(マリーの小さな夢)
――午後三時十五分。
王立学園一階、相談室。
カラン♪ カラン♪ カラン♪ カラン♪
ハンドベルの音が、小さな部屋の中にフルボリュームで響く。
聴覚強化の魔法を最大にしていたマリーは、驚いて腰を抜かし、扉の前でへたり込んだ。ペタンと、大きなお尻をフカフカ絨毯の廊下に落とす。
慌てて、強化魔法を打ち消した。
だが、確かに聞いたサーシャの声。
(カイト君が、『勇者』! よっしゃーあ!!)
マリーは満面の笑顔で、勢いよく立ち上がる。両手で、ガッツポーズを取っていた。
「大当たりぃ~! 大当たりぃ~! 勇者さまの誕生じゃあ!!」
サーシャの大きな声が扉の外まで漏れてきた。これでは聴覚強化の魔法も必要無い。
「勇者? ボクが?」
カイトが言ったその時だ、扉が勢いよく開いた。
「カイト君! キミが勇者だと言うのは本当!?」
入って来たのは生徒会長のマリー・アレンだった。
「え?」
突然の登場にも驚いたが、その会長さんがカイトのことを抱きしめて来たから、更に驚愕する。大きな胸の谷間に顔を押しつけられる。
「何をしとるんじゃ! 大賢者マリー・アレン!」
椅子の上に立ち上がり、ハンドベルをかき鳴らしていたサーシャが、平静を取り戻す。
先ほどまでは、もっとも取り乱していた人物だが、今は落ち着いていた。
「知っていますわ。ステイタスカードの授与の儀式中は、部外者は立ち入り禁止ですわよね。でも、わたくしはカイト君の将来の伴侶。立派な関係者です。妻としての最初の仕事は、彼と共に喜びを分かち合う事なのです」
「はんりょ?」
ポカンとした顔でマリーを見るカイト。
さっきまでは、大きな胸で圧死させられそうだったが、どうにか顔を逃していた。
「ええ、ええええ! そうですとも! 我が家の家訓にもありますわ、アレン家の女賢者は、勇者が誕生したおりには、伴侶として付き従う。先代の勇者、『ジョー・ジャック・アーベル』さまが判明したときに、母のパトリシア・アレンは押しかけ女房になりましたの……。ま、キッパリと断られましたけど……」
「え? 父さんが? えええ? マリーさんのお母さんが? えええ?」
カイトは体を引いて、マリーの顔を見る。
「父さん? やっぱりアンナさんは隠していましたね。カイト君は、勇者さまの息子さんなのでしょ」
マリーは、カイトの持つステイタスカードを引ったくるようにして奪い、名前欄を確認する。
「ホラホラ、そうですわ。『カイト・アーベル』! アーベル家は、代代勇者を多く生み出す家系。でも中々子供を成さないので、正妻の他に特別に側室を二人まで持つ事を許されているのです! それに、誕生した勇者には名誉貴族の称号が与えられます。先代勇者は『サー・ジョー・ジャック・アーベル』と呼ばれていましたが、海洋都市『エナリオス』滅亡の責任を取って、貴族の称号を返上されました。その替わりに、カイト君は十八歳の成人したおりには、新しく名誉貴族の地位が与えられます! 『サー・カイト・アーベル』の名前になるのですよ! あはは! きゃはは!」
マリーはピョンピョンと飛び上がって喜ぶ。
その度に大きな胸が大胆に動くので、カイトの目は釘付けになってしまっていた。
(結婚出来る! カイト君と、結婚出来ますわ! ビバ、勇者! ありがとう、ご先祖さま! カイト君が十八歳になったら、即結婚ですの! 誰にも文句は言わせませんわ!)
