元帥に直談判
朝の鐘が鳴る前に、俺は第二騎士団長室の扉を開いた。
紙の山は、昨日より低い。それでも、まだまだ地獄が終わる気配はない。
俺が帰った後に新たな書類が持ち込まれている。
「ふぁ……」
団長は机の端で欠伸を噛み殺し、赤い髪を指で梳きながら俺を見た。
「おはよう、ホート。今日も地獄の始まりだ」
「おはようございます。アデルハイト団長。今日もよろしくお願いします」
団長はなんの疑いもなく、俺が差し出した書類に目を通していく。
だが、俺はある決意を持って、今日は仕事に取り組んでいた。
この書類を減らすことだ。
俺は机の上の束を一つ手に取った。
封蝋。紙質。押されている紋章。宛名。
第二騎士団長アデルハイト・フォン・グラーツ殿……全部、団長宛てになっている。そこが厄介だった。
ただ、内容を読めば分かる。団長の仕事じゃない。
報告書の束を捲る。
訓練場の修繕申請。
馬の飼料の追加発注。
第三騎士団の備品紛失の顛末書。
王城の配膳人の欠員補充要望。
……いや、それ、第二騎士団長がやる理由あるか?
俺は息を吐いて、分類札を置いた。
【第二騎士団長の決裁が必要】
【担当部署で完結する】
【そもそも宛先が違う】
【押し付けの匂いがする】
最後の札は、俺の私怨だ。だが、間違ってはいない。
団長はペンを握ったまま、ちらちらと俺の手元を見ている。
「お前、朝から怒っているのか?」
「怒ってません」
「嘘だな」
「……普通です。団長はご自分の仕事をしてください。終わりませんよ」
「ううう」
俺の言葉に団長が唸りながらも仕事に戻る。
この人は、慣れすぎている。
自分が受けるのが当たり前になって、仕事をしていた。誰にも助けを求めず。一人で抱え込んで。
俺は、指を止めずに分けていく。
提出期限が過ぎた文書がある。しかも、第二騎士団宛てに回された日付が、期限の前日になっていた。
間に合うわけがない。これは、押し付けて終わりにするための書類だ。
「……」
俺は束の端を整え、別の紙を挟んだ。
【受付番号:S-18/提出期限偽装/回付遅延】
証拠を残す。言い逃れできない形で。
団長が首を傾げた。
「その番号は何だ?」
「整理番号です」
「なるほど……分かりやすくしてくれたんだな」
団長は素直な人だ。剣を持たせれば最強。
だが、こういう事務は苦手。
聞いてこないのが、逆に助かる。俺は淡々と作業を進めた。
半刻も経つと、机の右が団長がやるべき束になり、左が団長がやるべきじゃない束になった。
圧倒的に左側の山の方が、でかい。
団長が顔をしかめる。
「……おい。左が多すぎないか?」
「多いですね」
「おかしいだろ!」
「おかしいです」
団長は苦い顔で腕を組んだ。
「だが、これも仕事だ。やるか」
「いえ、まずは右の束からお願いします」
俺は、左の山を両腕で抱えた。
ずしり、と重い。紙の重みじゃない。悪意の重みだ。
団長が目を丸くした。
「おい、どこへ行く」
「確認をとってきますので、団長は残りの束をお願いします」
「わっ、わかった」
団長が立ち上がりかけたが、言いくるめて、俺は束を持って団長室を後にした。
♢
元帥執務室は、王城の内側にある。
通路の空気が重い。元帥護衛騎士が二人、目だけで俺を止めた。
「なんだ貴様は? 用件を言え」
「はっ! 第二騎士団長補佐、ホート・ルベルと申します! グラーツ元帥閣下に確認していただきたい書類があり、第二騎士団長室よりお持ちしました!」
俺はできるだけ大きな声で、部屋の中に聞こえるようにはっきりとした声を出した。
護衛騎士二人は驚いた顔をするが、そんなことは関係ない。
抱えた山を少し持ち上げて見せつける。護衛が眉を動かした。
「……その量は何だ?」
「全て確認していただきたい書類です」
「ふざけているのか?」
「ふざけてません。これが全て第二騎士団長室に届けられましたので」
護衛が一瞬だけ口元を引きつらせた。
俺は、もしかしたら追い返されるかもしれない。
そんな思いもあった。だけど、第二騎士団に勤務している間に何度でも来てやるつもりだった。
だが、扉の内側から低い声が返ってきた。
「入れ」
護衛が扉を開いてくれて、威圧が扉の向こうから俺を押し返す。
