(カイトの晩餐)
◆◇◆
――午後七時五分。
ガリラヤ村、カイトの自宅。
「どうでしたかな、お二人とも。今日は、カイト君の入学祝いに、鶏の丸焼きなんぞ作ってみました。自慢の腕を奮った自信作ですぞ。窯から出しては、ハチミツと鶏の脂を塗って何度も焼きました。そのお陰で、皮がパリパリですぞ。たっぷりと堪能して下され!」
カイトの父親が手作りした、木製のテーブル。そのためか、微妙に水平が怪しい。その中央に、今日のメイン料理の載った大皿を置くアンドレ。
自家製石窯で焼いたローストチキンが、ランプの光でオレンジ色にテカテカヌラヌラと光る。
香ばしく焼かれた肉の匂いが漂い、カイトは改めて空腹を覚える。
「このトリは、今朝まで卵を産んでいた――鶏ですよね」
カイトは、家の敷地の外れにある鶏小屋を思い出す。隣には牛小屋や豚小屋もあり、三人の重要なタンパク源になっている。
家畜たちのエサやりの役割はカイトだったから、丸焼けにされた鶏もよく懐いていた。
他にも馬小屋もあり、飼い葉をやり馬を世話するのはアンドレの役目であった。
「そうよ、この子は『ササミ』かな。人は、他の生き物の命を奪って、自分たちの命を長らえている。だから、しっかり食べて、彼女らの分も生きてあげる。どこかの誰かさんのように菜食主義だなんて、偽善で欺瞞で自己満足なのよ」
アンナはそう言って、テーブル上の大ぶりなナイフを使い、脚の部分を取り分ける。一つをカイトの皿、もう一つを自分の皿に載せる。
会話の中の誰かさんとは、生徒会長のマリーを指しているとカイトは理解する。
彼女のように宗教一家の家庭でも、戒律を守り規則正しい生活をしているのは少ない。
真面目なマリーの顔と、大きな胸を思い浮かべるカイトだった。
「『ササミ』は最近は卵を産まなくなりましたからな。『かしわ』や『もつ』も老いてきましたので、今度はフライドチキンにでもしましょう。でも『手羽』や『きんかん』と『ぼんじり』は、毎朝たくさん卵を産みますので、しばらくはそのままです。残酷かもしれませんが、これが現実なのです」
アンドレはそう言って、脂のしたたる胸の部分をナイフで切り分け始める。慣れた手付きであった。動物の解体に長けている。
ちなみに、登場した部位名は全て鶏の名前なのだ。
一風変わった名前の命名者は、全てアンナだった。アンナには名前を付けるセンスが無い。
二頭いる牛は、『牛乳』と『ステーキ』と命名した。六匹の豚は『トンカツ』、『しょうが焼き』、『角煮』、『カツ丼』、『豚足』、『ミミガー』と、アンナがそれぞれの名付け親だ。
「『ササミ』もヒヨコの頃から知っているから、大事に食べてあげるよ」
カイトは食卓で手を合わせ、命の恵みに感謝する。
『ササミ』の骨は集めて、庭の隅に埋めてあげようと、カイトは思っていた。
お墓を作って供養するのだ。
「カイト君、入学式はどうでしたか? 学校の方は慣れそうですかな?」
アンドレは、焼いたパンに胸肉とキュウリのスライスを挟み、自家製のマヨネーズと、これまた自家製のケチャップを混ぜたオーロラソースを掛けて食べる。
大変に美味しそうに見えたので、カイトは今度、真似してみようと思った。
「ウン……」
カイトの脚をテーブルの下で蹴るアンナ。寮で出会った、アンドレの娘のクロエの事は喋るなとの合図だ。
「あ、そうそう。カイトったらね、早速、可愛らしい女の子と仲良くなってるのよ。それに、生徒会長のマリーもカイトにご執心みたい。こんな、蚊も殺せないような弱っちい外見のカイトのクセに、女の子を落とすのは早いのよ!」
アンナは愉快な出来事であるかのように話す。
「ワッハッハ! そうですか! そりゃあイイ! カイト君の父さんのジョーも、女の子にはモテモテでしたからな、ワハハ!」
豪快に笑い、アンドレは白い陶器製のジョッキに入った自家製ビールを半分ほど飲み干す。
ガリラヤの他の村人から、様々な料理や調味料に酒の作り方を習っていた。アンドレは学習能力が高く、独自のアレンジを加えていた。
カイトは、アンドレが作る味噌や醤油で料理の味の深みを覚えた。
甘酒を振る舞われて、こんなに美味しい飲み物があるとは知らなかった。
「父さんが、モテモテ?」
「プハァー、そうですな。冒険の旅では、泊まった街の踊り子に惚れられたり、小さな村の有力者が自分の娘を嫁にと薦めて来たり。そんな話には事欠かない男でしたが、当時――同じパーティーにいた、大賢者のパトリシアさまが睨みを利かせていましたな」