「か、会長さん?」
鼻息荒いマリーを前にして、怯えきった表情のカイト。菜食主義者の肉食動物に捕食寸前の、か弱いウサギなのだった。
「何を、興奮しておる! この少年は、勇者は勇者であるが、チトやっかいでな」
椅子の上でアグラを掻く、大占い師のサーシャ・フリードルは冷静な言葉を目の前の二人に向ける。
「「やっかい?」」
カイトとマリーは同時に言葉を発する。揃った行動に、二人は顔を見合わせて顔を赤らめていた。
「説明をするので、ホラ少年、腰かけぃ。それに、乳牛さんよ、彼のステイタスカードをワシに返すのじゃ」
乳牛と呼ばれ、マリーはムッとした表情となるが、優等生の彼女は大人しくカードを大占い師に返却する。
「説明ですか?」
椅子に座って、身を乗り出しながら聞くカイト。その椅子の背もたれに手を乗せて、完全にパートナーで同伴者気取りのマリーも、話を聞く。
いや、教師と生徒の対面に加わった、三者面談時の母親の立場だった。
「ここにな、職業欄と、到達予想レベルと、現状レベルが表示される」
「ええ、ですね」
カードを差し出して見せてきたので、顔を近づけ確認するカイト。職業欄に確かに『勇者』と表示がある。
「問題はここじゃ、到達予想と現状のレベルの数字を読み上げて、みるのじゃ」
サーシャはカードを指差して、人差し指でトントンと叩く。
「えーと、『00』(ゼロゼロ)になっていますね」
「え? 確かですの?」
カイトが言った言葉に、懐疑的な態度のマリー。
「ホラ会長さん、『00』でしょ」
カイトはサーシャから受け取ったカードを、後ろのマリーに見せていた。
「そうですわね。何かの間違いじゃありませんの、サーシャさま」
「え? 間違い?」
間違いと言われて、心細そうな顔をマリーに向けるカイト。
「いえいえ、そうじゃありませんのよカイト君。このような事は、あり得ませんの。現状レベルが『ゼロ』であるなんて、それは死んでいることを意味するのですよ」
「え? ボク死んでるの?
真っ青な彼の顔。追い打ちを掛けたのはマリーの言葉だった。
「うーむ、だから厄介なのじゃ。到達予想レベルを仮に『100』だとしよう。ステイタスカードで表示できる数字は2桁までじゃからの。3桁目の数字がちょん切られたのじゃ。しかし、それだと現状レベルが説明出来ないのぅ。現状レベルの最低の数値は『1』じゃ。ゼロになるのは、乳牛が言うように死を意味しているからの。じゃあ現状が『100』だと仮定したら、今度はとんでもないことになる。お主、魔法を使えるのか? 格闘術の腕前は? 他には特殊な能力はないのか?」
「え? え? え?」
次次と質問を浴びせられ、困惑の表情のカイト。
「サーシャさま、酷いですわ。今のカイト君は、勇者であると告げられて戸惑っていますの。それなのに何か……疑いの目を……」
カイトの両肩に手を乗せて、抗議するマリーだった。
「あ、ボクは平気ですよ会長さん。ボクは魔法は使えませんし、格闘技の心得もない。アンナ姉ちゃんと、剣術や柔術の手合わせをしても、一度も勝てなかった。こんなボクなんで、特殊能力なんてとてもとても」
顔の前で手を振って、自身の能力の存在を否定するカイト。
マリーは、柔術の組み手でアンナと組んず解れつするカイトを夢想し、何だか面白くない。
(横四方固め? 縦四方固め?)
柔術用の胴着がはだけ、胸が露わになるアンナを思い浮かべ顔を赤らめるマリー。
「け、謙遜することはありませんわ、カイト君。キミが存在している事は、それだけで素晴らしい奇跡! ああ、心配ありません。勇者さまをお守りし、お仕えするのがアレン家の女の努めなのです。もちろん、夜のご奉仕も……」
「ほうし?」
カイトは意味を理解していない。ポカンと口を開けていた。
「黙れ、盛りの付いたインラン乳牛めが! コヤツが怯えておるじゃろう。ま、今後レベルアップした時に、数値がどう変化するのかが、注目じゃ」
二百十年生きても、ツルペタ幼女の姿の大占い師のサーシャは、巨乳の人間を一人残らず憎悪しているのだ。本当に、大陸全土からの根絶を願っている。
「サーシャさま酷いです。乳牛の発言は取り消して下さい。ええ、確かに牛乳は好きですけど……。中等部の時に飲みまくって、このような体型になってしまいました。それに、カイト君をコヤツと呼ぶのも失礼です。なんと言っても彼は、大陸ただ一人の勇者さま。うやうやしくうやまわなくて、どうしますか!」
「ムムム」
マリーの必死の剣幕に押される、ロリロリ姿の大占い師。
マリーの方も真剣だった。自分の漏れ出そうな欲望を隠そうと必死である。優等生として、聖人としての振る舞いに、ストレスを感じているのも事実だった。
「勇者は、大陸に一人なんですか? じゃあ、前の勇者だったという父の行方は分からないんですか?」
「え? お父さんの行方?」
マリーは始めて聞く事実に、真剣な顔をカイトに向ける。
「うん。九年前、父さんと妹が旅に出ると言って家を出てから、二人とも行方不明になってるんです。本当に勇者って、一人しか出現しないんですか?」
