(パトリシアの狙い)
――午後七時零分。
教皇庁アレン宮殿六階、新教皇執務室。
「今の魔法放送は何だったの?」
青い鎧を着込んで、戦闘態勢万全の新教皇・パトリシア一世は、そう言って浮かした腰を落とす。
カツン――冷たい音がした。
「これが、まごうことなき真実かと……」
大理石製の大きな教皇の玉座。そこにヘタリ込んでいるパトリシアに向けて、彼女の執事である『隠密』のサイモン・ペイリーは、ゆっくりと頭を下げながら言った。
「何が、真実よ! お父さまが自分で自分の胸を刺したと言うの!? それも、アレン家に代代伝わる家宝の『神聖ナイフ』で!? 自殺は、私たちにはもっとも重大な罪だわ。よりにもよって、宗教指導者のトップであるお父さまがその禁忌を犯しただなんて……。信者たちにどう顔向けすればいいというの! ねえ、サイモン、答えなさい! 答えなさいったら、答えなさいよ!」
元・枢機卿執務室の広大なる部屋。そこにパトリシアの叱責の声が響く。
彼女の護衛の近衛兵団の戦士や魔法使いたちは、揃って首をすくめる。
怒り狂った彼女は、幾らなだめすかしても言うことを聞いてくれない。周囲の人々は恭順を示す姿勢のまま、ただジッと嵐の過ぎ去るのを待つしかないのだ。
「酷い肺病に冒されていたチャールズ十三世猊下は、毒素が頭にまで回り、あのように錯乱されたのです。その直前に、枢機卿十一人の全員一致で教皇の座を解任されていたので御座います。ああ、地位を追われた哀れなご老人は、亡くなられた奥さまを追って自殺なされた。その、枢機卿たちのサインの入った書類も用意されています。あとは、パトリシアお嬢さまのサインと日付とを記入なされば、文書の体裁も整います」
執事は少しも表情を変えず、そう言い切った。
「怖いわサイモン。アナタが怖い。アナタを敵に回した人物には、確実に破滅が訪れるわ。よかった。アナタがワタシの味方であって……」
「お嬢さま。私は永遠に、お嬢さまの執事であります」
もう一度深く頭を下げるサイモン・ペイリーであった。
「お母さま! どういう事ですか!」
この場所に乗り込んできたのは、教皇パトリシア一世の一人娘である『大神官』のマリー・アレンであった。
ティマイオス王立学園の制服の大きな胸が、激しく上下する。
この場所まで、自分の足を使って駆けつけて来た証拠であった。
「アラ、マリーちゃんどうしたの? そんなにハァハァ言って……。マリーちゃんほどの『大神官』ならば、転移魔法で学園から瞬間的に移動できるでしょ」
先ほどまでの取り乱していた表情は消え、落ち着き払った顔で娘に向かうパトリシアであった。
「わたくしは、魔法を勝手気ままの便利に使うのは、罪だと考えています。自分の足があるのだから、大地を踏みしめて歩いて来るのが当然だと思います」
教皇となった母親の前で、自分の意見をハッキリと言うマリーであった。
「マリーちゃんは、成長したのね。お母さん羨ましく思うわ。そうそう――」
パンパン――大きく二度、手を叩くパトリシアであった。
「――マリーちゃん、ご免なさいネ。マリーちゃんの大切なお友達を、お父さま殺しの犯人だと勘違いしちゃって……。テヘ♪」
悪びれることなく、口の端から舌を出して誤魔化すマリーの母親――三十七歳であった。
「もう! お母さまったら! そのためにわたくしは、裏切り者の嫌疑を掛けられて、一時は捕縛されて、拘束までされていたのですよ。誤解が解けたのであれば、アンナさん……いいえ、アナスタシア・ニコラエヴァ第四王女殿下を、正式に女王としてお認めになってはどうですか?」
呆れた顔のマリーは、大きな胸の前で腕を組み、実の母親に対して蕩蕩と説教を始めようとしていた。
「――そもそも、お母さまは……」
「アラ、それとこれとは話が違うわよ。父殺しの嫌疑は晴れましたが、あの娘が正統なるニコラエヴァ王家の後継者であるとは、私は認めてませんし、教皇庁が承認を与えることもありません」
それがどうしたの?
そう――あっけらかんとしたパトリシアの表情であった。
「あ、アナスタシア殿下は、ニコラエヴァ王家に代代伝わる防具『エメレオン』を装備出来ましたし、伝説の水竜『ヤマタノオロチ』を従えています。彼女には、赤色人の指導者であるザラスシュトラ家の一人娘、サラ・ザラスシュトラも王家への忠誠を誓っています。わたくしのお友達、クロエ・ブルゴーさんもアナスタシア殿下には恭順の意思を見せています。ですから……」
「だからぁー、それがどうしたのぉー? と、聞いてるの、お母さんは!」
「え?」
マリーは絶句する。
アンナの正体を知り、マリーを女王に据えるという母の野望は潰えたと思っていた。
だがマリーは、母親の目にメラメラと燃える。飽くなき権力を渇望する様を見ていた。
「女王の就任には国会の両院の承認が必要ですね。ええ、そうすればいいわ! 上程された議案は、両院で即時に可決されるでしょうね。その時には、満場一致の結果が待っているでしょうかしら。女王の即位には宗教的儀式が必要ね。それを執り行うのは、教皇である私の仕事……。ええ、イヤイヤながらも立派にやり遂げて見せますわ!」
ぶっきらぼうに言い切る新・教皇であった。
「え? お母さま? お母さまは反対派では無かったのですか?」
母親の元に歩み寄り、ゆっくりと膝を付くマリー。そうして、母親の若々しい右手を取る。
先ほどの意見とは違う内容に、母の真意を測りかねるのだ。
「仕方無いでしょ! アレクサンドラ前女王の娘が、王位を望めば、反対するいわれはないもの。女王に就任すればいいわ。話はそれからよ!」
「お母さま」
パトリシア一世は、娘の手を払いプイと横を向く。そうしてゆっくりと防具である具足を付けた右脚を、重そうに上げて足を深く組んでいた。
「お嬢さま!」
サイモンに呼ばれ、二人はそちらの方向を向く。
「何!?」
少し苛立ったパトリシアの声。
(本当は、この事態に満足していないんだわ)
マリーは思う。機嫌を損ねた母には、誰しもが扱いに手を焼かされていた。
心配そうにサイモンの表情を見る。
「先代勇者、サー・ジョー・ジャック・アーベルさまご一行が到着なされました。どうなされますか?」
右手を下げて、深くお辞儀をする執事。
「どうもこうも、直ぐにこの場所に呼んで頂戴!」
急に機嫌が良くなって、大理石の玉座から勢いよく立ち上がるパトリシア。鎧がガチャガチャと派手な音を立てる。
この大陸の宗教トップの教皇から、一人の女性の顔へと戻っていた。
「分かりました。お嬢さま。先代の勇者さまと、娘さん……コチラにお入り下さい」
サイモンの言葉を聞き、目を爛々と輝かせて執務室入口の大きな扉を見る新教皇。
パトリシアの部下たちが、八人がかりで重い扉を左右に開く。
「や! お姉さん! お久しぶり」
元気で良く通る声だ。
扉の隙間から歩み出る人物。
そのクリクリとした黒眼がちの子犬のような目に、この場所の一同の視線が向く。
「あ、アナタは!」
マリーは、入って来た人物を見て驚きを隠せなかった。
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