑛太の願い事って何?」
彼は目をもみながら即答した。
「自由に使える大金がほしい」
やっぱりか。と薫は呆れる。訊いたことを後悔する。
「薫は?」
薫は、自分の心の中で願い事を反芻した。
思うままに旅に出ていろんなものを見てみたい。そしていろんなことを感じたい。そして――生きていると実感したい。
だけど言葉にすれば笑われそうで、本当の願い事は心の中に押し込めて、別のことを口にする。
「そうだなあ……大学受験を飛ばして大学合格したいなあ」
瑛太は呆れたため息を漏らしたが――直後に黙り込んだ。
どうしたのだろうと隣を見た薫は、目を見開く。
眼鏡を取ったままの瑛太が、こちらをじっと見つめていたのだ。
何にも遮られない綺麗な眼差しに正面から突き刺され、どきりと胸が跳ねた。
「瑛太?」
「薫とやら。なぜ素直に願いを口にしない?」
まさか、このタイミングで《彼》が現れるなどとは、思いもしなかった。
「え、え――」
人目を気にして、カミサマですか? と小声で問いかけると、彼は頷いた。
「そなただけではない。先程の婆もこどもも。人間は本当の願い事は胸に秘めている。なぜだ?」
真剣な目で再度問われて、薫は考えた。
本当の願いを口にするのは、なぜか怖い。
自分でも暑苦しいと思うくらいの願いだ。
笑われそうで。そして真剣だからこそ、笑われたら立ち直れなさそうで。
複雑な感情をできるだけ簡単に言うと、こういうことだろうかと思った。
「あの……恥ずかしいから、かも」
「このエイタにしても、本当の願い事は口にしない。大きな態度の割に奥ゆかしいものだな」
「瑛太の、本当の願い事?」
瑛太の真剣な横顔が思い浮かぶ。
もしかしたら、薫が隠しているように、彼にも秘めたる願い事があるのかもしれない。
そしてその願い事は、神様にしか告げられない。
「願いは奥に秘めたままでは、叶うことはない」
カミサマは言った。
似たようなことを、たいすけくんにも言っていたなと思う。偽った願いは叶わない、そんなことを。
「ってことは、カミサマにきちんと告げれば、叶えてくれるんですか?」
薫は思わず尋ねる。
「いいや」
「じゃあ、どうやったら叶えてくれるんです?」
「なぜ叶えてやらねばならぬのだ?」
「だって、カミサマでしょう? カミサマってそういう存在じゃないんですか」
「……そなたはエイタに比べると頭が堅いな」
カミサマはそっけなく言うと、雲間から射した夕日に、眩しそうに目を細めた。
かと思うと、かくん、と舟を漕ぎ、いつものように突然の眠りに落ちた。
瑛太はそのまま、降りる駅までよく寝ていた。
降りる寸前、予定通り津田沼の本屋まで行くのかと尋ねると、疲れて胃が重いし、思ったより遅くなったから一緒に帰る、と言う。
カミサマの出現を知っているのかなあと思いながら見ていると、「願いは奥に秘めたままでは、叶うことはない、か」と小さくつぶやいた。
どうやら例によって、聞こえていたらしい。
駅から5分ほど歩くと、薫の家との分岐に辿り着く。この三叉路で瑛太は右、薫は左に進むのだ。
二ノ宮家の庭の遅咲きの枝垂れ桜には、まだ花が溢れるように咲いている。
薄闇に浮かび上がるピンク色を見て、いつ見ても綺麗だなあと目を細めていると、
「なんか進んでる感じがしないよな。今日だって、人助けして終わったし。自分の問題解決には程遠いっていうか」
瑛太が憂鬱そうにこぼした。
それは薫も感じていたことだった。
行ったら何らかのヒントがあるのではないかと思ったのだ。けれど、徒労感だけが残った。
「漠然とやっててもだめかもな。もっと頭を使って工夫しないと、だめなのかもしれない」
「工夫って言ってもねえ」
闇の中を手探りで歩いているようなものだと思う。
「例えば、だけど。カミサマは記憶喪失なわけだろ? 記憶喪失の場合って――まぁ、人の場合だけど――ショック療法が必要だと思うんだけど、小さな神社よりも、大きな神社のほうが歴史も古いし、その分長く滞在したかもしれない。思い出すための材料が多いんじゃないかって」
「じゃあ、大きな神社に行けばいいってことか」
瑛太は頷く。
「いっそ、総本社に行ければ解決するんじゃないかって思うけど……近くにはないんだよな」
「どこにあるんだっけ。稲荷神社は京都の伏見稲荷って言ってたよね?」
「ああ。他の社も全部遠い。八幡なんか九州の大分だぞ」
となると問題は時間とお金。
平日は授業がみっちり入っていて、おおっぴらにバイトもできない。時間も金もないのが高校生だ。
薫と瑛太はため息を吐く。
「とにかくできることから潰していくしかないよ」
先行きの不透明さに、瑛太の顔は暗い。
励まそうと薫は言葉を探して、はっとした。
「――あ、でも、稲荷は違うみたいだったよ?」
「根拠は?」
「『お稲荷さまですか』って訊いたけど、違うって」
瑛太は片眉を上げる。
「…………まさかだけど、本気で『お稲荷さまですか』って訊いてないよな?」
「え?」
「言わなかったか? 稲荷神社の祭神は『ウカノミタマノカミ』だって。通称を言っても反応なくて、当然だと思うけど」
「…………ええと」
正直に言うと、『そんなの覚えられるか!』だった。
だけど、それを口にする勇気がない薫は笑って誤魔化そうとする。
「けど、油揚げまで食べておいて何も思い出さなかったんだし! 多分違うんだと――」
「は?」
目を釣り上げていた瑛太が、じわじわと青ざめて口を押さえた。
「え、覚えてない?」
「なんか食ってたのは覚えてるけど――」
「お供えしてあったやつ。でも美味しそうにしてたよ? まぁ、……いつのかは知らないけど」
そこまで聞いた瑛太は、突如、胃を押さえる。
まさかと薫は冷や汗をかく。
「えっ、あれやっぱり新鮮じゃなかった!?」
「神饌が新鮮とか……それわざと言ってんなら許さん」
「いや、そんなこと思ってもないし……」
瑛太がまさかのダジャレ!
珍しいものを見たと薫が目を見開いていると、瑛太は痛恨のミスとでも言いたげに顔を歪めて、家に向かって走り出す。
そして門前に着くなり、トイレを求めて家に飛びこんだのだった。