「そうじゃの。勇者がこの大陸『ティマイオス』に、同時に二人以上出現することはない。だから、お主の父親は死んでしまったか――」
悲しそうなカイトの顔を見て、マリーの顔は曇る。
(気の利かない、チンチクリン占い師だわ)
そんなことを思う。
「――もしくは、大陸の外に出てしまったか……」
「ちょっと待って下さい。大陸の外には海しかなくて、その外は断崖絶壁があって……」
サーシャの言葉に割って入るマリー。
「え? それって、大昔の伝説じゃあないんですか? ボクらの住んでいるこの地球は丸いんですよ」
「違います! 教科書はそうですが、我らの宗教的見解では、違うんです! わたしたちの立場もご理解して下さい」
頑として譲らないマリー。そこは頑固な彼女だった。
「少年、そこは汲んでやれ。魔法科学の発達と共に、彼ら、彼女ら宗教人の居場所は無くなってしまった」
カイトから可哀相な者を見るような視線を向けられ、マリーは居心地が悪くなって来た。モジモジと体をひねる。
「だって……」
マリーが言い訳しようと口を開いた時。
「カイト!」
血相変えたアンナが、勢いよく部屋に入って来た。立ち上がった彼を思い切り抱きしめていた。強く強く、背中に腕を食い込ませるように。
「ね、姉ちゃんイタイ、痛いよ。それよりも、学園長さんから呼び出されていたけど、何があったの?」
「あ、ああ、あああ、ああああ。アレは何でもないよ。アタシは色色と悪さしてるからさ、学園長直々にお叱りを受けたの。まあ、カイトが気を揉むことはないよ」
そう言ったアンナの顔を見て、マリーは怪訝な顔をする。明らかに元気が無いのだ。普段から、無闇に明るい彼女には似合わない。
無駄に明るいのが取り柄なのに――マリーは思う。
(カイト君に飛びつくように抱きついたのも、彼にすがろうとしたのだわ)
マリーは、アンナの誰にも見せない心の奥底の闇を見たように感じた。
「カイトが、勇者か。うん、よかったぁー」
ホッとして、相談室の床に膝から崩れ落ちるアンナ。彼女の壮大なる計画の第一歩。勇者カイトは、その重要な役割を担っているのだ。
壮大なる計画――それは、後々アンナの口から語られる事になる。
「よう、アナ……いや、アンナ・ニコラ。一年ぶりじゃの」
大占い師に気さくに話しかけられて、一瞬アンナの顔が険しくなる。
「サーシャ・フリードルさま、お久しぶりです。あの時は、本当に失礼しました。色色とご迷惑をお掛けしました。お手数をお掛けしました」
歯を見せて笑い、立ち上がるアンナ。彼女には珍しく大きく頭を下げる。
「アンナさん。いきなり入って来て何事ですの?」
少しむくれたマリーが、自分の事を差し置いて聞いた。
「家族の事を心配してはいけないの? 生徒会長さま。そういうアナタはどうして、この場所に? 赤の他人のアナタこそ、変でしょ」
「アンナさん。アナタのこと、わたくしは『お義姉さま』と呼ぶことになりそうですわ」
「へ?」
マリーの言葉の意味を、理解出来ないアンナ。少し抜けた顔をさらしてしまう。
「大賢者のアレン家の女子は、勇者さまに嫁ぐのです。これは代々伝わるしきたりなのです。勇者さまの血縁は子供を成しにくい。ですが、見て下さい。このわたくしの安産型の体型。勇者さまの赤ちゃんをポンポンと産んでみせますわ」
マリーは洋梨型の大きな臀部を強調するかのように、カイトに見せつける。彼女は胸だけでなく、お尻の肉付きも魅力的であった。
パチンと自分の腰を叩く。
「ポンポン子供産むって、ハムスターじゃないんだから」
アンナは冗談だと思い、相手にしない。あはは――と、腹を抱えて笑う。
「さてと、まだ告げて無かった事があったのう」
サーシャは、椅子にアグラを掻いたまま小さな右手を挙げる。
「そうですわ、それが肝心ですわ。クラス分けを告げるのも、サーシャさまの役割」
マリーは言って、彼の方を見る。
「勇者さまは、本来ならば技能クラスに振り分けられるはずですが、今年はクラスの定員が既に一杯になってしまいました。人数に余裕があるのは、魔法Aクラスです。ええ、一週間に一回は一・二・三年合同の授業がありますわ。楽しみですわねカイト君。あ、そうそう、カイト君はクラブ活動には入りませんの?」
サーシャの仕事を勝手に横取りして、彼に関係ないことを聞くマリー。
「クラブ活動?」
「ええ、入る気が無いのなら、生徒会委員になりませんか? アンナさんに断られ続けている、生徒会書記の仕事。生徒会の会議に出席して、議事録をまとめて欲しいのです。書記の二人で議事録を執って、間違いが無いかを双方で確認するのです」
マリーは潤んだ瞳で見つめる。
「だから、アタシが言ってるでしょ。魔法アイテムの録画機能を使えば一人で済む話だって……」
「ボク、字が汚いし……」
かんばしくない姉弟の反応。
「いいのよ、字の汚さは問題にしないわ。心の清らかさ正しさが肝心なのです。難しい専門用語が登場するけど、わたくしが手取り、足取り、腰取り――指導してあげますわ」
「放課後の生徒会室で、ネットリ、ネチネチ何を教え込むんだか!」
(見抜かれた!)
