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第一印象は、実はそこまで重要視されないということ

 真っ黒だ。違った。真っ暗だ。


 色的には合ってると言っても間違いじゃないだろうけれど、会社の経営方針であるなら大分違う。


 特に入社したばかりで足の軽い新入社員なら前者は兎も角、後者は気にしたりしない。いざ傾き出したなら、え、マジ? じゃあ転職するわー、と会社の心配をしたりしないのである。


 企業戦士。正に足軽。


 そんな足軽歴も十年を数える中堅足軽の俺としては、こんな先の見通せない状況なんて幾つも越えてきたベテラン。


 でも無理だわ。流石に捕食されるとか。


 辺りを見渡せど黒一色。なんか激しくうねっているように感じられるが、万能と鉄壁を誇る神より賜りし我が能力が遮ってくれている。


 あの時の己の判断を誉めてやりたい。流されてるだけだったんだけどもね。


 兎にも角にも対応だ。土台造りから始めるのが勤め人。


 灯りだ。灯りが欲しい。


 いつだって人類の傍には火があった。日が落ちて闇に染まる世界で、火は明かりと暖かさを人類に与えてくれる。ならば俺もその恩恵に与ろうじゃあないか。


「光あれ」


 なんつって。


 最早慣れ親しみ出した魔力が抜ける感覚。火魔法の蛍火を使用。右手を天に差し出すようにポージング。苦情は一切受け付けない。


 …………。


 ……………………。


 ………………………………嘘だろ。やめてくれよ。


 ポージングを決めたオッサンの前に魔法は発動しなかった。どうやら奇跡も魔法もないらしい。


 喰われてて良かった。これが人前ならとんでもないことになっていた。会社ではキチ扱い、近所さんにはヒソヒソと話され子供には石を投げられる生活まであった。


 いつかくると思っていた発動不良が今で良かった。暗闇に感謝を。


 とはいえ。


 受けたダメージはデカい。異世界に来て初の致命傷と言っていい。うん。言っていい。


 ここが人のいない海なら叫んでいた。絶叫。ここが人のいない山なら叫んでいた。慟哭。


 …………落ち着いたかな? ……うん、大丈夫。誰にも見られていないんだから。大丈夫。


 精神が安定期に入ったのを機に疑問をレスポンス。こういうのは繰り返し思い返すのが一番良くない。忘れるよりも無かったことにするのが大事。


 さて、何故魔法が発動しなかったのか。


 重要なのはここだ。他は全く持って重要じゃない。


 魔力が抜けた感覚があったので魔法は発動した筈だ。しかし魔法という現象が起こっていない。


 なんでだ?


 使用したのは蛍火。恐ろしく火力の小さい火の魔法だが灯りに便利。物体に当たっても燃えないどころか負けて消えてしまう。


 うーむ。分からない。発動したのに速攻で消えたのだろうか? それなら有り得る。もしかして周りを肉的な何かで囲まれている状況なのだろうか? 次元断層を切ればそれも分かるかもしれないが、ハッキリと分かるデスフラグだ。そんなん出来ない。


 だって痛いに違いない。


 ならどうするか。こうする。


 力押しだ。


 色々な戦略が生まれては消えていく中で、最も稚拙とも言えるのに長い歴史に往々にして出てくる戦術。


 シンプル・イズ・ベスト。誰もが憧れる圧倒的なパワー。


 思いっきり魔力を込めた火球を作成だ。


 ここで若者ならハァアアアア! 的な掛け声がクールだ。いつの時代にも残ってほしい古典だ。


 しかし悲しいかな、時代は流れるものです。おじさんの掛け声なんて既にマニュアルが存在している。


 どっこいしょ。


 気合い一閃。青白い火球が生まれる。燃え尽きちゃう系。ブルーライトとか目に優しくないね。


 次元断層ってブルーライトカットされるんだろうか? 私、気になります。


 せめてもの抵抗に薄目で辺りを見渡す。


 ……なんかユラユラしている。景色に偏光が掛かっている上に黄色く濁っているような……。それに鉄板に油を挽いたような音が凄いうるさい。なんだ? なんか白い棒がプカプカと浮いている……。


 手に取ってよく見てみる。


 骨だ。骨が浮いている。


 というより俺が沈んでいる。どうやら濁った水の中に……胃酸ですよね、分かります。


 音の正体は俺が生み出した火球が物凄い勢いで触れる胃液を蒸発させているものだったらしい。


 物理が息をしていないよ異世界。ファンタジー的に可能なファンタジー。


 本当にどうなってるのやら? 間近で見てみてもよく分からない。音はすれども煙は見当たらず。質量は何処?