「え? 会長さんのお母さんと、仲間だったの?」
カイトが話に食らい付いていた。
「まあ、パトリシアさまは勝手に惚れて押しかけ女房気取りでしたが、ヤツには別に、心に決めた女性がいたようでした」
「それって、母さんの事?」
カイトが幼少時に死去した母親のことだ。だが、記憶には無い。
「そうです。ワタシも一度しかお会いしたことしかなかったが、極めて普通の娘でしたな。例えると、道ばたに咲くタンポポの花のような」
「へー。父さんと母さんはどこで知り合ったんだろ……」
カイトは、顔も知らない母親の姿を想像してみる。
(タンポポみたいな、お母さん)
イメージは湧かない。かわりに、九年前に生き別れになった双子の妹のアイの顔が浮かんだ。アンドレの話だと、カイトは父に似てないと言うから、きっとアイのヤツを大人に成長させた顔なんだろう――と思った。
「じゃあ、じゃあ、アンドレはどうだったのよ? よく見りゃハンサムだし、色色と悪さもしたんでしょ! ねぇ、ねぇ」
アンドレの左隣の席に座るアンナは、右肘で血の繋がらない父親の脇腹を小突く。
よく見りゃ――とは、失礼な言い草だった。
「ワタシには、幼なじみの許嫁がおりましてな。ワタシ以上に強いおなごでして、他の娘になびくようならば半殺しにされました。今は、どうしておりますことやら……」
(アレ……? アンドレおじさんは、結婚していたんだよね。そういえば、クロエさんが娘さんだった)
カイトは思う。アンドレは行き掛かり上、アンナと行動を共にする事になった。
その理由を聞いても、曖昧な答えばかりで、はぐらかされ続けていた。
やっぱり、二人は何かを隠している。そう感じていた。
――午後七時四十八分。
カイトの家の台所で洗い物をする音。
食事が終わって、全ての後片付けはアンドレの担当だった。
エプロン姿の大男が身をかがめ、小さな食器を洗う。
「アンナ姉ちゃん、明日は学校どうするの? 新入生は、授業がないから休みだと聞いたよ」
「ああ、それね。明日は二年・三年で、剣術と格闘術の武闘大会があるのよ。剣術の会場はグラウンド、格闘術の会場は体育館でそれぞれやるの。その間に、教職員が新入生に合わせた教科のプログラムを組むのよね」
アンドレの入れておいたコーヒーを飲むアンナ。彼の手作りクッキーをポリポリと食べながら、食後のゆったりとした時間を過ごす。
アンナは白いマグカップの縁を撫で、キューと音を鳴らす。
クッキーはご丁寧にも、鳥の形をしていた。カイトは頭の方からかじる。鶏たちの卵をタップリ使ったクッキーだ。
「え? 剣術と格闘術の大会? 姉ちゃんは出るの?」
「どうしてアタシが出るの? 大魔法使いは、今日の授業での魔法演技の披露でお終い。あ、そうそう。カイトは剣術大会にエントリーしておいたからさ、心しといてね」
「え? 剣術大会? ボク一年生だよ。それに剣の腕前は、アンナ姉ちゃんにも勝てないほどだよ。良く知ってるでしょ」
カイトはむくれた顔を向ける。クッキーを二三個、口に放り込む。
「勇者は、勇者であることが肝心なのよ。学園長も特例で出場を認めてくれた。ま、安心して、大船に乗ったつもりでいなさい。アタシがチョチョいと助けてあげるからさ」
ニヒヒ、と悪い顔で笑うアンナ。自分の胸をポンと叩く。
「全く、他人事だと思ってさ!」
カイトはプイと横を向く。クッキーを強くかみ砕く。
チョチョい――なんてアンナは言っているが、悪い予感しかしない。
決まって、酷い目に合わされていた。
「何を話しておいでですかな。お二人は、本当に仲がよろしくていらっしゃる」
アンドレが洗い仕事を終えて、エプロンで手を拭きながら戻って来た。
「やっぱり、そう見える?」
嬉しそうな仕草のアンナは、そう言ってから――。
「明日も、今日と同じ時間に学園に向かうからさ、早く寝ておくんだよ」
コーヒーをすするカイトの肩を、ポンポンと優しく叩く。
その後、アンナとアンドレの二人は、隣の家に戻っていく。
振り返り手を振ってくる二人の背中を見送るカイト。
カイトは、広い家に一人きりとなる。家の中を見渡した。三人で一緒に暮らすには不自由しない広さの家だ。二階には二部屋あり、カイトの今使っている部屋と、双子の妹のアイが使っていた部屋が、九年前の失踪時そのままに残されている。
「寂しいな……」
カイトは、食卓に一人座りポツリと呟いた。
◆◇◆
10/23誤字を修正しました。




