(十年目と十二年目の再会)
今日より再開します。しばらくは毎日19時に更新します。
――午前五時四十分。
ガリラヤ村、カイトの家二階。
「キャーア! 曲者です、暴漢です! 変態異常性欲者ですー! 母さま、父さま、姉さま! アンドレー! 助けてー! キャー、キャー!」
早朝のカイトの部屋に、幼女の耳障りなキンキン声が響く。
「ななな、何?」
小さな体から、こんなにも大きな声が出でくるモノなのか――勇者カイト・アーベルはそっちの方で驚いていた。
そして、カイトの聞いたこともない単語が幾つも飛び出して、目を丸くする。
尿意を覚えて目を覚ましていたので、少しだけチビりそうになっていたのは内緒だ。
「ここは、見慣れない場所だわ。あなたは、私を王宮から誘拐したのね! この変態ロリコン野郎め! 私を誘拐して、身代金をタンマリ頂こうという算段でしょうが、そうは問屋が卸しません。すぐに、オリガ姉さまが飛んでくるわ。姉さまの使う空力魔法で、あんたなんかギッタンギッタンのバラバラにしちゃうんですからね! ねったらね! ホラ!」
バン!
ドアが激しく開く。その方向を指差す幼女。
「どうしたの、朝っぱらから!」
大魔導師のアンナ・ニコラが血相を変えてカイトの部屋に入ってきた。彼女は、白と水色の縦縞の可愛らしいパジャマを着ている。
いつも寝起きの悪いアンナが、パッチリと目を覚ますほどの叫声だったのだ。
アンナは、隣の部屋で眠っていた。現在、主が不在のアイの部屋。
そうして、ベッドで上半身を起こしている幼女の姿を見つけ、顔面蒼白となり固まっていた。
「なんやなんや、兄ちゃん。何があった?」
「カイト君、どうしました。新たなる敵の襲来ですか?」
全身黒ずくめのパジャマを着る大盗賊と大占い師のミーシャ・フリードル。頭には黒のナイトキャップを被っている。
そして大神官のマリー・アレンの方は、アンナの水玉のパジャマを借りていたのだった。着丈はピッタリであったが、胸の部分のボタンがはち切れそうだった。
一階のカイト父の部屋で眠っていた二人は、早朝の幼女の悲鳴を聞きつけて、二階まで駆け上って来たのだった。
ドアの前で立ち尽くすアンナを、二人は押しのけて部屋に入って来る。
「ああ、遂にやっちゃったか、やっちまいやがったか。未成年者略取誘拐と営利目的誘拐は、ティマイオスの刑法では終身刑もあるで。その上に、無垢の幼女を兄ちゃんの毒牙に掛けたんやったら、死刑もありえるな」
ミーシャは自分の額に右手を当てて――アイタタタ――そんな表情をする。
「かかか、カイト君。こんな小さな女の子を、何処から連れてきてしまわれたのですか。今なら間に合います。わたくしと一緒に警察に自首しましょう。教皇の孫のわたくしの立場を説明すれば、減刑もあり得ます。チャンと面会に行きますわ、差し入れにも行きますわ――ああ」
マリーは自分の胸に右手を当てて、ゆっくりと首を振る。長い銀色の髪の毛が揺れている。
次期女王候補の寛容な精神に溢れる、実にありがたいお言葉だった。
そうこうしている間に、東の空も白んで来ていた。
窓から入る明かりが、ベッドを照らす。
大勢が騒々しくしたためか、部屋の中を舞うホコリがキラキラと光っている。
「あ、アナタは!」
マリーは驚きの声を上げる。見覚えあるその姿は――。
「ま、マリヤ殿下ではありませんか?」
ベッドまで歩み寄り、ひざまずく。
「え? お姉さん、私を知ってるの?」
先ほどまで、恐怖に打ち震えていたベッドの上の少女は、不思議だと首を傾ける。綺麗な青い瞳を、傅く少女に向ける。
穢れのない純真な目で見返されて、顔をうつむけるマリー。
マリヤは、金色の長い髪の毛を後ろで大きく一つの三つ編みにしていた。
染めていない純白の絹を使った、上等な寝間着を来ていた。その上に、動物の毛を藍で色づけしたカーディガンを羽織っている。
