闇夜
ガイドは30前後と思しき男だった。片言であいさつを交わす。二人は車に乗り込んだ。リュックサックも積む。ガイドが途中の店で、深夜営業のコンビニのようなしかし何か小汚い店で、弁当を買う。白い箱だ。中身はバナナと焼き飯だろうか。少し話して修三はすぐに仮眠に入る。登山口まで1時間ほど。勇司にも仮眠を勧めておく。
しかし、勇司は眠らなかったと後で聞いた。修三がガイドとほとんど話さなかったから、仲違いしているのではないかと、どこか危ないところに連れていかれるのではないかと、心配だったそうだ。確かに無防備だったかもしれない。数十分走ると小柄なおばさんが乗り込んできた。目を覚ました修三が片言で聞いてみると登山に同伴するのはこのおばさんだという。車はいつしか山道に入り、何度もカーブして高度を上げていく。
やがて広場に車が止まった。星明りしかない。登山口に着いたのか。車内から見ると、近くに小屋があり何故かわらわらと人影が現れてくる。山賊か?修三もさすがに警戒する。勇司もこれはヤバいと思ったという。すべて欧米人のようだ。実は他の登山者グループだった。生ぬるい空気だ。
ヘッドライトを点けて登り始めた。夜行登山の始まりだ。寺院を過ぎてジャングルに入った。
おばさんは体格は小さいのに中々の健脚であった。どんな悪路でも淡々と平然としている。
「こりゃあ、きっついですわ」すぐに勇司が音を上げ始める。呼気も荒い。
「ゆっくり行こう」修三はすぐに身体が温まって汗を掻き始めた。
密林に光は無い。
しばらく登って広場で休憩した。
午前2時を過ぎていた。座り込んだ勇司が勢い良くポカリを飲む。修三は2口だけ飲む。小休憩で飲むのは基本的に2口だけだ。でないと飲み尽してしまう。この程度の歩行時間で座ることもしない。
「まあ、だんだん慣れてくるよ。別に日の出間に合わなくてもいいし、ゆっくり行こう」
勇司が息も絶え絶え頷いた。
2時間ほど歩いて8合目と思しき岩棚の休憩所に到着。既に森林限界を超えて岩しかない。星が見える。街灯りが見える。気温の低下が著しい。微風。じっとしていると寒さを感じ始める。修三は防寒着を取り出して勇司に与える。勇司は岩に背を預けて仮眠する。その岩棚には他にも十数人の登山者がいた。皆、予想以上の寒さに震えているようだ。身体が冷え、何か重ね着しないと耐えがたいほどの寒さになる。本気で寒い。修三は富士山も夜明け前は寒かったなあ、と思い出した。白人の体格の良いお姉さんが短パンで実に寒そうにしている。
おばさんが勇司を心配している。この頃からおばさんに『鉄の女』と異名が付く。修三も少しは疲労しているが、おばさんはさらに平然としている。
「どうする?ここで待っとくか」勇司の様子を見てさすがに無理かなと、修三も思い始めた。ならば最大限の防寒装備を持たせてここで待たせるのも手ではあるか。頂上まであと一時間。
「行きますよー」しかし勇司の声には力が無い。
諦めるという選択肢は無かった。今思えば危険な思考だった。
ゆっくりと立ち上がった勇司が、歩く屍のように歩き始めた。
「無理に誘って悪かったな」と修三は言った。
「大丈夫、行きましょう」勇司が1歩1歩踏み締めて登り続ける。
頂上に着いた。巨大な火口だ。星が変わらず瞬いている。東の空が白み始めていた。夜明けが近い。小さな、小さな小さな祭壇がある。鉄の女がコーヒーを淹れてくれた。日本のものとは違い、ざらっとして雑味が多い。しかし温かいというだけで素晴らしい。とても寒い。勇司は既に寝ている。




