(酒場で乱闘)
――午後五時十二分。
ミヨイ湖畔の街タミアラ、ロイドの店。
今にも発火寸前の酒場。
暴力の感情に支配されている、この場所。
少しの理由で火が点けば、あっという間に炎は店全体に広がるのであった。
客たちも、ヒリヒリと肌を刺すような空気を感じてか、手には酒瓶などを持って備えていた。
でも、荒事を期待している客たちの、楽しそうな顔、顔、顔。
喧嘩、乱闘、何でも上等な街の住人なのだ。単なる催し物の一つとしか感じてないのだった。
「あん? そのカードは何だぁ?」
タミアラの街の顔役・太っちょのブッチが、大賢者のマリー・アレンを見る。彼女は、母親からもらった何でも買える打ち出の小槌の黒いカードを取り出して、皆に見せつけていた。
ブッチは、カードとマリーの顔とを見比べている。カードには、教皇の紋章がホログラムで浮かび上がっていた。二匹のヘビが剣にまとわりついている。
カードを持つ手が、緊張でプルプル震えるバニーガール姿のマリー。豊かな胸とお尻がフルフルと振動する。
腰までの長い銀髪も一緒に揺れる。
「ええい! 控えあろう! この紋章が目に入らぬか! このお方を、どなたと心得る!」
ドンとステージから降りて、マリーの前に立つのは大戦士のクロエ・マルゴーだった。
大声で口上を述べる。
クロエは赤いドレスの長いスカートをたくし上げて、太ももの位置で縛り付けている。そのため、意外な脚線美を披露していた。筋肉ムキムキでもないし、むだ毛もない。
こちらの方も、色色と戦闘準備は万端だ。
「ハァアー?」
ブッチは――何いってんだコイツとの顔をしていた。
「この乳牛さんはね、お爺ちゃんは教皇をやってるし、お母さんは宗教界のナンバー2のパトリシア・アレン枢機卿なのさ。さっき映像が出たでしょ。アンタたち、下級層の下っ端には初めて見る顔でしょうけどね。ちなみに、5000ゴールド札を持ってる奇特な人は、お札の肖像画と見比べてご覧なさい。アンタらは、将来の女王さまにケンカを売ってるのよ! 覚悟しときなさい!」
大魔法使いのアンナ・ニコラは破れかぶれだった。マリーが自身の身分を、簡単に明かすとは思わなかったのだ。ここまで、アンポンタンとは知らなかった。世間ずれし過ぎにも程がある。
(こうなったら、教皇さまのご威光をかざすしかないからね)
アンナも、権力に頼るのは最終手段だと感じていた。アンナ自身も、そういう権威主義を嫌っていた。それでも、教皇の孫のマリーを担ぎ上げるのは気が引けるが、仕方がないと割り切って考える。
まあ軽い神輿なので――面倒くさくなったら――そのまま投げ捨てるつもりだ。
近くのミヨイ湖に、神輿ごとドボンだ。
「そうかい。じゃあ、こちらのお嬢さんを人質にすれば、教皇庁からタンマリと身代金を頂けるというもんだな」
デブのブッチはゲヘヘと下品な笑い顔で、マリーの全身を見る。
小柄で細い青色人しか見たことのなかったブッチには、グラマラスな体躯のマリーが珍しいのだ。先の尖った耳が、アンバランスさに拍車を掛ける。
「…………それは」
マリーには、こういった展開は計算外だったらしい。祖父の、教皇の名前を出せば、この場の全員が平伏すると思っていた。
ハハー、ヘヘーと全員が揃って並び、土下座をする姿を思い浮かべていたのだ。完全に当てが外れる。
マリーにとっては、打つべき次の一手を用意していなかったのが痛い。
「おお、このお札に乗ってる美人さんに――この娘っこは、そっくりダベ!」
ブッチの手下のチビ男は、自分の懐の財布から、この国の最高高額紙幣の5000ゴールド札を取り出す。マリーとお札の顔とを見比べていた。
ちなみに、ティマイオスの貨幣制度では、1ゴールド、5ゴールド、10ゴールド、50ゴールドは、硬貨として流通している。
1ゴールド、5ゴールドは銅貨、10ゴールド、50ゴールドは銀貨である。表にはニコラエヴァ王家の紋章が刻印され、裏には額面の数字が彫られている。