これに勝てなければ入ってくるなと言わんばかりだ。だけど、俺は負けるわけにはいかない。
アデルハイト団長のためにも、元帥に会う機会は今しかない。
王国軍の要であり、アデルハイト団長の父上。
真っ赤な髪は獅子のようであり、燃えるような瞳が俺を見つめている。
背筋に冷たいものが走る。だが、逃げない。逃げたら、団長はこのまま潰れていく。俺は一歩踏み込んで、膝をついた。
「第二騎士団・見習い、ホート・ルベル。元帥閣下にご確認したいことがございます」
「用件を言え」
「第二騎士団長へ回付されている書類のうち、本来担当部署で完結するもの、宛先が違うもの、期限操作の疑いがあるものが多数ございます」
元帥の視線が、俺の腕の山に落ちた。
「……それを、なぜ貴様が持っている」
「私が補佐としてお手伝いをさせていただいているからです。第二騎士団長は連日書類に追われ、訓練や指導にも支障が出ます。何よりも、本来団長がやるべき仕事ではないということは、まともに仕事をしていない騎士がいる証拠になります。元帥閣下のご指示でしょうか?」
俺の嫌味に、元帥閣下の目が開かれる。
怖い。
アデルハイト団長よりも明らかに威圧が強い。
護衛たちも、愚弄していると判断したのか剣に手をかける。
元帥は、指で机を二度叩いた。
護衛は剣から手を離す。
「置け」
「失礼します」
俺は山を机の端に置いた。
ドン。
書類の山が机を揺らす。
護衛が息を呑んだ気配がした。元帥の眉が、ほんの僅かに上がる。
「……誰が、第二騎士団長にこれを回している」
「現時点では複数です。ですが、偏りがあります。多いのは第三騎士団ですね。ですが、元帥閣下の部下である第一騎士団からも送られています」
俺は用意していた一枚の紙を出す。
受付番号、回付元、回付日、期限、内容、担当部署。
この一ヶ月で、どこの書類なのか、調べ上げて書き溜めたものだ。
元帥は紙を受け取り、目を走らせた。沈黙が落ちる。怖い沈黙だ。やがて元帥が立ち上がる。
「第二騎士団長は知っているのか?」
「……もちろんです。団長は、ご自身の仕事を優先しています。これらの仕事も騎士の勤めであると文句を言わずに取り組んでおられています。ですが、明らかにご自身の仕事ができる量を超えています。俺は、団長に余計な負担をかけたくありません」
元帥の目が細くなる。
「忠義か? それともあれに惚れたか?」
「バカにしないでいただきたい!」
元帥に向かって言う言葉じゃない。だけど、もうここまできたんだ。覚悟は決めた。
直談判した時点で、騎士見習いをクビになってもおかしくない。
クビになれば、俺は男爵家の三男だ。
冒険者になって生きていってもいい。
「王国騎士団の損失を防ぐためです。あの方は、剣を持って映える方だ。机に縛りつけることが損失になる。そして、第二騎士団長に仕事を回して、楽をしているバカな奴がいる。それを放置しますか?」
自分でも驚くほど、声が落ち着いていた。
元帥が、ふっと鼻で笑った。
「見習いが、よく吠える」
「吠えていません。報告です。皆さん仕事をされていないようですので」
元帥は机の端に山を寄せ、護衛に目配せした。
「関係部署の責任者を呼べ。今すぐだ」
「はっ!」
護衛が出ていく。
元帥は俺に視線を戻す。
「アデルハイトは元気か?」
「えっ?」
「あれは、昔から文句を言わずに我慢ばかりする子だった。この件、貴様の名で動かしたな。あいつは気が回る子ではない」
「はい。全ては俺個人の独断です。ですから、クビにされるなら俺を」
「お前の名は?」
「ホート・ルベルです」
「あれは……余計な敵を増やす。よく支えてやってくれ。できることはこちらでしよう」
元帥の口から、団長への評価が出たのが意外だった。
俺は深々と頭を下げた。
「数々の無礼な言動、申し訳ございません!」
「よい。貴様はただ報告に来ただけだ。そこに無礼はなかった」
器が大きい。元帥は、書類の山を指で叩いた。
「よくやった。だが、覚えておけ。正しさは、刃より危険だ。貴様も敵を作るぞ」
「承知しています」
元帥が小さく頷く。
「戻れ。しばらく騒がしくなる」
「はっ」
俺は頭を下げて、執務室を出た。
背中に汗が張り付いていた。