 爆発しないんだろうけど、念の為、水中から火球を出す。


 こんな時はひたすら上を目指す。でも深い所に潜った時に急浮上すると肺がパーンってなるって何処かで聞いたな。信じてるぜ次元断層。


 胃酸の海を抜けた火球が辺りを照らしてくれたが、ちょっとした湖レベルで胃酸がタプタプしている。次元断層でシャットアウトしている筈なのに、何故かバタ足で湖面へ浮上できた上に、胃酸の上に立てるんだけども?


 今の状況よりも、本格的に自分の能力が分からない。


 まあ、いいか。不都合があるわけじゃなし。


 ともあれ、灯りも足場も確保出来た。これからの行動を決めるために目標を決めよう。


 短期目標は脱出だな。長期目標は、外にいる人達にコミュニケーションを計り街まで連れて行って貰おう、で。


 となると障害はこのミミズだな。どうもこのミミズはモンスターと見た!


 鋭い洞察力。


 ミミズはモンスター。モンスターは人を襲う。外の人達はミミズに襲われていた。


 冴え渡る推理。


 つまり、脱出時にミミズを内部から攻撃することで、俺が敵ではないアピール、共通の敵に立ち向かう事で生まれる連帯感、円滑な人間関係の構築、ついでに穴でも空けて脱出口の確保と、今後の展開を有効に進める手段にもなると。


 求む、新人。違った。掴む、真実。


 成る程。参ったね。


 そういう事なら仕方ない。喰われことも無駄じゃない。


 デカい穴、空けますか。


「世界に疎まれし漆黒よ、悠久の時の狭間より疾く来たれ、サモン! くぅぅろぉおおお!」


 詠唱はお好みでどうぞ。


 魔法陣とかないのが少し不満だが、満身創痍の黒いワイバーン、通称クロがアイテムボックスから来てくれた。あんなに吠えてたのに、呼ばれたら来るとかツンデレさんだなぁ。


 勿論、クロを呼んだのはクロ特有のブレスで胃に穴をほがすためだ。決して後々被害が出た時の言い訳のために実行犯を押し付けようなんて考えからじゃない。


「さあクロ! おとく……」


「ガグアアアアアアアアアアア!?」


 クロは俺に命令されるまでもないとばかりに天を突くよう吠えると、その開いた口に白い光を集め始めた。働き者だな。気が合う。


 しかしどうしたことか、クロは微妙に痙攣しているばかりか、いつもは片時も離さないと見つめてくる瞳も濁っている。なんか蝋燭の最後の瞬きを思い出した。


 カッ


 これまでで最大の光量を伴った白い輝きが天に向かって放たれる。


 バッチリ視界に捉えたので目が眩む筈なのに、瞬きすら必要ないくらい健常だ。


 白い光が収まると同時に、円形にくり貫かれたミミズの背から青い空と灼熱の太陽が顔を出していた。


「おぅ……。胃どころか中から外まで貫いちゃったか……ありがとうクロ。うん? クロ? おーいクロ……クロさん?」


 これで脱出出来るとクロを労おうとして気がついた。


 クロの瞳は最早何も映しておらず、舌はデロンと垂れ下がり、鱗が剥げきって血だらけの地肌は胃酸に焼かれ、後は消化を待つだけの状態になっていた。


 …………。


 ……そういえば、胃酸の湖にいたなぁ。


 回収。


「クロの仇だ!」


 アイテムボックスにクロの遺体を回収して勢いのまま叫ぶ。


 勢いって大事だ。


 しかし勢いで許されるのは若い時だ。


 アダルトは勢いを削ぐ事で解決を図る。


 クロの遺体はキッチリ回収、動き出したミミズを焼却するために火魔法を全方位照射。


 キレた振りして腹黒算段。最早青い所がない黒さ。


 それがオジサンという年代なんだ。せめて心の中でクロの冥福を祈っている。


 まるで太陽のごとくフレアを発する。ハッスル。胃酸が蒸発し水蒸気爆発が起こり内部は焼けただれ、空けられた穴から逃げ場所を見つけたかのように火が外にも怒涛の勢いで出て行く。