大陸南西部、山脈の高山地帯に生息する珍しい山羊の毛を編み、植物の色素で染めた自然の風合いに富んだ、柔らかい青色の上着だった。
ベッドの端に腰掛け直し、ブンブンと両足を振る幼女。
「知っていますとも、殿下。わたくしは、王立学園初等部の入学式の日にお会い致しました。その時に殿下に対して無礼にも、お背中の方から話しかけてしまい、驚かせてしまいました。大変失礼な事をしてしまい、心よりお詫びします」
マリーは、カイトの部屋の床に右膝を突いたまま、ゆっくりと前に出る。
床板がギシリと軋んでいた。
「そうだっけ? 私は、お姉さんを知らないよ」
そうして、マリヤは小さな右手をマリーの顔の前に差し出した。
「ええ、そうですわね。恐れ入ります」
マリーは、その手を優しく両手で包み込む。
「うん、冷たい手。でも、手が冷たい人は、反対に心が温かい人だって、母さまが言ってた。お姉さんが手を握ってくれて、やっと安心した。お姉さんは、いい人だね」
笑顔になり、マリーへの警戒心を解いていた。小さな手で、優しく握り返す。
「ありがたいお言葉です、殿下。お詫びをずっと言いたかった。こんなわたくしを、お許し下されますか?」
顔を上げて小さな王女の姿を見る。
「どうして? 私は何も怒ってはないわ、ねぇ、姉さま」
マリヤは、部屋の入口に突っ立ったままのアンナを見て、パチクリと目を瞬かせる。
「わ、ワタシを姉だと呼ぶのですね」
アンナは体を震わせて、どうにかベッドの近くまでやって来た。
カイトとミーシャはアンナを避けて、部屋の隅に寄る。
「そうよ、オリガ姉さま。魔法を使って、あの誘拐魔から私を助け出したのでしょう。ここにいるお姉さんたちと、協力して救出に来たのでしょう?」
マリヤは、カイトを指差していた。誘拐魔のことだ。
「そうや、大人しくお縄に付け! こんの、ド・変態異常性欲者野郎めが!」
「アイテテテ、か、関節がきまってますよ、イテ、イテテ」
機転を利かせたミーシャは、カイトの後ろに回って、彼の右手をねじり上げる。
あまりもの痛みで床に膝を付くカイト。
「ミーシャさん。そのまま、その賊を連れ出して、官憲に突き出してください!」
マリーは突然立ち上がり、毅然とした態度でキッパリと言った。
「よっしゃ! 合点や!」
「イテテ、痛いですよ。ミーシャさん」
カイトを無理矢理起き上がらせ、部屋の外に連れ出すミーシャだった。
(すみません、カイト君。これも、アンナさんの秘密を、カイト君に知らせないための緊急処置なのです。どうか、許して下さい)
カイトが、ミーシャに乱暴に扱われる様を見て、心を痛めるマリーだった。
そうして、アンナとマリヤの対面を見つめる。
「姉さま、賊も居なくなったし、これで安心ね」
トン――裸足の幼女はベッドから飛び降りて、パジャマ姿のアンナの左手の袖を引っ張る。
「マリヤ……さん。私の姿を見て、何かお気付きになりませんか?」
アンナは実の姉の呼び方に困っていた。姉というには、見た目の年齢が逆転してしまっているし、殿下という敬称で呼ぶのも、呼ばれるのも照れくさいのだ。
次女のタチアナが、マリヤを時々そう呼んでいたのを思い出す。六歳の頃の思い出。
そうしてマリヤの前で、両手を広げて見せる。笑顔を作る。
「アナスタシアさまのお墓には――」
アンナが突然に歌い出す。マリーは驚いて彼女の顔を見る。
「――女の子しか、入れませぬ♪」
首を振り振り、アンナに続いて歌い出すマリヤだった。
「入った女が、見る先は?」
「竜が出るか、蛇が出るか!」
「「毒持つヘビに気をつけな♪ しゃべるヘビにも気をつけな♪」」
互いに掛け合いをした後に、二人一緒に歌い出す。
そして、手を取り合って笑い合う。
ニコラエヴァ王家に古くから伝承されてる、わらべ歌であった。




