(マリーの勇者さま)
――午後二時五十五分。
王立学園一階、相談室。
(カ、カイト君。魔法クラスに配属にならないかしら、合同授業もあるし、体育祭の時は同じ組になるわ)
他生徒の見本となるべき生徒会長。その彼女が、分厚くて頑丈な扉に耳を当てて盗み聞きをしている。優等生にあるまじき行為だった。
マリー・アレンの属する三年魔法Aクラスの六時限目の授業は、自習だ。
彼女は、放課後の生徒会の仕事が有るとか無いとか、明日の武闘会の準備が無いとか有るとか――適当な理由を付けて、抜け出して来た。
カイトが相談室に呼ばれて入室した後から、マリーは部屋の扉に貼り付いている。
(ああ、カイト君に出会ってから、堕ちていくわたくし。これが、男に溺れるということかしら。恋は盲目ということかしら)
何だか色々と勘違いしているマリーなのだが、用心深く周囲への目配せを怠らない。
頭脳明晰な生徒会長は、その辺には抜かりは無い。
先ほどはクラス分け担当の中年女教師が、生徒会長のお出ましに何事かと聞いてきた。アンナ・ニコラの弟を生徒会に直接スカウトする――と、出任せを言った。
いや、本心でもある。
生徒会書記には、現在一名分の空席がある。
本来はアンナにお願いしたいのだが、愛しの愛しのカイト君と同じ空間で同じ時間を過ごし、同じ空気が吸えるのならば、ソッチの方が正しい選択だと思えて来た。
「カイト君、生徒会議事録の、ここの部分が間違っていますわよ」
放課後の生徒会室。
新米書記のカイト・ニコラは、単純なミスが多かった。それを的確に指摘し、一人前の生徒会委員を育てるのも、生徒会長の責務。
「すみません、会長さん。遅くまで、ボクなんかに付き合ってくれて」
窓を見るカイト。外はすっかりと暗くなっていた。
「いいのよ。それよりも綺麗な字ね」
カイトの隣に座るマリーは、体を近づけて、彼の筆跡を褒める。
「そ、そんな……。それよりも会長さん、ボクの左肘に会長さんのお胸が当たってます」
可愛らしく顔を赤らめるカイト。
「当たってぇるぅんじゃ無いのよぉー。当ててぇいるのぉ」
低くて優しい声を、色っぽく息タップリに喋るマリー。
「あの、ボク、会長さんの事が、ずっとずっと……」
「ダメ、会長さんじゃないわぁ。マリーって、呼・ん・で」
彼の口に右人差指を当てる。
「マリー。ボク、ガマン出来ない!」
「わたくしもよ、カイト」
「マリー聞いても良いかな? あのドアの先には何があるの?」
「ああ、あそこはね、生徒会委員用の仮眠室。年度末などに次期予算を検討するときには、徹夜の作業が多いから」
「仮眠室? じゃ、ベッドがあるんだね」
「そうよカイト。そこでわたくしが個人レッスンしてあげますわ」
「個人レッスン?」
「そう、手取り足取り、ねっちりと濃厚な徹夜作業……」
そう言って、ベッドに倒れ込む二人のシルエット。
「ああ……。わたくしは何てことを」
カイトとのムニャムニャな行為を妄想して顔を赤らめるマリー・アレン。青白い皮膚の頬が、ポッっと桜色に染まる。
もっとも、ベッドで二人で何をすべきかの知識は、全く備わっていないマリーだった。
貴族――いや、皇族の家柄の自分が平民のカイト・ニコラと結婚するには、皇族の身分を捨てなくてはならない。
しかし、次期女王を約束されている自分は、とても一人では決定できないし、何よりも周囲から大反対されてしまう。
(父と同じく、カイト君を付き人として、そばに置いて……)
マリーは、父親のマイケル大公の私生活を思い浮かべる。母親のパトリシアとは冷え切った夫婦関係。
父は、教皇庁のアレン宮殿に住まわず、隣の大公家の屋敷を臨時王宮と呼び、暮らしている。身近な世話人として、多くの若い女性使用人を抱えているが、ほとんどが父の愛人なのだ。
様様な人種の、様様な年代の、様様な体型の、様様な容貌。
その様子を、吐き捨てるように語っていた母の姿を思い出す。
だが、マリーは母親の秘密も知っている。アレン宮殿内に美男子の戦士や魔法使いを警護隊と称して、はべらせていた。