 ふと空を見上げる。聞こえますかクロさん? これが俺から、あな……あっ、しまった。


 外には人がいるんだよ。


 浸ってる場合じゃなかった。つい浸りたくなる年代なんだよ三十代。昔はー、やら、俺達が学生の頃はー、やら言いたくなる年なんだよ。


 しかしそのせいで他人に怪我されちゃ阿呆のようだ。


 追求されちゃうよ責任。


 取らされちゃうよ責任。


 なんてこった。


 ミミズの胃に穴を空けるつもりが、自分の胃に穴を空ける展開になりかねないとか爆笑。


 笑えない。


「水、みずぅううう!!」


 咄嗟に水魔法にチェンジ。しかし火の方が勢いが強いやら熱が凄いやらで生まれてくる水は直ぐに気化してしまう。水魔法の方がレベルが低いのも一因だろう。


 しかし勢いを削ぐのがオッサンの務め。


 本気だ。休みの日の運動ぐらいのレベルの本気から、平日の残業時の本気にシフトアップだ。


 全く減る様子が見えなかった魔力を半分程使い水を生み出す。今度は間欠泉に成ったかのように水を全方位噴射する。すると水が辿るルートも火と同じく穴へ。


 ……これで消火されたかな?


 暫く耳を済ませていると、地鳴りのようにミミズが身を捩る音が聞こえてきた。


 これにはビックリだ。まだ生きているとは……魔物って凄い。


 しかし困ったな。外の人達と落ち着いて話をするために、何度もパクパクいかれては纏まる話も纏まらないだろうから、ミミズにキッチリ止めを刺したいところなんだが……。


 あと有効な攻撃ってなんだろう?


 剣は……正直一寸法師作戦は現実的ではない気がする。俺が腹の中で剣を振り回しても、ミミズには一向に堪えないだろう。


 と、なると、やっぱり魔法だな。


 火魔法を使ったら今の二の舞だ。水は……効かないよね? というか、少し元気になってないかい? 回復とか馬鹿かと。新しい魔法を覚えるか……ポイント残ってたかな? いや待てよ。


 あるぞ。もう一つ。スキル欄には載ってないのが。


 そうと決まれば。


 干上がってしまった胃の底で、右手に発動前の火魔法の魔力を、左手に発動前の水魔法の魔力を。


 両手を合わせて、錬成! 違った。合成!


 ……よし、上手くいった感はある。後はこれをミミズにぶつける、前に。


 ちょっとポージング。


 互いの指を絡めてとあるセ・イントの必殺技っぽく。もしくは右手を引いて魔力を伸ばして弓矢のように、大魔王もビックリの魔法っぽく。


 満足だ。


「よっこいしょ」


 胃の底に合成氷魔法を叩きつける。


 魔力が胃の底に触れた瞬間からみるみると肉が凍っていく。その範囲は胃だけに留まらずどんどんと触手を広げていく。見渡す限りの内部の肉壁が凍りつき、ミミズもその活動を終えたのか地鳴りのような動きも止まった。


 ……ふぅ。一安心だ。


 後は外の人達と接触を持つべくミミズの中から出る。方法は次元断層に物を言わせて肉壁を突き破った。抵抗感ゼロ。街中で使わないようにしないと。ふとぶつかった相手の半身が削られたりしたら、何処のホラーだよ!? ってなるからね。


 なんか微妙に威力、……威力? 上がってないか? ねえ防御系チートさん。


 最初のチート選択に疑問を残しつつも、無事外に出られたのだから良しだろう。


 なるようになる。深くは考えない。


 ザシュザシュザシュザシュという砂を蹴る音が近づいてくる。


 いかん。余計なことを考えている場合ではなかった。怪我人が出てるかもしれないのだ。


 病院に警察、謝罪した後、弁護士を通して示談で済むようにしなければ。


 まずは回復だ。


 そして今気付いた風を装おう。汚い? 大人だからね。


「あ、焦ったー。そういや人がいるんだった……すいませーん、火傷した人はいませんかー?」


 す、凄い演技力じゃないだろうか? そうか、仕事のレパートリーに役者も入れられたか……ああ、ビジュアルでアウトだったか。


 俺の職種が一つ潰えたと同時に音がした方に振り向く。


 馬ぐらいの大きさの恐竜に乗った盗賊団の首領のような男がこちらを油断なく見下ろしていた。黒と茶色が混じったような日に焼けた短い髪に眉間に深く刻まれた皺が、この男の歴史を表しているかのようだ。手と顔以外は露出している所がない布を何枚も重ねた服の上から革のベルトで心臓や金的等の急所を青い皮装備で覆っている。深い蒼色の瞳がシッカリと俺を捉えている。


 圧倒的に怖い。ヤバい。絶対怪我させちゃいけない方だ。慰謝料とか治療費とかの前に指を要求される系だ。


 次元断層で遮られているはずなのに汗が出てきちゃったよ。


 どうしよう。指切っても回復魔法で生えてくるだろうか?