100ゴールド、500ゴールド、1000ゴールドは紙幣として市中に出回っている。5000ゴールド札は、最近になって発行された紙幣だが、まだまだ流通枚数は少ない。たまに見かけても、ニセ札である確率が高いので、敬遠されているのだ。庶民であるカイトなどは、全く見たことは無かった。
だから、マリーの母親のパトリシア・アレン枢機卿の顔は、教皇庁で初めて見たのだった。
1000ゴールド札には、前女王のアレクサンドラ・ニコラエヴァの肖像が描かれている。500ゴールド札には、アレクサンドラの母親、エカテリーナ女王の五十歳の肖像画だ。
100ゴールド札には四千年前の伝説の女王、アナスタシアが描かれている。100歳のシワの多い老婆の姿だった。王家の遺跡にあった壁画を元にしているので、いささかデフォルメされた絵だ。
パトリシアをニコラエヴァ王家よりも、更に上に置きたいと考える教皇のチャールズ十三世。そのために、5000ゴールド札を新規に発行したのだ。
しかし、使い勝手の悪い紙幣だった。資産家や銀行家が使用するに留まっている。ブッチの手下が、それを持っているということを考えてみる。
彼らの組織の正体とは――。
「オイ! オメエら! この娘さんを――教皇の孫を、ふん縛ったヤツは、金をせしめる権利を与えるぜ! でもな、くれぐれもエッチなバニーちゃんには傷一つ付けるなよ」
ブッチは後ろを向き、酒場の客たちを煽っていた。彼はグヘヘと舌を出し、口の周りを舐め回していた。興奮し、唇が乾いてきたのだ。
「他の娘はどうする!」
後ろからの声。
「好きにしていいさ、煮るなり焼くなりご自由に! 金髪と黒髪は、余所でも高く売れそうだ! 赤いのは……まあ、趣味は人それぞれだ」
ブッチは下品な笑いを顔に貼り付かせる。
「俺が、金髪ねーちゃんを貰う!」
「黒髪のカワイコちゃんは、じっくりと楽しませて貰うぜ!」
「金髪は、闇の奴隷市場では高値が付くぞ!」
皆が、手前勝手に叫ぶ。
(ヤバイよ姉ちゃん)
カイトはアンナに向いて、助けてくれ――と目線を送る。彼には本格的に貞操の危機が迫っていた。いやいや、マリーを始めとするパーティー全員のピンチだ。
本来ならば、仲間の危機を救うのが勇者の努めなのだが、ポンコツ勇者のカイトには何も手出しが出来ないのであった。
しかしアンナは他人事であるかのように、ニヤニヤと笑っていた。カイトは不思議に思う。
「オレのご指名は無しか……」
クロエがトボトボと歩き出し、黒バンダナを頭に巻いたブッチの手下の小男へと近づいた。
「俺は、こんな筋肉ねーちゃんを抱く趣味はないぜ!」
ワハハと後ろを向いて笑い出す。酒場の皆も、同様に笑う。
「ガチャン! パリン!」
激しい音がした。
ゴフ――と、一声を発した後に、チビ男が吹き飛んでいた。クロエの正拳突きで、さっきまでチビ男自身が座っていたテーブル席に、ぶち当たったのだ。
酒瓶やグラスが落ちて割れ、激しい音がしていた。
その前には、腰を深く落としたクロエの姿がある。
「フ……。軽い軽い、剣さえ必要としないな」
自分の右拳を確認するクロエ。学園の授業で習った武術の技が役に立った。
「ああ! オメー、よくもやりやがったなぁー。こうなりゃあーステイタスカード、起動!」
ブッチはノロノロと言って、自分のカードを取り出す。
「おい、オマエ、聞いて驚けぇ! 俺は戦士のレベル26だ。おまえらみたいなひよっ子とは、格が違うんだよ、格が! そんじゃ、『ベアー・アックス』装備!」
ブッチが左手でカードを自分の顔の前にかざして叫ぶと、彼の右手に片刃の大きな斧が現れた。
「この斧は、どう猛なクマさえも一撃で仕留める業物だぞ。悪いな、赤毛の姉ちゃんよ。オレら黒頭巾団は、逆らうヤツには容赦しねえんだ」
言ったブッチは、重そうな斧を軽々と振り回していた。ヒュンヒュン、ブンブンと風を切る音が聞こえてくる。
そして、軽く前後左右にステップを踏む。体型には似合わないほど軽快に動いていた。




