薄幸転生侍女の旅路14
「……しってるてんじょうだ」
『何を言っているんだ主』
目を覚ました。木目と何処か懐かしい匂いに、言葉がそう零れた。
「おや、起きたのかい。体調は大丈夫どうだい?」
そしてすぐ、横から聞こえてきた声に飛び起きる。
「女将さん!」
「はいはい。あの騎士の……お兄ちゃんは、今少し出掛けているよ。もうじき帰ってくるとは思うがね」
ぽんぽんと私の頭を撫で、現在不在のアーノルド卿の所在を伝えてくれた女将さんにお礼を言いながら、ベッドから下りる。
「おっと」
瞬間、かくっと折れた膝。危うく地面に額をこんにちはするところだった私を女将さんとソルが支えてくれた。
「急に動くんじゃないよ。あんた、三日くらいずっと目を覚さなかったらしいんだから」
「えっ」
「あの坊やが大層心配していたよ?」
「あっ……」
私の最後の記憶はソルに強制シャットアウトされたことで途切れている。
それまでを一切知らないアーノルド卿が見たもの、感じたことに思いを馳せれば、背中になんかすごく冷たい何かを感じる。
「……アーノルド卿、息してる?」
『まあかろうじて。主を落としたことを咎められたが、勝手に理由を話す訳にはいかないから必要なことと押し通した。あやつは何も知らない』
女将さんが色々準備してくると部屋を去ったあと、ずっと静かに寄り添ってくれていたソルに話し掛ける。
まあそうだよねとしか言えない現状を把握し、更に胃が痛くなってくるがアーノルド卿のことを思うと何も感じられなくなるのが不思議だ。
「サラセリーカ様……!」
ばんっ、とやや圧の掛かった音と共に息を切らして入ってきたのは、勿論アーノルド卿である。
濡羽の髪を乱して、薄藍の双眸の下により濃い色を滲ませて。
「……」
ああ、ごめんなさいと。本当に、心の底からそう思うのに。
言葉が出てこなくて、口を噤む。
「良かった……」
前に立ち、膝を崩し、まるで縋るかのように零された一言。
いつもみたいにごめんなさいって言えばいいと思ってた。
自分だけが痛いことくらい、なんでもないからと。
「……サラセリーカ様?」
「卿……」
でも今、思う。
このひとを、今目の前にいるアーノルド卿を、私は蔑ろにし続けていたんだと。
『大丈夫だよ、お姉ちゃん。みんな、貴女を受け入れてくれているよ』
だから、泣かないで。
「さ、サラセリーカ様!?」
ぽろりと、冷たい。
あわあわとこちらを見上げるアーノルド卿が歪んで、それを皮切りにとめどなく溢れる感情を私はずっと否定し続けていた。
「ごめんなさい」
しんぱいをかけて、ごめんなさい。
「大丈夫、大丈夫ですよ」
全てがなくなってしまうのなら、最初から何も持たなければいい。
そうしたらそこには何も生まれないと、拒絶し続けた私になお寄り添い続けてくれていた卿が、そっと涙を拭ってくれる。
「大丈夫、ですからね……」
よしよしと幼子をあやすように抱き留める郷と、背中を包んでくれるソル。
「ごめんなさい……」
そう何度も零しながら泣き疲れて眠った主を、床へ戻す。
『フン』
この三日間、いつもに増して傍を離れなかった銀狼が鼻息で何かを主張してくる。
「なんですかソル?」
『いや別に』
「はあ……」
サラセリーカ様が倒れたとき、というかソルが彼女を昏倒させたとき。
何一つの説明もなく必要なことだからの一点張りを繰り返す彼とは実に久しぶりな会話となる訳だが、相変わらずソルに話す気はないらしい。
「でも、お目覚めになられて本当によかった」
『フン』
心底思う感想が漏れ、ほんの僅かに緩くなる鼻息。
ソルがサラセリーカ様を大切にしていることは間違いない。
だからきっとあの行動にも意味はあるのだろう。
「……ソル」
ぴくりと耳だけ上げ、なんだと一応聞く耳は立ててくれた彼へ、一言問う。
「堕ちた精霊は、存在するのですか?」
『なっ……』
この質問は予期していなかったのか、ばっとこちらを振り返り目が見開かれる。
「最後、サラセリーカ様が倒れられる前……以前、感じたことのある気配を少しだけ感じました。それは深淵を覗き込むような恐怖と、女神像を前にしたときのような厳かさで……」
『……』
「……ナウェルは、闇の精霊を信仰する国でした。目に見えず、でもどの精霊立ち寄りも強い力を持つと」
むんず、と閉じ切られるマズルは開く気配がない。それを良いことに、私は続ける。
「しかし私は生まれてこの方、闇の精霊を視認したことがありません。祭典のときも、ナウェルにいた頃でさえ。でもふと、繋がったのです。サラセリーカ様を隔離していた地下牢で感じた気配。サラセリーカ様の感情の揺らぎで強くなる不可思議な気配。川辺に漂っていたにおい。そしてサラセリーカ様が倒れられたときに強く感じたあの気配は全て、同じものだと」
赤い目が眇められ、こちらを射抜く。
「でも、我々に視認することは出来ない。しかしサラセリーカ様は恐らく、それらを認知出来る。きっとソル、貴方も。精霊と繋がりが深いもの程、感じやすくなるものなのでしょう」
失われし時代、時世は今よりもずっと精霊との繋がりが深かったとされ、ナウェルの過去の文献には闇の精霊こそが一番強い精霊だと記されている物も多い。
「一番強いとされる精霊なのに、今現在その精霊と繋がる術は何処にも残されていない。ならば何を持って強いのか。かつては我々人間にも見えたのかもしれませんが、どう文献を漁ったとしても闇の精霊に関する記述が出てくるのはナウェルのみ。相対するとされる光の精霊達から力を借りる術は山のように記されているのに、闇の精霊から力を借りる術は残されていない」
もしも、借りてはならない存在だからでは?
そもそもそれが存在してはならない精霊だとしたら?
精霊を意図的に操るために堕落させる。
人間の扱いやすい形で留めさせる。
人間に都合の良い存在ならば、人間が都合良く精霊の力を扱えたとしたら……それは好意で彼等から力を借りるよりよっぽど、強いだろう。
「闇の精霊とは……ナウェルが作った堕ちた精霊のことなのですか?」