 とりあえずお声掛けだ。話し合いの意志を示すんだ。


「あの……すいません」


 エクスキューズミーじゃない。ごめんなさいの方だ。


「ああ、ちょっとばっか聞きてえことがあんだけどよ」


 首領さんは一定の距離から近づいては来ずに騎乗したまま応えてくれた。


 これは恐がらせまいと距離をとってくれているのかな? だとしたら実はいい人とかいうオチかな?


 ええ、願望ありきです。


「はい、構いません。私も聞きたい事があるので、出来たら情報の交換をしませんか?」


「お、おお。なんかやけに丁寧だな、お前。そんな大袈裟な言い方じゃなくても、答えられる事なら答えてやるぜ?」


 いい人だ。


 ニカッと笑った笑顔も好感が! ……いや怖いな。どう見ても、「ああ、例の件な。おいおい、何震えてんだ? 俺があんな失敗ぐらいでお前を切るとでも思ってんのか? 馬鹿言うなよフフフ」って朗らかに笑おうとしてんのに滲み出ているオーラが港の水は冷たいんだろうなー、とか連想させる笑みだよ。


 勿論、突然のリストラにビビっているだけです。


「……おーい。あれ? 聞こえてんよな? どうしたぁ? あー……そこの、そこのお前!」


 あなたの笑顔にビビってます。


「失礼しました。私、山中(やまなか) (さとし)と申します」


「お、おお。俺は、第三皇子の私兵隊の隊長やってるアーミッシュだ。んで、ヤマナカサトシ……って変な名前だな、なげぇし」


 まあ外国人の名前なんてそんなもんだな。


「あ、ヤマナカで結構ですよ。ヤマとかでもいいです」


「ああ、そりゃ助かる。で、ヤマナカー……は、魔導師なんだよな? このジャックスやったのはヤマナカの魔法ってことだよな?」


 ぐっ、そういう聞き方ですか。


 背中に穴を開けたのは、とかなら、まだ「違います」と言い逃れ出来たんだが……ここで嘘をつくと心象が悪い。職務質問する警官だって毎回言っている。俺が毎回「本当に本当なんです!」って必死に喰らいついても引きずっていかれるから確度は低いと思われるが、後々拗れない為には誠意と本音が必要。


「ええ、そうですね。つきましては謝罪と、目下の優先事項として負傷者(火傷)の回復をですね……あと、故意では無かったことをですね? 責任の所在を有耶無耶にする――」


「ああ? 回復だあ?」


 俺が言い訳(誠意ある対応)を述べている途中でアーミッシュさんが単語を拾って問い掛けてくる。


 その視線は鋭くなり声も若干低くなった気がする。漂う冷気は氷像が演出だ。考えなしな少し前の自分に説教したい。


「ええそうです回復です。重要です。必要で必須です」


 しかし目を逸らしてはいけない。真摯な対応が必要だ。


 真剣な視線が交錯する中、もう一騎、小型恐竜に跨がった誰かが近付いてくる。


 最初は二騎で近寄って来ていたが、一騎がもう一騎をに乗っている方を留めて近寄ってきた。周りにも顔を覆面で隠した手下のような人達が近付いてくる。


「隊長。状況は?」


「ああ、実はな……」


 そこからの会話は小声でよく聞き取れなくなってしまった。


 近付いてきたもう一騎には、隻眼の優男が乗っていた。その男と真剣な顔つきで話を始めてしまった。


 その間オジサンは?


