(タミアラの宿屋)
――午後九時二十三分。
タミアラの街、宿屋の部屋。
「ふー。ちょっと食べ過ぎたかもな。でも、満足満足。妾は満足じゃ」
宿屋の浴衣を羽織るアンナは、ベッドに腰掛けてお腹をポンポンと叩く。下腹部がポッコリと突きだしていた。自己管理に怠りない彼女には、珍しい光景だった。
ミーシャの紹介で、タミアラの街の旅館内に入っている料理屋で食事をした。
近くのミヨイ湖でとれた魚料理や、近くの山でとれるイノシシや鹿の野趣溢れる料理に、舌鼓を打った勇者さまご一行。
菜食主義者のマリーは、もちろん魚や獣の肉は食べられない。
だが、野草やキノコを天ぷらにして、塩を掛けた料理には、大満足のマリーだった。感動に打ち震え、大きな胸を揺らしていた。
食事の様子を思い出すアンナ。
彼女が着るのは、紺色で宿屋の名前が白抜きで入る地味な浴衣。「湖畔の宿」と達筆で書かれている。
「姉ちゃん。ボクと一緒の部屋でいいの?」
カイトは隣のベッドに正座して、アンナに尋ねていた。カイトも同じく宿屋の浴衣を着る。完璧に着こなしているアンナに比べ、糊が利いてパリパリの浴衣を、折り目も鮮やかに着させられていた。
そのカイトは正座するベッドに、指で「の」の字を書いている。
「いいジャン、姉弟だもん。恥ずかしがるなよぉーカイト。アンタが恥ずかしがると、アタシまで何だか居心地が悪くなってくるよ」
珍しく顔を赤らめるアンナ。モジモジと体をよじる。その顔と仕草に、ドキリとなるカイトだった。
アンナは浴衣の下にはパンツしか着ていない。湯上がりの本人がそう語っていたから、そうなのだ。
ベッドから投げ出された、スラリと伸びるアンナの白い足。思わず目が行ってしまうカイトだったが、十五歳の少年では無理は無い。
「あー気持ちいい風」
開け放たれていた窓から吹く、そよ風。
食事後、この宿名物の温泉に浸かっていたアンナ。食事の手配も、宿の手配も大盗賊のミーシャ・フリードルに任せていた。
決して全面的に信頼しているわけではないが、ミーシャの粋な計らいからも、信用に値する人物であるとアンナは考える。
「おう、カイト。外を見てごらん。良い景色だよ」
部屋の外はバルコニーになっていた。木製のバルコニー床に、備え付けのサンダルを履いて出るアンナ。
カイトも外に出て、眺望を楽しむ。
空に登る下弦の月が、ミヨイ湖に写っていた。漆黒の湖面上でゆらゆらと揺れている。
周囲を覆う、うっそうとした森林が月の光で黒くシルエットを作る。
カイトは故郷のガリラヤ村の景色を思い出す。
まあガリラヤ村は、大概ド田舎なのだが、こういった自然タップリの風景には癒されるカイトだった。人工の大都市ティマイオスには、どうしてもなじめない彼なのだった。
「そうだね。静かでイイ場所だね。姉ちゃんと、こんな風に旅行したのは始めてだよね」
カイトはアンナの直ぐ隣に寄り添う。
「これは、ハネムーンと言っていいかしら。今晩は、お姉ちゃんがカイトを寝かせないよぅー」
アンナはそう言って、自分の浴衣の肩口をめくってみせる。綺麗な白い肌が見えていた。湯上がりで、ほんのりと桜色だ。
カイトは慌てて目を逸らす。
「聞き捨てなりませんわね! アンナさん!」
マリーの声。
「そうだ、姉弟であっても、問題の多い発言だぞ」
背後からのクロエの声。
「アレレ~」
ガックリと肩を落とすアンナ。
「わたくしたちの部屋は隣ですし、この大型バルコニーは共用になってますの」
ふり返るカイト。隣の部屋の明かりで、マリーとクロエはシルエットとなっていた。
「この部屋分けには、納得がいかないな」
クロエはツカツカと歩み、カイトの手を取ってアンナから引き剥がす。
「どうして、公平なる部屋分けよ。ツインの部屋が二部屋あてがわれたのだから、当然、こうなるべきでしょ。生徒会長という狼の元に、勇者のウサギちゃんが放り込まれる。そんなことをされたら大事な大事な弟が、傷物にされてしまうわ。おー怖い怖い」
アンナは自分の肩を抱き、あっけらかんと言う。
「それよりも、カイト君はどうして温泉に来ませんでしたの? せっかくの露天風呂で混浴でしたのに……」
マリーは悔しそうに言う。
「ああ、カイトは部屋のお風呂に入ったのだよ。怖い乳牛さんに、裸をガン見されては、おちおちと入浴も出来ないからな」
アンナの言葉に、ブンブンとうなずくカイト。
「そうでしたの? それは、残念。でも、明日の朝は一緒にどうですか? 早朝から入れるようですし、朝モヤに煙る湖の景色も幻想的だ――と、宿のご主人もおっしゃっていましたわ」
諦めの悪いマリーだった。
「明日の朝は、早くから出掛けねばならぬ。旅館の朝食をすませたら、直ぐに出発だ!」
大きく伸びをしてクロエが言った。
「あーあふ。何か眠くなったわね。明日も早いから、今日は早く寝ましょ」
カイトの手を取って部屋へと戻るアンナ。カランコロンと、木製のサンダルの歩く音がする。
(何か、ほのぼのでいいな)
カイトは微笑む。
「もー。悔しいですわ」
カイトの後ろで、胸の前に握り拳を作って悔しがるマリーだった。
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