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忘れ物センター便り  作者: にめ


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忘れ物50 書かれなかった日付

# 忘れ物50 書かれなかった日付


 開館前の時計は、いつもより少しだけ音が大きく聞こえた。


 秒針が進むたび、同じ幅で影が動く。窓際の床に落ちる光が、ゆっくりと角度を変えていく。モノカゲはその変化を確かめるでもなく、鍵を回し、扉を開けた。


 中の空気は、静かに整っている。


 机の位置も、棚の並びも、返却トレーの角度も、昨日と同じだ。境界に置かれた整理券も、そのままの場所にある。番号は、今日もない。


 モノカゲは布を取り出し、机を拭いた。中央から端へ、端から中央へ。返却トレーの縁をなぞり、最後に机の手前を拭く。布が乾いた音を立てる。


 返却トレーの中に、白い紙が一枚あるのが見えた。


 書類だった。


 薄い紙だが、整理券よりはしっかりしている。申請書のような体裁で、項目がいくつか印刷されている。内容欄には文字があり、署名もある。印も押されている。


 日付欄だけが、空白だった。


 モノカゲは書類を取り出し、机の中央に置いた。紙の角を揃える。指でなぞると、インクの凹凸がわずかに伝わる。内容は、特別なものではない。よくある手続きの文面だ。


 触れた瞬間、断片が届いた。


 ペン先。


 紙。


 書こうとして、止まる手。


 壁に掛けられた時計。


 別の場所にある時計。


 針はどちらも進んでいる。


 書類は、しまわれる。


 また出される。


 日付欄を見る。


 書かれない。


 それが、何度か繰り返される。


 モノカゲはペンを持ち、日付欄に視線を落とした。今日の日付を書くことはできる。書けない理由はない。けれど、書く動作の終わりが見えない。


 ペン先が紙に近づき、止まる。


 止まったまま、戻る。


 ペンを置く音が、机の上で小さく響いた。


 記録用紙を取り出す。品目欄に「書類」と書く。次の欄で、手が止まる。管理番号は振れる。振ること自体は、整理券と同じだ。


 しかし、日付のない書類に番号を振ると、いつから保管されているのかが決まらない。決まらないことが問題ではない。ただ、決める理由が立ち上がらない。


 モノカゲは記録用紙を揃え直し、引き出しに戻した。


 カゲマルは、机と床の間をゆっくり移動していた。棚には登らない。高い位置には行かず、窓から差し込む光の線を見ている。光の動きに合わせて、体の向きを変える。


 午前中、来客が二人あった。


 一人は書類を探していた。日付があり、署名もある書類だ。モノカゲは棚を案内し、該当の書類を渡した。持ち主は日付を確かめ、礼を言って帰っていく。


 もう一人は、帽子を探していた。処理は滞りなく進む。


 その間、日付のない書類は机の中央に置かれていた。


 中央にあることで、まだ途中であることが分かる。


 昼過ぎ、モノカゲは書類を机の端へ移した。端に置くと、中央との差がはっきりする。端は、保留の位置だ。


 境界に置かれた整理券との距離が、自然に測られる。近すぎず、遠すぎない。


 カゲマルは二つの紙の間を行き来し、どちらにも触れずに止まる。


 夕方。


 モノカゲは書類を手に取り、棚の前に立った。書類棚は空いている。日付のある書類は、そこに収まっている。


 日付のない書類を入れると、「いつからここにあるのか」が空白のまま固定される。


 固定する必要はない。


 けれど、今は入れない。


 モノカゲは書類を棚に入れず、机に戻した。戻す位置は、端ではなく、境界に近い側だった。


 整理券の少し内側。


 日付と番号のない二つの紙が、同じ線上には並ばない。


 閉館の時間が来る。


 灯りを落とす前に、モノカゲは書類を見る。日付欄は白いままだ。今日の日付は、どこにも書かれていない。


 *


 二日目。


 朝。


 時計は動いている。昨日より少しだけ光の角度が違う。


 書類は、昨日置いた位置にある。誰も動かしていない。日付は、今日もない。


 モノカゲは机を拭き、書類を一度持ち上げ、また同じ位置に戻した。戻す動作が短くなる。


 断片が届く。


 ペン。


 紙。


 時計。


 止まらない針。


 書かれない日付。