 待機だ。


 自分の仕事の失敗を誰かがフォローしているのを黙って見ている気分だ。


 出来れば手伝いたいのだが、手順も知らない奴は邪魔にしかならないというね、ただ突っ立って何をすればいいのか分からない視線だけが刺さる針の筵状態だ。


 シンドバットな格好の方々も指示を貰うためにアーミッシュさんの乗騎に近寄っている。話をつけたのか、後から来た一騎が砂丘の上で待っている一騎へ駆けていき、アーミッシュさんが群がってきた手下に大声で指示を出す。


「怪我人を全部連れてこい! ひとまずワームはいい、三人一組で動け! デリナ、お前は魔導師引っ張ってこい」


 指示を出し終えたアーミッシュさんが近付いてくる。


 思わず背筋が伸びる。


「すまんが、本当に回復魔法を使えるなら力を借りてえ。あんたが大した魔導師なのは、このクソ寒ぃ氷像を見れば分かるが……どうも神官にも見えねえ」


 神官ってなんだ? 宗教家? ……ハッ! ピーンと来た。


 転職を司る人に違いない。俺がやっていたゲームではそうだった。


 …………しかしなんで今、神官が関係するのか? 転職したいんだろうか?


「はい、私は神官ではありません」


 だから転職はちゃんと辞める前に上司に相談した上で頼む。


「……でも回復魔法が使えんのか? 治癒魔法じゃなく?」


 怪訝な表情で聞いてくるアーミッシュさん。その二つの違いはなんなのか?


「はい、回復魔法が使えます」


 スキル欄に記載されているからね。違っていたら公文書偽造になってしまう。その時は閻魔様の部下を捕まえて下さい。


「そ、そうか。じゃあ頼む」


 そう言って頭を下げてくるアーミッシュさん。いや、俺がいい歳こいて火遊びしたのが悪いから。


「いえいえ、本当に此方こそ申し訳ない」


 なんかこうして互いに頭を下げあっていると日本にいた頃を思い出すな。とりあえず頭を下げて挨拶がビジネスの基本だったからなあ。


 そんな遠い目をする俺を何か不思議な奴を見るような目で見てくるアーミッシュさん。


 無理もない。お辞儀、返礼は日本の文化だからな。


「……本当に大丈夫か?」


「ええ、大丈夫です。まだ話すこともありますし、早速取り掛からせて下さい」


 示談金とかね。火傷の治療はこれでよくてもね、色々あるよね。


 そんな訳で、アーミッシュさんが後ろに位置取りして見守る中、負傷者の回復を始めた。










 治療が終了した。


 大変だった。意外と人数が多かったが、あの火の規模を考えると妥当だと言えるじゃないだろうか。


 回復魔法での治療を始めると、アーミッシュさんの視線は胡散臭そうな物から驚きへと変わったが、治療の邪魔になると思ったのか声は掛けてこなかった。


 そして回復魔法。


 解毒と傷を元に戻すことは判明しているこの魔法についても色々と分かった。


 レベルが一つ上がって5になったこの魔法は、更に病気にも効くようだ。ゼヒゼヒ言っていた軽い風邪のような奴にも使ったら、瞬く間に治って感謝された。


 そして怪我はというと、抉れた部位も元通り、切り傷、打ち身、捻挫と万能加減が凄まじい。指も生えてきた。


 しかし、腕や手足は生えてこなかった。


 指は完全に無くなっていても生えてきた……というより、光が集まって弾けると元通りの指がそこに、という感じなのだが。手首からバッサリやられている傷に回復魔法を掛けると、断面の肉が盛り上がりそこで回復が止まってしまう。


 痛みは無くなったと言ってくれるのだが、手や足がないと大変なのは自明の理。


 ハンナちゃんの家でやったスキルアップを再び試みた。


 するとレベル7に到達した時点で魔法に変化が。


 解毒時は青、傷の回復時は緑と、発光色の違いを見せていた回復魔法が白い光を発した。それが部位欠損(大)の回復可能レベルだったらしく、見事に手が生えてきた。


 良かった良かった。うん。火傷は?


