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忘れ物センター便り  作者: にめ


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忘れ物91 割り当てられなかった役割

忘れ物91 割り当てられなかった役割


 その場所には、表があった。

 紙に印刷されたものではない。

 壁に貼られているわけでもない。

 ただ、そこに集まる人たちの間で、自然と共有されている一覧のようなものだった。


 やることは決まっている。

 続けなければならないことも、分かっている。

 誰かがやらなければ、場が維持されない作業もある。


 それでも、その役割は、誰にも割り当てられていなかった。


 朝、何人かが集まる。

 時間は毎回少しずつ違う。

 早く来る人もいれば、遅れて来る人もいる。

 だが、集まる人数は、だいたい同じだ。


 誰かが道具を出す。

 別の誰かが、それを受け取る。

 受け取った人は、次に必要なものを手渡す。


 動きはある。

 流れもある。


 ただ、それを統括する人はいない。


 誰が始めるのか、という合図はない。

 気づいたときには、作業が始まっている。


 名簿があったとしても、

 そこには名前が書かれていない欄が残っているだろう。

 消された形跡もない。

 書き忘れたという感じもしない。


 最初から、空けられている。


 その空白が、問題になることはない。


 誰かが、少し多めに動く日がある。

 別の日には、別の誰かが補う。


 補われたからといって、役割が生まれるわけではない。


 「今日は誰がやる?」

 という言葉は、口に出されない。


 出されないまま、作業は進む。


 昼前になると、一度区切りが入る。

 区切りは、時間によって与えられる。

 終わったから休むのではなく、

 休む時間になったから、手が止まる。


 誰かが「休憩」と言うこともある。

 だが、それは指示ではない。

 ただの確認だ。


 午後になると、また人が集まる。

 午前とは違う顔ぶれになることもある。

 それでも、同じ作業が続く。


 引き継ぎは、言葉で行われない。

 途中まで進んでいる状態が、そのまま渡される。


 説明がなくても、分かる。

 分からない部分は、そのままにされる。


 そのままにされても、困らない。


 モノカゲは、その場を通る。

 立ち止まることもある。

 だが、役割を引き受けることはない。


 「あなたが担当です」

 と言われることもない。


 言われなかったことで、

 場が滞ることはない。


 モノカゲは、

 誰かの代わりになることも、

 誰かを指名することもない。


 ただ、そこにいる。


 誰かが、

 「それ、次どうする?」

 と小さく呟く。


 だが、その声は、

 特定の誰かに向けられていない。


 答えが返らなくても、

 作業は止まらない。


 答えの代わりに、

 手が動く。


 役割は、行為に分散している。

 誰のものでもない。


 夕方、作業は自然に終わる。

 誰かが終わりを宣言するわけではない。

 道具が片付けられ、

 人が少しずつ減っていくだけだ。


 片付けを担当する人も、決まっていない。

 残っている人が、できるところまでやる。


 「最後は誰が鍵を閉める?」

 という問いも、出ない。


 鍵は、閉められる。


 誰が閉めたのかは、

 後から思い出されない。


 翌日も、同じように始まる。

 同じように進む。


 空白は、埋まらない。


 埋める必要が、発生しない。


 役割が割り当てられなかったことは、

 失敗ではない。

 放棄でもない。


 ただ、選ばれなかった。


 誰も引き受けなかったわけではなく、

 誰にも渡されなかった。


 カゲマルは、

 人が座らない席の近くにいる。

 名簿があれば、

 空欄の近くに寄るだろう。


 そこには、

 触れるべき名前がない。


 触れられないものを、

 引き渡すことはできない。


 夜、照明が落とされる。

 部屋は静かになる。


 明日も、ここは使われる。

 同じように、人が集まる。


 役割は、そのときも決まらない。


 決まらないまま、場は機能する。


 ここには、

 割り当てられなかった役割だけが、

 静かに残っていた。


 季節が変わる。

 窓の外の光の色が少しずつ違ってくる。

 空気の温度が変わり、集まる人の服装も変わる。


 厚手の上着を脱ぐ人が増え、

 代わりに飲み物の量が増える。

 それでも、役割の配置は変わらない。


 暑い日には、誰かが窓を開ける。

 閉める人は決まっていない。

 気づいた人が閉める。


 閉めたからといって、

 その人が「担当」になるわけではない。


 寒い日には、誰かが暖房の設定を少しだけ変える。

 数値を確認する人はいない。

 快適かどうかは、誰も言葉にしない。


 言葉にしなくても、場は保たれる。


 ある日、外部から一人が訪れる。

 事情を知らないその人は、

 名簿や担当表がないことに気づく。


 だが、質問は控えめだ。

 「誰が責任者ですか」という言葉は、

 最後まで口に出されない。


 出されなかった質問は、

 場の空気に溶けていく。


 訪れた人は、

 必要なことだけを伝え、

 必要な返答だけを受け取り、

 それ以上踏み込まない。


 踏み込まれなかったことで、

 場が壊れることはない。


 午後、作業の途中で道具が一つ足りないことが分かる。

 誰かが倉庫へ向かう。

 別の誰かが、

 その間の作業を引き受ける。


 引き受けたことは、

 引き受けたまま残らない。

 次の日には、

 また別の誰かが同じ位置に立つ。


 役割は、固定されない。


 固定されないことに、

 安心する人も、不安になる人もいるかもしれない。

 だが、その感覚は共有されない。


 共有されないから、

 対立にもならない。


 モノカゲは、

 その場の端に腰を下ろすことがある。

 椅子があれば、

 誰も座らない位置を選ぶ。


 座ったからといって、

 視線が集まることはない。


 彼女は、

 何かを引き受ける準備をしない。

 誰かに任せる準備もしない。


 準備されないまま、

 時間だけが過ぎる。


 カゲマルは、

 名簿があるとしたら最後の行、

 当番表があるとしたら空白の週、

 そうした位置に沿って動く。


 そこには、

 触れてはいけないものがあるわけではない。

 ただ、触れる対象が存在しない。


 存在しないものを、

 管理することはできない。


 夕方になると、

 作業を終えた人たちが一人ずつ帰る。

 「お疲れさま」という言葉は交わされる。


 だが、その言葉も、

 特定の役割に向けられてはいない。


 感謝は、

 個人ではなく、

 場に向けられているように聞こえる。


 夜、照明が消え、

 鍵が閉められる。


 鍵を閉めた人は、

 翌日には別の人かもしれない。


 誰が閉めるかを決める必要は、

 最後まで生まれない。


 翌朝、また人が集まる。

 同じように始まり、

 同じように続く。


 役割が割り当てられなかったことは、

 いつのまにか、

 この場の前提になっている。


 前提になったものは、

 問い直されない。


 問い直されないから、

 失われることもない。


 ここでは、

 役割は必要とされている。

 だが、名前を与えられない。


 名前のない役割は、

 誰のものにもならない。


 誰のものにもならないまま、

 場は、今日も動いている。


 ここには、

 割り当てられなかった役割だけが、

 時間とともに、

 静かに積み重なっていた。


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