 昨日より、時計の数が増えている。壁の時計、受付の時計、外の信号機の数字。どれも進む。


 進んでいるのに、紙の上は変わらない。


 モノカゲはペンを取り、日付欄に近づけ、また置いた。書けないのではない。書く意味が立ち上がらない。


 昼。


 別の書類が処理される。日付が書かれ、番号が振られ、棚に入る。


 流れは、何も変わらない。


 変わらない流れの横で、日付のない書類が動かない。


 カゲマルは光の動きを追い、影の境界で止まる。


 夕方。


 モノカゲは書類を、ほんの少しだけ動かした。境界線に沿って、数ミリずらす。越えない。


 越えない位置が、少しずつ定まる。


 *


 三日目。


 日付のない書類は、そこにあることが前提になる。


 確認する動作が、省かれる。


 時計は動き、光は移り、人は来て帰る。


 日付欄は白いまま。


 断片は、ほとんど届かない。


 届かないことが、異常ではなくなる。


 モノカゲは書類を管理しない。


 返却もしない。


 棚にも入れない。


 ただ、日付を要求されない場所に置いたままにする。


 カゲマルは、その近くで動かない。


 時間は進む。


 センターは開いている。


 仕事は続いている。


 ただ、記録されない日が、ひとつ増えただけだ。


 *


 四日目。


 朝の光は、昨日よりも低い角度で床に落ちていた。時計の針は同じ速さで進んでいるが、影の形が違う。モノカゲはその違いを確認することなく、いつも通り机へ向かった。


 日付のない書類は、境界に近い位置にある。


 それはもう「置かれている」ものではなく、「そこにある」ものとして扱われていた。触れる前に位置を確かめる動作が、省かれている。


 モノカゲは布で机を拭き、書類の周囲だけを残すように動かした。布が紙に触れないよう、自然に避けている。


 触れないままでも、断片はわずかに届く。


 今日は、時計の音だけだった。


 一定の間隔で鳴る秒針の音。遠くの別の時計の音。それらが重なり、どちらが先か分からなくなる。


 日付欄は、やはり白い。


 午前中、来客が続いた。書類、鍵、傘。どれも通常通り処理される。日付は書かれ、番号は振られ、棚に収まる。


 書類棚の中で、日付のある紙が増えていく。


 増えていくが、境界に置かれた書類は減らない。


 昼過ぎ、モノカゲは新しい記録用紙を取り出した。新しい紙は、まっさらで、枠線がはっきりしている。


 品目を書く。


 管理番号の欄を見る。


 日付欄を見る。


 三つの欄のうち、どれも埋めることができる。それでも、書く動作は始まらない。


 モノカゲは紙を揃え、引き出しに戻した。戻す音が、昨日よりも静かに感じられる。


 カゲマルは窓際に移動し、光と影の境目で止まった。そこは、時間が目に見える場所だが、触れることはできない。


 夕方。


 モノカゲは日付のない書類を持ち上げ、裏面を確かめた。裏面には何も書かれていない。余白は十分にある。


 書こうと思えば、書ける。


 けれど、何を書くのかが定まらない。


 日付を書くという行為が、この紙に対して過剰に感じられる。


 書類を、元の位置に戻す。


 *


 五日目。


 日付のない書類は、境界の一部になる。


 境界線を引く必要はない。紙の位置が、そのまま境界を示している。


 モノカゲは朝の作業を進めながら、書類の存在を前提に動く。避けるでもなく、特別扱いするでもなく、ただ、そこにあるものとして。


 断片は、ほとんど届かない。


 届かないことに、違和感がなくなる。


 午後、外で雨が降り始めた。窓を打つ音が、時計の音と重なる。時間の進み方が、音だけで分からなくなる。


 それでも、センターの中では、作業が続く。


 書類は処理され、返却は行われ、棚は少しずつ埋まっていく。


 日付のない書類だけが、棚に入らない。


 夕方、モノカゲは書類を数ミリだけ動かした。境界に沿って、昨日と同じ距離。


 動かしたこと自体が、確認になる。


 カゲマルは、その動きに合わせて位置を変える。高くも低くもなく、ただ近くに。


 閉館の時間が来る。


 灯りを落とす前、モノカゲは一度だけ時計を見る。日付は変わっている。


 書類の上の日付欄は、変わらない。


 時間は進む。


 記録されない日が、またひとつ増える。


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