 これは俺が起こした火事の怪我ではないんじゃないかな? かなりの古傷やお腹が痛いとか言う人も診たぞ。借りた部屋の悪性見積もりみたいだ。最初からついていた傷を俺の敷金から早っ引くという、あの。


 これはいかん。確実に集られてしまう。だって写真に撮っていたのを見せたのに結局取られたもの。入居初日から便器は詰まり洗面所にはハミガキが詰まり換気扇が壊れてガタガタいっていたのに。


 これは言わねばなるまい。事なかれでも言う時は言うべきだ。


 ガツンと言ってやる。


 アーミッシュさんに一言いうべく180度反転。


 アーミッシュは嬉しそうに笑っていた。とても邪悪で謀をしているマフィアの首領のようだった。


 更に反転。


 結論、その場で一回転。休み時間の小学生みたいなことをしてしまった。


 …………いや、よく考えよう。これでいいかもしれない。


 こうすることで信頼を得られるし、怪我をしていた人は職を続けられる。


 良いことをした俺の両親も満足。違った。良心も満足。


 ……決して強く言えない言い訳ではない。


「おいおい、すげぇなお前さん! 教会の神官でもここまで見事な回復してんのなんか見たことねぇよ!」


 怪我人の列が途切れ、その場でクルリと一回転したことで、話し掛けてもいいと判断したんだろう。アーミッシュさんがバンバンと肩を叩いてくる。


 今、転職に必要な公務員が関係あるんだろうか…………ああ待てよ。そうか分かった。怪我をしてしまったら転職を余儀無くされてしまうのが異世界の就職事情なんだな?


 保険や組合なんかない世界だろうからな。使えなくなったらクビになってしまうと。その際に新しい職を得るために神官がいると。傷の治療と新しい職を得ることを回復で掛けたと。


 上手い。俺の名字が「中」ではなく「田」だったら、思わず座布団を運んでくるところだった。


 笑顔で返礼だ。


「いえいえ。神官の方に比べれば大したことありませんよ」


 転職させてくれる方が凄い。


「それに、怪我をしたままだったらこれから大変じゃありませんか。微力になれたら幸いです」


「だっはっは! そいつは痛烈だな! 俺も教会が嫌いだからよ、もし次に怪我をしたら、お前さんのとこに行くぜ」


 今の職業が好きと言いたいのかな?


「ええ、構いませんよ」


「ああ、悪いな。……実はよ、少し警戒してたんだが……お前さんは見たとこ大丈夫そうだ。と、俺の目が言ってる。……が、最低限は警戒させてもらう。悪いがこっちにも事情があるんでな」


「ああ、大丈夫です。分かります」


 だよね。いきなり放火し出すとか警戒するよね。俺だったら関わり合いになりたいなんて思わないもんね。


「お、おお。マジで人が善いな、お前さん。そんなんで世の中渡っていけてんのか?」


「いやー……これがなかなか難しく……最近なんて誤解された上に冤罪を被されかけまして」


「ああ、なんかそんな感じするわ。こんな砂漠のど真ん中で、んな格好してりゃなあ……」


「え?」


「あん?」


 ……半袖に長ズボン、涼しげでいいと思うんだが? 俺から言わせて貰えば、そちらの格好の方が暑くないのかと言いたい。


 これがカルチャーショックってやつか。成る程。アメリカに研修に行った時にケーキが甘過ぎると思ったのに似てる。


 服装自体は異世界(こちら)で購入したものだから、恐らく文化の違いに驚いたんだろう。


 うんうんと頷く。


「……なんか分からんが、まだ話があるんだが……いいか?」


「あ、はい」


 慰謝料ですね?


 アーミッシュさんに促されて、抱き合って喜ぶ他の人の群れを割って、急遽用意されたタープを日除けに張っただけの天幕についていく。


 何か良いことあったのかな? 決して当たり屋的な喜びの声じゃないことを祈る。


 天幕は、本当に日を遮っているだけの簡易な物で、当然ながら四方に壁なんかなく注目が集まる。


 天幕の下には空っぽの壊れた木箱が向かい合うように置かれている。一つにアーミッシュさんが座ったので、もう一つの木箱の隣に立つ。


「…………」


「…………」


「……いや座ってくれ。話しずれぇからよ」


「あ、はい」


 そうだ。面接じゃなかった。


 つい。


 壊れかけの木箱に座る。


 ズボッとね。底が抜けたよ。


「……」


「……」


 木箱にハマるオジサンの出来上がり。


 恐らく次元断層のせいだろう。つまり己が悪いのだが……今のオジサンの格好は非常に情けないものだろう。つい先程まで文字通り飛び上がって喜んでいた部下の人達も静まり返ってしまった。