確か、近衛兵団と名乗らせている。母、パトリシア・アレンの抱える私兵たち。
そこで行われるのは、貴族を招いての連日の絢爛豪華なパーティー。
そこでの酒池肉林の退廃的な母親の姿を目撃したマリーは、ますます宗教に頼り、戒律を遵守する生活に傾倒する。
教皇庁のアレン宮殿に住まう者で、菜食主義を貫いているのはマリーだけだった。
しかし、そんな敬虔なマリーも、初めて欲望に溺れようとしていた。色欲の大罪の、大きく開いた欲望の淵。その前に立ち、己に恐怖し、震えながら自分の肩を抱く。
暗くポッカリと開いた大きな穴。
しかしマリーは所詮、好奇心が旺盛な十七歳の少女なのだった。
恋に恋する乙女なのだが――お眼鏡にかなう男子は現れていなかった。
今回が、一目惚れなのだと思うことにした。
思い切って、その穴に飛び込んだ。
カイトが部屋に入って、二十分が経過しようとしている。マリーお得意の妄想に溺れていて、時間の経過を忘れ去っていた。
「強化魔法! 聴覚強化!」
マリー生徒会長は小さく言って、聞き耳を立てる。アンナの寮部屋の件で釘を刺されているが、全く懲りていない。
「ううむ。何ともはや、これはこれは」
大占い師のサーシャ・フリードルの声が聞こえてきた。
「ボクのステイタスカードが、それなんですね」
(カカカカカカカ、カイトきゅん♪)
彼の、男にしては高くて可愛らしい声が聞こえてくる。マリーは思わず、目がハートマークになってしまっていた。
カイトには、他の男子から感じるような無骨さや野暮さは無かった。むしろ、同性のような優しさや神経の細やかさの印象の方を、彼から受ける。
既に、カイトのステイタスカードの摘出が行われたのだ。後は、大占い師が淡々と項目を読み上げるのを、ゆっくりと待つだけでよい。
マリーは、扉の向こう側に意識を集中させる。
しかしサーシャの甲高い、幼女声は聞こえてこない。
大占い師サーシャ・フリードル。
二年前に始めて出会った、家族以外の上級職業者。
祖父も母も大賢者であるが、その辺の実感は乏しかった。なんと言っても、同居はしているが、心を通わす機会の滅多にない、異様な家族なのであった。
そして、父の方は戦士レベル20で、一般人の域を出ない。
初めて見た大占い師は、子供の顔をしていた。だが、あれでも二百年以上生きていると聞かされた。特殊な職業の特殊な人種の存在を知る。
でも、マリーは何となく苦手意識を持っていた。自分の深層心理をズバリ言い当てられたからだ。
――孤独を好むクセに、誰よりも寂しがり。人に頼られるより、誰かにすがりたい。
自分が新入生として入学したあの日。
上級職業の『大賢者』であり、到達予想レベルが99と告げられた。嬉々として鳴らされるハンドベルの音が、耳の奧で響いていた。
『大賢者』の心得を、蕩々と説かれた。
祖父や母から散々に聞かされていた事、口を酸っぱくするほど言っていた事。
『大賢者』はあくまでもあくまでも、縁の下の力持ちの裏方職業なのだ。
支援魔法や強化魔法で仲間を助け、防御魔法と治癒魔法で仲間を守る。
自己犠牲を強いられる戦闘スタイルは、マリーにとって自分に合った職業だと思っている。真に好きな人と出会ったのなら、己の命をなげうってでも助けようとするだろう。
でも、自分の命を救ってくれた人には、もっともっと、身も心も捧げるだろう。
「ううむ、これはワシ一人で判断しても良いのか……。学園長を呼ぶかの」
「あのー学園長さんは、今はアンナ姉ちゃんと面会中ですよ」
ドアの向こうで交わされている、現実の会話に集中するマリー。
カイトは、ブルカ・マルカが先ほどの放送で、アンナの呼び出しをした事実を告げていた。
「そうか、こんなのは初めてでの、とまどっておる」
「初めて? ですか」
「うむうむ――」
サーシャは続ける。
「――まずは、心を確かにして聞いて欲しい。お主の職業は『勇者』じゃ」
「ゆ、『勇者』?」
「そうじゃ『勇者』じゃ、だから恒例の儀式をせねばならぬ。上級職業者の誕生の、お祝いの儀式じゃ」




