花神楽:別館廊下
「あれ?斉賀とくるさん、何処行った?」
灰花さんがきょろきょろと廊下を見渡す。
保健室を出ると廊下で待っていると言っていた二人の姿が見当たらない。
呼んでみよう!と二人の名前を大声で呼ぼうとしたヨシノの口をユウが抑えた時、本館、渡り廊下の向こう側から斉賀さんの声が聞こえてきた。
「みんなお疲れ様ー、原稿どうだった?間に合ったの?」
くると一緒のようだ。保健室前で合流する。
「俺が手伝ったんだから当然だ」
「ヨシノ達も大活躍だったんスよ!」
「あ、そ」
灰花さんがくるにヨシノの活躍を伝えているがくるはどう見ても聞き流していた。
人数を確認した後、「こっちから回るか」と隆弘さんが歩き出した。それに続きながら会話は続く。
「二人共どこに行ってたのー?」
「くる君の教室に案内してもらってたんだよ」
「えー!俺には嫌だって言ったのに!ずるい!」
「僕がどうしてもって頼んだんだよ」
「俺がどうしてもって頼んだところでくるちゃんは案内してくれないよ!」
「分かってるのにどうしてヨシノはくるに構うの」
ユウが一人ごちる。
ヨシノがごねだすかな、と思ったそんな時。
「あれー、灰花先輩じゃん!隆弘先輩も!」
声の主が目の前の階段を駆け下りてくる。その後ろからもう一人、自分のペースを崩さずとことこ降りてきた。
「ユトナに奈月、お前らどうしたんだ」
「補習だよ補習。折角の夏休みだってのにやってらんないよなー。奈月もそう思うよな?」
「僕はユトナが一緒ならいいよ」
奈月と呼ばれた人はぴとっとユトナさんの肩に頭を乗せるようにもたれかかった。
「暑い。早く帰ろ」
「くっつくともっと暑くなるだろー」
そんな二人を交互に見ながら隆弘さんが口を開く。
「ユトナはともかく、奈月が補習に出るなんて珍しいな」
「補習に呼ばれてるのに一度も顔出さねえから今日はオレが引っ張ってきた」
「いいんだよ、留年してユトナともう1年高校3年生するんだから」
「お前はまたそんな事言ってー!本当に留年したらどうする!我儘を言うのはこの口か!」
「んむ」
ユトナさんが親指と人差し指で奈月さんの唇をぎゅっと摘まんだ。
「おいヨシノ、呑気にこんな所に遊びに来てるがお前は補習とか行かなくて大丈夫なのか?」
「んにゃ?隆弘クンは俺をただの空気読めないお調子者だと思ってるのかな?一学期の期末では学年2位の成績だったよどんなもんだい!」
ヨシノのドヤ顔とか殴りたいだけだなあ。
「ああそっか、子供の脳って知識吸収力高いもんな」
「褒められてない事だけは分かるぞー」
そんな二人のやりとりを見てユトナさんの頭上にクエスチョンマークが浮かんだ。
「はじめまして、だよな?隆弘先輩の知り合いか?」
「そんなとこだ」
「そっかー、オレはユトナ!こっちは奈月!よろしくな!」
にかっと元気に笑うユトナさんの自己紹介の後に奈月さんの「……よろしく」と言う声が聞こえた。今にも消え入りそうな音量だったので私以外には届いていないかもしれない。
「…おいしい、イタリアン?」
突然灰花さんがそんな事を呟いた。イタリアン?