 真昼の砂漠だというのに、冷たい風が吹き抜けていく。


 ミミズの氷漬けのせいですね、分かります。


 何事も無かったかのように、いや、何事も無かったんだから、それは当然だろう。オジサンはスクッと立ち上がり話の切っ掛けをとばかりアーミッシュさんを促す。


「それでは色々決めていきましょうか」




「お、おお。そうだな……えーと、なんだ? あー……」


 本来なら怒鳴り声の一つも上げるシーンなのだろうが、オジサンはオジサンが悪いと分かっているから何も言わない。アーミッシュさんも、椅子代わりにと木箱を用意した部下の人を叱りつけるシーンなのだろうが、意外と空気を読んでくれたのか流してくれた。


 うん。そうだね。ここで部下の人を叱りつけたら色々と台無しになってしまうからね。魔法が発動しなかったというダメージを受けているオジサンへの最後の一押しになってしまう。


 こんにちは天国のお姉さん(年下)。恥の多い人生でしたと語ってみようか? 同情でお茶くらいしてくれるかもしれない。


 気候のせいだろう。俺の頬を汗が一筋伝っていった。拭き取るのは当然。


「そ、そうだ! まずは部下の回復に礼を言う。助かったぜ! 当然ながら恩に報いるつもりなんだが……」


 ……うん、やはり良い人だなー。そんな礼を言ったり恩に想ったりする必要はないのに、今のシーンから目先を逸らすために言ってくれたのだろう。


 なんせオジサンは加害者。ここからが交渉だろう。


 そう思った矢先、アーミッシュさんの顔が真剣味を帯び、声音も重い物へと変化する。シリアス。


「俺達には食料がない」


 話し掛けてくる眼差しは鋭く、強い決意を滲ませていた。


「たった今、恩人だなんだとのたまった口で、舌の根も乾かぬ内に何をと言われるかもしれんが……悪いがどうしても譲れん事情がある。本来、魔物は倒した奴に所有が認められるのは分かってる……分かってるんだが、アレを譲っちゃくんねーか? そして、アレの討伐に俺達が参加したというのも認めて欲しい」


 クイっと親指でミミズの氷像を指差すアーミッシュさん。


 しばしアーミッシュさんの言葉を反芻すると共に、脳内でフル回転する自家製チート日本産。


 ピーン。分かってしまった。


 オジサン、獲物を横取りしてね?


 …………なんてこったい。良かれとやった行動が全部裏目。前もって仕事の準備をしていたつもりが、手順を守って行わないと意味がないらしく後々整理が追いつかなくなるという状況。


 イマココ、ってやつだ。流石異世界。新しい呪文ですね。


 現実逃避をしている場合ではない。


 そりゃ恐い顔にもなるよな。食料の為に狩りをしている最中、何もかもぶち壊さんばかりの攻撃が飛来。


 無許可参戦。


 しかも怪我人は出るわ獲物は盗られるわ、当事者は暢気に「火傷した云々〜」だもんな。


 日本でもボコボコ。異世界なら問答無用で斬られちゃっても仕方なしといったところ。


 ナニヤッテルンダヨ!?


 真剣な顔でオジサンの返事を待つアーミッシュさんに申し訳なくなりながらも返答だ。相手は遠回しに交渉材料も提示してきてる。勿論それにも乗っかる。


「構いません」


「だろうな……お前さんの言うことも……あ? なんだって? いま、なんつった?」


 一転して呆けた面を晒すアーミッシュさん。交渉なんて値下げしてナンボだもんな。まさか一息に飲むとは思わなかったのだろう。


 しかしオジサンは更に上をいく。本来なら最低線まで下げるのが値下げ交渉。しかし全額飲むと言って面食らっている今が押す時! 心理の空白を突くんだ。更に一手だ。


 オジサンは軽く頷いて笑顔で答える。


「ええ、構いませんよ。あの魔物はお譲りします。横からしゃしゃり出てきた私が所有権を主張しようものなら、いらぬ諍いも生まれるかもしれませんし、本来ならあなた方が仕留めていたでしょうから」


「……いや、随分持ち上げて」


「それと」


 アーミッシュさんの言を遮りやや強引に話を続ける。ここからが大事。ここからが交渉。


「食料がないとか?」


 取引相手から話を切られたりしたら、本当なら反感を買いかねないが、思考が纏まっていない今が好機。しかも最初にこれが欲しいなーと要求していた物の話なら乗ってくるはず。


