(カイトの決心)
――午後二時三十分。
王立学園高等部、一年魔法Aクラス教室。
「ななな、なんだあ」
何とも情けない声を出したのは、このクラスの生徒で、勇者レベル00のカイト・アーベルであった。
そもそもカイトがこの場所に居るのも、姉のアンナがカイトの教室を見たいと言ってきたので、連れてきたのである。アンナは既に何度かこの教室を訪れているので、妙な話ではあった。しかし、大好きな姉の頼みなので、断る事など出来ないのだ。
本来なら授業の行われている時間なのに、このクラスには数人の女生徒がいるだけだった。
その女生徒たちは、カイトとアンナ。そして、アンナの護衛である中等部三年生で生徒会長の聖戦士レベル99のサラ・ザラスシュトラを遠巻きにして見ているだけだ。
広い教室の中央部分の席に座るカイトたち。
他の生徒は、教室の端っこの方に寄り集まって固まっている。
時時、ヒソヒソと耳打ちしながら話をしているのが、気になる点である。
決してカイトへの悪口では無いだろうが、自分の事をあれやこれやと採点されているようで、居心地悪く感じていたのだった。
教室の前方。黒板の上に設置してある通信魔法用の四角い箱から発せられた緊急放送。その物物しさに、全く嫌な感じがするカイトであった。
嫌な予感だけは、良く当たる彼である。
故郷のガリラヤ村の実家で、自分の部屋から出て行くと、ピリピリとした空気を感じる時がある。
そんな時は決まって、怒り狂っているアンナの姿があった。
アンドレと、意見の相違があり口論していたのだが、年長者の彼には経験の差で負けてしまう。そうして、正論であるので勝ち目が無いのであった。
そんなムシャクシャした気持ちを、カイトにぶつけてくるアンナ。
髪の毛に寝癖があるだけで、因縁を吹っ掛けられて、頭を叩かれた事もあった。
そんな、嫌な感じを嗅ぎ取っていた。
「ほーそー?」
意味を理解していないアンナ――いや、マリヤ・ニコラエヴァ第三王女。彼女はカイトの机の中に入れられていた生物の教科書を広げて読んでいた所だった。
開いたページには、大陸にいる様様な動物やモンスターの図解が描いてあった。
それを、青い瞳をキラキラと輝かせて読んでいた彼女だった。
大陸中央部の草原地帯に生息する象のイラスト。それを、愛おしそうになぞっているマリヤだった。彼女は象を実際には見ていない。王都ティマイオスには動物園があるが、家庭でも飼えるような小動物しか居ない。
動物は自然な形が望ましい――前の女王のアレクサンドラが命じて、動物たちを解放したのだった。その為、実の娘が悲しむことになるのだが――それは、別の話。
巨大なほ乳類との対面の夢。それに夢中になっていた所を邪魔されて、マリヤは少し機嫌を悪くする。
そうして、教室前方の上方を見上げていた。
「あの、ご注意を」
サラは、マリヤの耳元に口を近づけて警告をする。彼女は放送の内容から、ただ事では無い事態が持ち上がっていることを理解していた。危険が迫るとしたら、アナスタシアの影武者を演じている彼女がヤバイのだ。
「あはは、くすぐったいよサラちゃん」
マリヤは深刻さを理解していない。右耳を両手で押さえて、体をモジモジとさせていた。
『教皇庁よりお知らせします――』
三十秒ほどの間があって、放送が再開される。
『――本日午後一時三十分頃、全国民が敬愛してやまないチャールズ十三世教皇猊下が、教皇庁に押し入った暴漢に襲撃されました。教皇庁内の警護隊が暴漢を撃退し、捕縛に成功しました。しかし、胸部を刺され重傷を負った教皇猊下は、パトリシア・アレン枢機卿猊下の必死の治療にもかかわらず、午後一時四十三分に逝去されました。享年百五十二歳でした。奇しくも、奥さまのダイアナさまの亡くなられた命日と、同じ日付でした……』
ここで、アナウンスを行っていた女性が言葉に詰まる。魔法で作られた――感情の無い――自動人形が、喋っていると思っていた一同は、一様に驚く。
最近では、大きな商店の入口に案内用の自動人形が置かれて居るのだ。店を訪れた客たちからの質問に答える案内係として採用されていたのだった。
抑揚のない言葉を喋る自動人形。それと同じだと思っていたアナウンサーが、涙声になっていた。
嗚咽の音が、教室中にこだまする。
ザワザワッ、ザワ。
人造人間の感情表現。それもあったが、教室内がいっそう騒がしくなる。教皇の死。そして暴漢の存在。
大事件だ。
彼ら彼女らが経験した中でのもっとも大きな事件。
海洋都市の滅亡や、王宮の破滅は、幼少時代の話である。
生き残りの姫さまのクーデター決起。それらが連続で起きて、戸惑っているのだ。
『……えっくえく。し、失礼しました。で、では魔法放送を続けます……』
しゃくり上げ、鼻声のアナウンサー。
『ねえ、ちょっと、その魔法アイテムをコッチに寄こしなさい!』
『す、枢機卿猊下! なな、何を』
『トロトロ喋ってるアンタじゃ、埒が開かないわ! ここからは――新教皇に――たったいま就任した、パトリシア・アレンが全てを取り仕切るのです!』
(ああ、マリーさんのお母さんだ)
カイトはそんな事を、いたってノンビリと考えていた。
教皇の死?