マリーはアンナに自分の駄々漏れの欲望を見透かされて、赤面する。
「姉ちゃん。そろそろ帰る時間だよ」
唐突に、カイトは机の上の置時計を見てアンナに告げる。彼は、こんな面もある。周囲の状況よりも、姉の行動を優先する。
――午後三時四十分。
「そうね、帰りましょう。帰りましょう」
いたって普通なアンナの言葉。
「帰るって、アンナさん。カイト君は男子寮に入るのでしょ?」
「うんにゃ、女子寮のアタシの部屋で暮らすのよ。何怖い顔してるの、生徒会長さん! カイトはアタシの身内だし、特別に学園長の許可を受けたわよ。許可証を見る?」
アンナは、スカートのポケットから折り畳まれた紙を取り出し、鬼の形相となっているマリーの鼻先に突き出す。
アンナは実に痛快そうな笑顔を浮かべていた。生徒会長を打ち負かすのが、何よりもの快感なのだ。
「しょ、書類の形式も、学園の正式文書に倣っています。それに、学園長と寮長のサインも本物ですね。残念ながら……」
マリーは、書類の署名に手をかざす。魔法署名がなされていて、ブルカ・マルカの筆跡が本物だとの反応が出る。寮長のサインも見慣れているし、間違いない。
「じゃあ、行きますね」
手を繋いで、仲良く部屋を出て行く姉弟。
その時に、ドアの外で急いで隠れようとする金髪ツインテールの少女を確認した。
「あ、マギー、心配してくれてたんだ。ありがとね、さよならね」
相談室の出口に立つマーガレット・ミッチャーに、プラプラと手を振るカイト。
マギーは、全てに出遅れてしまっていた。この部屋に駆けつけた時には、生徒会長が聞き耳を立てていたし、勇者の宣言を聞いた後も、アンナに出し抜かれた。
「まあ……いいわ」
マギーは仲良く歩く二人の後ろ姿を見送りながら、考える。
(カイト君と同じ、魔法Aクラスになれたのは朗報。それに、勇者なんてレア職業を引き当ててくれたので、一気に全面攻略を開始だわ)
マーガレットは自分に気合いを入れる意味で、右手をギュッと握り、力を込める。
「勇者さま、ああ素敵です、旦那さま」
マーガレットは、目をハートマークにしてそんな風に語るマリー・アレン生徒会長を見る。
思わぬ強敵の出現だった。子爵の娘のマーガレットには、何をしても勝てない相手だった。マリーの祖父は教皇で父親は大公。本人も、次期女王の呼び名も高いマリー殿下が、カイトの正室に収まるのだろう。
(私は側室でも満足だわ。私だけが子供を産めば、その子が王様になるかも知れないのよ!)
マーガレットの両目には、『G』の表示が出る。通貨単位ゴールドの通貨記号だ。
立身出世欲の旺盛なマギーだった。
ミッチャー子爵家は平均的な貴族の家庭で、普通に暮らすには不自由はない。ただ憧れるのは、王家や教皇家との絢爛豪華な社交界へのデビュー。
マーガレットの欲望は、計り知れない。
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