「あ、ああそうだ。輜重隊を初撃でやられてな。正直、水も怪しい」


 はい乗ってきた。しかも追加注文も俺にとって問題はない。


「食事の提供が出来ます。食事なら千食は余裕であります。食料ならデカいボアや牛の丸焼きなども提供が出来ます。解体や調理が出来ないので……そこはお任せすることになりますが、水はガロン単位でいけます。量ったことはないですが、百でも千でも大丈夫だと思います。酒もありますが、こちらは量が――」


「待て待て! ちょっと待て!」


 アーミッシュさんが慌てて手を上げて押し止めてくる。


 うっ。ちょっと勇み足過ぎたか? もっと丁寧に細かくプレゼンするべきだったか。しかしオジサンは『足』派の働く人なので、知略計略には無縁。読み上げる『間』とか相手の思考を読んだ『隙』とかよく分からない。正直、そういうの経理の真柴君に投げてたからな。


「あー、そんな食料をどこにとか、ガロンって何だ? とか、聞くことは山ほどあるんだが……そんなにふっかけられてもな、金はねーんだよ。それに……こう言っちゃなんだが、お前さんの思惑が見えねー。――――どういうつもりだ?」


 最後の一言には並々ならぬ覇気が宿っていた。嘘偽りは許さないと言外に問うてくる。


 いつの間にか、部下の人達が天幕の周りを囲んでいる。手には曲刀を握ってこちらを見つめている。


 成る程。超怖い。


 えーと、つまり、金を取ると思われているのかな? しかも余剰分に暴利を掛けて。


 しまった。水は砂漠では千金に値するんじゃなかったっけ? 自分で無料生産出来るせいで気付かなかったが、俺が考えているより賠償額が跳ね上がっているのかもしれない。不審も当然、逆に毟られると考えたのかも……。


 ヤバい。


 早急に言い訳を考えないと、今度はバラバラになった武器の賠償が追加されてしまう。


「ま、魔物に会うというのは、不幸な事故に似ていると言いますか……」


 不幸な事故。重要なワードだから入れてみた。


 アーミッシュさんの顔色を窺いつつ続けることに。とりあえずは話を聞く態勢を取ってくれている。


「どうも、困っている人や危ない目にあっている人を見たら、つい反射的に手が伸びる性分でして」


 良い人アピールも混ぜ混ぜ。本当は君子。危うきに近寄らない派だけども。ほら、大人だから。


「このような砂漠のど真ん中で、しかも自分のせいで困っているなら、手を差し伸べるのが人として普通なんじゃないかなー、と、そう思った次第でして」


 そうそう、困っている人がいたら助けるよねー、と言っておこう。後々、俺に有利だし。


 アーミッシュさんの嘘は見逃さないといった瞳を、嘘しかない汚れた瞳で見返す。いや、ほら、真っ黒だし、仕方ないよね。


 アーミッシュさんがハアと息を吐き出しガリガリと頭を掻く。


 通った雰囲気。


「まあ、あんたが底抜けなのは分かった」


 さいで。


「しかし、俺達にも面子があんだよな。いや、俺達だけなら有り難く受け取りてえんだが、今回の行軍の目的を考えてもな……」


 よしきた。実は余剰分、しっかり受け取る気でした。


「それなら、一つお願い事があるのですが」


「……願い、ねえ」


 再び張られる刺すような空気。正直、内容は口に出すには抵抗があることだが、誤解されては本末転倒だ。


 言うぞ。


「ええ、私事を絡ませて大変申し訳なく思うのですが、これに変えて食料の清算ということにしませんか?」


「…………まあ、こっちも恩だなんだと言うだけじゃな。俺に叶えられる範囲なら、何でも言ってくれ」


 ああ、やはり良い人なんだな。白紙の小切手切ってくるとは。


「では」


「おう」


 周りも俺の発言に注目だ。でも出来ればコッソリお伝えしたかった。


「私を最寄りの街まで連れて行って貰えませんか?」


 最低でも方向は教えて下さい。


 …………。


「……」


 おっと。そうだな。一言、言わなきゃな。


「お願いします」


「……ん? それはどういう……」


 やや困惑した雰囲気が伝わってくる。


 ああ、やっぱり。地元民にとったらお願いともとれないお願いなんだろうな。


 勝手知ったる地元地理。それにつけても解せぬ余所者と言ったところ。


 分からないよな。ちゃんと恥を忍んで一言付け加えないと。


「実は」


 実話。


「私、迷子でして」


 迷える仔羊的な意味だから。相手がどう取ろうと、迷える仔羊的な意味だから。


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