反撃の狼煙(のろし)
「なんだか向こうは揉めてたみたいだが……。気をつけろ風間。また得体の知れないヤツが出てきたぞ」
代打のコールに合わせて間をとった神原部長は、マウンドの上でヒロシに注意を促した。
「バット三本振り回すなんて只者じゃなさそうですね」
ヒロシは、バッターボックスの横で体操をしているあぶさんを一瞥する。
「とにかく。慎重に行くぞ。油断するなよ」
「ウッス!」
短く交わした言葉だが、それだけで意思疎通が出来ている。
つまり、それだけの信頼関係が築けているのだ。
神原部長がキャッチャーの定位置に戻ると、あぶさんが打席に入ってきた。
その瞬間、フワリと漂ってきたあの臭いに、神原部長が思わず顔をしかめる。
(うっ……。これは……、酒の臭いか)
少し耐えがたい臭いだが、ここは我慢するしかなさそうだ。
(ちくしょう……。変なのばかり連れてきやがって……)
声には出さないが、ウインドーズ9のメンバーは非常識過ぎると思う。
正直なところ、どこかズレているのに——なぜか強い。
2点リードしているが、野球部の空気は気楽な雰囲気ではないのだ。
(……いかん。俺がこれに飲まれたら終わる)
経験したことがない緊張感と戦いながら、神原部長はミットを構えた。
「あら。可愛い男」
一方、あぶさんはマウンド上のヒロシに怪しい視線を送る。
だが、彼はそんな視線を向けられても揺るがない。
「その、可愛い男が投げる球を見て——ビビるなよ!」
ヒロシは、喋りながら投球モーションに入り、そのまま1球目を投げてきたのだ。
「ボール!」
アウトコース低めのストレートは、僅かにストライクゾーンを外れた。
打者から見れば、ストライクゾーンにも見えたはずだ。
(あの球を堂々と見送っただと!? まさか、あのコースは打つ気なしか?)
あぶさんは微動だにしなかった。
その様子に、神原部長は不気味な何かを感じ取っていた。
もう1球。
今度はストライクゾーンに入るようにサインを出した。
先程のコースとはボール半分くらいの差しかない。
だが、ヒロシのコントロールならやれるだろう。
シュッ!
ガキーン!
真芯で捉えた凄まじい音と、高々と打ち上がった打球に、三塁側ベンチは思わず立ち上がった。
グラウンドにいる全員が見つめるボールの行方は、そのまま一塁線を反れてファールゾーンに入ると、スタンドの中へ消えていく。
(今のを見極めているだと!?)
たった2球で、神原部長はあぶさんの危険度を察知した。
一歩間違えればホームランになっていた打球に、まるで大きな氷が胸の中に突然現れたように、ヒヤリとした何かに襲われる。
(こいつは……、他の誰よりもやっかいだぞ。一体何者なんだ?)
チラリとあぶさんに視線を向けて、次のサインを出す。
次はインコース低めだ。
ズバーン!
「ストライク!」
よし。キマった!
あぶさんは怪訝な顔をしていた。
見送り方は初球と同じく、微動だにしなかった。
(なるほどな。この人にとってはこのコースはボール球に見えている。——それなら)
神原部長は、キャッチャーらしい観察眼であぶさんのクセを見抜いた。
次は、もう一度アウトコース側に1球、2球目に真ん中高めと、2球続けて釣り球を投げる。
だが、あぶさんは見極めてスイングする気配すらない。
2球ともボールになり、カウントはスリーボールツーストライクになったが、神原部長には想定内だ。
次は決め球。
さっき見逃していたあのコースだ。
ヒロシも迷いのない顔をしている。
——が。
「ダラッシャアアアアアア!」
グワラッキーン!
轟くような雄叫びと打球音がグラウンドに響いた。
そのまま、ボールは青空に吸い込まれるように、一瞬で遥か彼方、白い小さな点となってしまった。
(しまった! 誘われたか!?)
神原部長は額に手を当てて、心理戦に敗れたことを知る。
すでに外野手はボールを追うことを諦め、打球の行方を見つめていた。
やがて、白球は静かにレフトスタンドの芝生の中へと姿を消す。
全てはあぶさんの狙い通りだったのだ。
打ちたいコースに投げさせ、それを一発で仕留める技術を持っていた。
悠々とダイヤモンドを駆けてホームベースを踏んだあぶさんは、去り際にヒロシへ向かって語りかけた。
「ヒロシちゃんて言ったわね。あんた、いいモノ持ってるじゃない。昔、甲子園の決勝で打った球とそっくりだったわよ」
満足そうに、優しく微笑んでその投球を称えた。
「甲子園球児……。だったんっすね……」
ヒロシは唖然とした顔であぶさんを見送った。
「つまり、上にはあのレベルが沢山いるということか」
ボールを持って再びマウンドへやってきた神原部長も、さすがに驚きを隠せない様子だった。
スコアはついに1点差となった。
「風間。仕切り直しだ。勉強代の1点なら安いもんだ」
「ウッス。これ以上はやらせません」
ヒロシの目つきがまた変わった。
グラウンドの空気と彼の呼吸が、呼応し合っているように見える。
その後の展開は、タカヤがヒロシの変化球をうまく捉えてレフト前に運ぶと、蘭子が職人技のような送りバンドでツーアウトランナー二塁の形を作った。
だが、続く静香の打席の中、タカヤは不意を突かれた牽制球によってアウトとなってしまい、ウインドーズ9の反撃は1点止まりだった。
——6回表。
ここで守備の変更だ。
蘭子がサードに入り、マウンドにはあぶさんが上がった。
葵は投球練習の球を受けながら、一球の重さを確かめる。
待って、ラブコメどこいった?
このままではスポコンになってしまう!!