実感は無い。国民の多くは直接に顔を見たことも、声を聞いたこともないのだから。
でも、彼の心の奥底でチリチリと燃えている小さな火種。
嫌な予感の結末は、決して教皇さまの死ではないのだった。
言いようのない不安。
そんな気持ちに襲われて、カイトは暗い顔付きになる。
「ねえ、誰?」
マリヤは、音声を発している魔通信法アイテムを指差す。教皇庁の広報官ではなくて、現職トップのパトリシアが喋ると、音声がクリアになりハッキリと聞こえていた。
これは、使用者の魔法力に関係しているのだろうか。
「生徒会長のマリーさんのお母さんだよ。姉ちゃんも、教皇庁で会っただろ」
「そうだっけ?」
カイトに言われ、首を傾げるマリヤ。
「で、殿下」
後ろからマリヤの肩を叩くサラだった。
「あ!」
口の前に開いた右手を持ってくるマリヤ。自分は、妹のアナスタシアの影武者を演じている。すっかりとその役目のことを忘れていたのだ。
『きょ、教皇への就任には、現在居る十二人の枢機卿団全員で、教皇庁内の礼拝堂で推挙と選挙と認定の手続きを行わなくてはなりません!』
必死なアナウンサーの声が響いていた。教皇の死からまだ時間は開いていない。それなのに、新教皇気取りの彼女には、チャールズ十三世を敬愛しているアナウンサーには許されない事なのだ。
『そんな根比べの作業は、後回しでいいわ! それよりも、皆さん! コチラをご覧下さい! 教皇庁に無断で侵入し、父である前教皇・チャールズ十三世を手に掛けた、暴漢の姿を!』
教室中に新教皇パトリシア・アレンの声が響く。キンキンとした高い声であるので、教室内の多くが耳を押さえていた。
「暴漢?」
カイトは顔を上げて、教室中を見渡している。そんな彼の鼻先に、鮮明なる画像が出現していた。
つぶらな黒い瞳。その中に映像が映し出されていた。
「わ! 驚いた!」
マリヤが声を出し、両手を肩のところまで挙げていた。
各人、一人一人の前に、立体的な映像が出現する。これも、教室前方に設置された通信魔法アイテムと魔法映像投影アイテムの仕業なのだった。
「ね、姉ちゃん!?」
カイトの叫びに、教室内の全ての目がマリヤの方を向く。
映し出された映像は、教皇庁のパトリシア・アレンの執務フロアであった。
贅沢の限りを尽くされた背景。
教徒からの浄財をタップリと使った、白亜の宮殿の内部。
そこに、下着姿にされたアナスタシア・ニコラエヴァ第四王女の姿が映る。
割と鮮明な画像が送られていたのだった。フロアの白い大理石製の柱に、両手に手枷が嵌められたアナスタシアが、その柱から吊されていた。
ダランと垂れ下がる彼女の体。
アナスタシアは意識を失っていた。目をつむった彼女のうな垂れる首。そうして、水色のブラとパンティーだけの姿にされていた。
まばゆいまでの白い素肌なので、とても痛痛しい姿に思えた。
綺麗な脚が、床にまで延びる。足先は床には付いていない。
王女に対する仕打ちには思えないほどの冷酷さ。
パトリシアの仕業だと、映像を見た全員が思う。
「アンが、捕まっちゃった!? ねねね、たいへん!」
後ろを向いて、サラ・ザラスシュトラの顔を見上げるマリヤであった。
「あれは、魔法拘束具です。本来ならば、凶悪で凶暴なモンスターを捕縛するための捕獲装置です。嵌められた相手の魔法力を吸い上げ続ける非道の魔具。これを、人間に使い続けたのならば、やがて魔法力が枯渇して――死んでしまう!」
サラの悲痛なる叫び。
それを聞き――。
「姉ちゃんを助けなくちゃ!」
カイトは立ち上がる。座っていた席を勢いよく引いたので、倒れてしまっていた。
「やー、いやー。あ、アンはどうなっちゃうの? どうしてイジメられているの?」
涙目となり、カイトの左袖を引っ張るマリヤであった。
「キミは、姉ちゃんの身内の人だね。顔はそっくりだけど、姉ちゃんより胸が大きいから、違う人だと分かってたよ」
オッパイ・マイスターの彼は、綺麗な白い歯を見せてマリヤに微笑み掛ける。
ずっと前から、姉のアンナではないと見破っていたのだ。
アナスタシアの痛ましい姿。
その前に立つ新・教皇。
『ティマイオス全土の皆さま。この暴漢は、王宮壊滅時にお亡くなりになったアナスタシア・ニコラエヴァ第四王女殿下の名前を語る真っ赤なニセモノなのです! アンナ・ニコラなるティマイオス王立学園高等部二年生の生徒は、凶悪なモンスターを使い学園の無垢なる罪のない生徒たちを人質に取りました。そうして、教皇庁はおろか、大陸の権力の最高機関である国会を脅迫しようと企てていました。これらの事実は、私の娘のマリー・アレンにより、全て報告されたのです。学園に居る生徒の皆さま! 教皇庁は、近衛兵団の全てを、生徒救出に向かわせました。ご安心下さい!』
大げさな身振り手振りをまじえた、パトリシアの言葉が響く。
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