「あぁ、これか?今図書室から借りて来たんだ」
ユトナさんが手に持っていた本を掲げる。表紙には灰花さんが呟いた”おいしいイタリアン”というタイトルが表記されていた。それを見て灰花さんが意外だとでも言いたげな表情をする。
「ユトナって料理するんだな」
「ふふん、まあな。オレはこの夏、イタリアンを極めるぜ!」
その眼にはやる気に満ちていた。やる気が目に見えたのならユトナさんの周りをメラメラ燃え上がっていた事だろう。
「うまいの作ってやるから、ちゃんと食えよ」
ユトナさんが奈月さんのおでこを人差し指でつつく。
「コイツ少食でさー、ほっとくと一日ゼリー一つだけで済まそうとするんだぜ、何とか言ってやってくれよ」
それは少食という単語で済ませて良い食生活ではない気がするのだが。ダイエットでもしているのだろうか。
「お前まだそんな食生活してんのか」
「隆弘には関係ないでしょ」
「何事も体が基本だぞ」
「灰花にも関係ないでしょ」
「”奈月はちゃんと食ってるか?”って深夜先生も心配してたんだぞ」
「僕にはそれで充分足りてるんだよ」
「足りてねえよ!いつか本当に栄養失調とか貧血とかで倒れちまうぞ!心配なんだよ!」
どうやら話の流れから察するにダイエット中という訳ではなく正真正銘の少食さんのようだ。
確かにそんな食生活を続けているのなら倒れてもおかしくはない。それにこの酷暑だ、しっかり食べねば熱中症にだってなってしまうだろう。
「ユトナに心配かけるのは、やだ…」
「なら食えよ」
「ユトナが美味しいイタリアンを作ってくれたらね」
「お!今の台詞ここにいる全員が聞いたからな!絶対だぞ!絶対食えよ!」
「極めた暁には俺らにも振る舞ってくれよな」
「まっかせとけー!隆弘坊ちゃんがこれまで食べたどのイタリアンよりも美味しいイタリアンを振る舞ってやるぜ!そうと決まればさっそく帰って特訓開始だ!奈月!味見頼むぞ!」
「え」
ユトナさんが「じゃあな!」と私達の横をばたばたと駆けていく。元気な人だな。
「ユトナ、待ってよ」
奈月さんがユトナさんの後を慌てて追う。
「あ、そうだ」
灰花さんの横を通り過ぎた辺りで奈月さんは何かを思い出したのかぴたりと止まり、鞄の中から何かを取り出して灰花さんに手渡した。
「これあげる」
灰花さんの手にはプリンが乗っかっていた。
「購買のプリン。それ、最後の一つだったから」
何故プリン?
灰花さんはそんなにも購買のプリンがすきなのだろうか。
廊下の向こうからユトナさんが「お前それ今日の夕食だって言ってなかったか?!」と奈月さんに向かってコラー!とお怒りの叫びをあげている。
プリン一つで夕食を済ませるつもりだったのかこの人。食え!ちゃんと食え!
じゃ、と言って背を向けた奈月さんの腕を灰花さんが掴んだ。そして奈月さんの頭にプリンを乗せる。
「お前が食べたいから買ったんだろ?気持ちは嬉しいけど受け取れねえよ」
「暑いから夕飯は水にしようと思って」
水って。栄養価0じゃん。
「それはよくない。ユトナも心配してるだろ、ちゃんと食え」
「むう」
不満げな声を漏らしながらそろりとプリンをおろし、渋々鞄の中にプリンをしまう。
「ほら、ユトナが待ってるぞ」
「言われなくても」
奈月さんは一度も振り返る事なくユトナさんの元へ駆けていった。
◇
「灰花クン、プリンがすきなの?」
ユトナさんと奈月さんの姿が見えなくなって、ヨシノが口を開いた。
私も何故奈月さんが自分が食べるために買ったプリンをわざわざ灰花さんに渡したのか気になっていたんだ。
その疑問には隆弘さんが答えてくれた。
「コイツ、くずはのために毎日プリンを購買に買いに走ってるんだよ。前にプリンが売り切れてた事があって、まるでこの世の終わりかのように打ちひしがれてるとこにたまたまプリンを買ってた奈月が通りかかって譲ってくれた事あったらしくてさ」
「それから時々譲ってくれるようになったんだ。プリンは一つでも多くあった方が良いからこればっかりは遠慮なく受け取ってる。あ、勿論代金は払ってるぞ」
「多分その時々ってのは買ったけど食う気失せて処分に困った時とかなんだろうけどな」
隆弘さんがぼそりと不穏な事を付け加えていた。
「へー、くずは先輩のために頑張ってるんだ。あ!って事はもしかして、灰花クンのすきな人ってくずは先輩なの?」
「んん?」
「皆からホモホモ呼ばれてたじゃない。そういう事だったんだ?」
「違う!!」
「違わねえだろ」
「隆弘まで!俺に彼女がいる事知ってるくせに!」
「そっかー、灰花クンの“はいか“はくずは先輩の”配下”って意味だったのかー」
「ヨシノ、失礼だよ」
「くる君、その鋏は仕舞おうか」
そんなまとまりのない会話を展開しながら、私達は階上へ歩を進めた。