過去の自分を知る。
姉さんからもらった剣は、俺の手に馴染んでくれた。
今後、俺は騎士見習いとして、騎士団に所属して訓練を受けることになる。
ディアスのように仕える騎士が決まっていれば、従士として見習いの形も変わるが、俺にそんな相手はいない。
朝の訓練を終えて屋敷に入れば、居間には穏やかな陽が差し込んでいた。
紅茶の香りが漂い、テーブルの上には焼き菓子が並んでいる。
姉がテーブルでくつろいでいた。
「さて、ホート。朝の訓練は終わりかしら?」
「ああ、姉さんがくれた剣は凄くいいよ」
「それは良かったわね。あの人が選んでくれたから、お礼を言っておくわ」
どうやら旦那さんが剣を選んでくれたらしい。
姉は紅茶を一口飲んでから、ゆっくりとカップを置いた。
「それじゃあ、女性についての話をしましょうか」
「……よろしくお願いします」
俺はこれまでリナ以外の女性と話したことがあまりない。
そこで姉は、女性について講義をすると言い出した。
緊張して思わず敬語になる。
姉さんは満足そうに頷いた。
「まず、これは一番大事だから最初に言うわ」
人差し指を立てる。
「女性に与えすぎないこと」
俺は瞬きをした。
「……与えすぎない?」
「そう」
姉は指を折りながら言う。
「まだ付き合ってもいないのに、毎回食事を奢る」
「プレゼントを頻繁に渡す」
「女性の予定を全部優先して、自分の都合を犠牲にする」
「ありがとうが欲しくて、小さな親切を連発する」
胸が、ちくっと痛んだ。
俺はリナに対して……全部、やってた。
「それね。最初は喜ばれるんだけど、そのうち当たり前になるの。人はね、無料のものに価値を感じなくなるの。無料は嬉しい。だけど人は慣れてしまう。優しさが悪いんじゃない。出し方が悪いの」
姉はそこで一度、紅茶を飲んだ。
「だから次」
コトン、とカップを置く。
「与えるんじゃなくて、選ばせなさい」
「選ばせる……?」
「全部用意しないってことよ」
姉が立ち上がって指を立てた。
「例えば、食事」
「『どこでもいいよ』は最悪」
「『ここ行こうか』も微妙」
「正解はね」
姉は俺を指差す。
「二択まで絞る」
「AとB、どっちがいい?」
「今日は甘いのとさっぱり、どっちにする?」
「すると相手は、甘い物かな? と選ぶの」
姉は少し楽しそうに言う。
「そうすると、自分で選んだって思えるの」
俺はなるほど、と小さく頷いた。
いつもはリナの食事を俺が作っていた。
どこかにいくときも、彼女は「なんでもいいわ」というので、俺が決めていた。
「人は、自分が選んだものに強く執着する。恋愛も同じよ」
リナの心を遠ざけたのは、俺がダメだったからなのか?
「三つ目」
姉は少し真剣な顔をして、テーブルを叩いた。
「いい人で終わらないこと!」
「……いい人」
チクッと胸が痛んだ。
優しいだけ、都合の良い人。リナにとって俺はそんな存在だったのだろう。
「常に穏やか。波風立てない。相手に全部合わせる。それ、安心はするけど、刺激がない」
グサッ!!! 苦しい。
「最初はいいの。でもね。そのうちこう思われる」
姉はリナの声色を真似して告げる。
「『この人、私に合わせてるだけでつまらないわね』」
グサグサと何度も胸に痛みが走る。
「感情を動かされない男は、記憶に残らない」
姉は指を鳴らす。
「次。四つ目」
「人はネガティブな感情でも、感情を動かしてくれる相手に強く惹かれる」
「怒らせるってこと?」
「違うわ」
姉は首を振る。
「不安、焦り、悔しさ、ドキッとする一言。そういうのも含めて、感情なのよ」
少し間を置いて、姉は言った。
「優しさ7、スパイス3」
覚えやすい。
「全部優しいと、味がしないのよ」
姉は焼き菓子を一つ口に入れた。
甘いけれど、あとにフルーツの酸っぱさと、焼いた焦げの苦味を感じる。美味しい。
「五つ目」
今度は少し声を落とす。
「気を使いすぎないこと」
「気を使わない……?」
姉は俺を見据えた。
「恋愛では、相手に負担をかけることも大事なのよ」
「えっ? 負担をかけるのか?」
意外だった。俺はいつも逆のことばかりを考えていた。
リナは勉強を頑張っていた。
宮廷魔導士になるのは大変で……だからそれを応援したくて、全てのことを俺が引き受けていた。
「負担をかけないって、一見優しいけど。相手にこう思わせるの。この人、私がいなくても困らないってね」
「あっ」
俺はいてもいなくても必要のない存在。
「人はね。【時間】、【お金】、【労力】、これをかけた相手に、執着するのよ」
「時間、お金、労力?」
「ええ、自分が注いだ分だけ、相手に見返りを求めたくなる。だけど、与えられているばかりだったら、何もかけていないから、執着もしない」
リナに全てを捧げてきた。
俺の時間も、お金も、労力も。
だけど、リナにかけてもらったものは? 時間? 労力? あまり思い出せない。
一緒にいた。それだけだ。
「だから、相手にも決めさせるの。相手を待たせる。相手に頼る。相手に負担をかける。相手を必要としている姿を見せることが大事なの」
俺はリナに何かをして欲しいと思ったことはなかった。むしろ、してあげることばかりだった。
「そして、ちゃんと『ありがとう』を言いなさい」
「言ってたよ」
「ううん、相手にありがとうと言えるようなことをしてもらって言うの。感謝は、礼儀じゃない。繋がりよ」
胸の奥が、じんわりと温かくなる。
リナとの繋がりを俺は持っていなかった。
「六つ目」
姉は人差し指を立てた。
「好意をダダ漏れにしない。好きだってあなたからばかり伝えてはダメ」
「……それは、かなりやってた」
「でしょうね。人はね、不確実なものに惹かれるの。この人は私のことが好きなのかわからない? 不安で、確信が持てない」
姉は指で円を描く。
「その時間が、相手の中であなたへの気持ちを育てるの。一番好きだと感じる瞬間は離れている間よ」
姉は、少し意地悪な笑みを浮かべた。
「あなたが自分を好きかどうかわからないときに、相手はあなたのことを考えて、好きを増大させていく」
俺は常にリナのことを考えていた。だけど、リナは違ったのかな。
「でも、隠しすぎもダメ。好意は伝える。でも、必要以上に毎回は伝えない。バランスが大事なの」
そこで一拍。
「優しいだけの男に価値はない。時に意地悪に」
「冗談」
「軽い反論」
「からかい」
「それだけで、感情は動く」
俺は深く息を吐いた。……今までの俺は。
優しさ10。
スパイス0。
そりゃ、飽きられるのだろうな。
「覚えておきなさい、ホート」
姉は真剣な顔で言った。
「あなたは悪い男になる必要はない。ただ、自分を安売りしないこと」
その言葉が、胸に残った。
「大丈夫よ」
姉は柔らかく笑う。
「あなたはもう、最初の一歩を踏み出した。あとは、選びなさい。自分が何を成すのか、あなたは完璧ではない。だけど、頭も悪くないわ」
誰を選ぶのか。どうやって向き合うのか。俺は、静かに頷いた。
王国一の美女を探す日々は、どうやら、剣の修行よりもずっと難しそうだった。




