78――血濡れた牡丹をなぞる指
――ロウソクの光。
「 日お と 」
甘い生クリームの香り。
「お誕 で 」
優しい家族の声。
「お誕生日おめでとう」
みんな消えた。
「 」
壊された。
汚された。
殺された。
「お前……だけ、でも逃げろ――逃げろっ!!」
「お、にーちゃ――」
「早くッ!!」
どうしてあそこで逃げてしまったのか、一生後悔し続けた。
殺されている家族を見ながら、わたしを助けてくれた兄を見ながら、わたしは遠くへ逃げた。わたしの代わりに死んだ皆を見ながら。
どうして、わたしだけ助かってしまったのだろう。
どうして、わたしだけ助けてもらったのだろう。
こんなに寂しくて辛くて、憎しみが心を焼くくらいなら、あの時一緒に死んでいればもっと楽でいられたのに。
今からでも遅くない。
おにーちゃんが、わたしと一緒に死んでくれるなら――
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「……なんだ」
ピアニーは目を覚ました。目の前にはニヤついているジムナスターがランタンを持って立っていた。こういう顔の時は決まって厭味ったらしいことを言ってくる。ピアニーからそれほど積極的に接してはいないにしろ、ジムナスターはああいう性格なので長く過ごしていると嫌でも分かるようになる。
「なんやうなされとったで」
「関係ないだろ。それより、交代か」
「せや。もう眠とうてしゃあないわ……あーねむ。ほな後は任せたでー」
ピアニーの他には既にコスモスが小さく眠っていた。ビオラは見回り、それ以外は見張りでローテーションだ。ビオラは一日眠らなくても問題ないので交代はない。
「あーコスモスもちもちで気持ちええわ~」
寝ている幼女を抱き枕にしようとするジムナスターに呆れつつ、バイオレットが待っている茂みの向こうへ向かった。
夜もすっかり更け、明かりがなければ完全な漆黒。ピアニーはジムナスターに渡されたランタンを手に歩く。足が雑草をかき分ける音、シダ植物が肌を撫でる感触、風に揺れる森の音――それらに混ざって感じる怪物の息遣い。
見境なく襲い掛かってきたゼレーネは全て殺したが、少し頭のいい奴らは隙を伺い周囲に張り付いているようだった。
寝起きの頭に活を入れながら、いつでも戦えるように拳の感覚を確かめる。
やがて、少し開けた場所に出た。
「ピアニー、おはようございマス」
「おはよ。つっても夜だけどな」
「寒いデスから、早く温まってくだサイ」
雑草の上に座って焚火で暖を取るバイオレットの横に腰かける。
土の上で揺らめく炎は何も反射しないが、瞳は炎を映していた。バチバチと、煙を上げる炎を眺めながら二人は静寂に身を任せる。
ふと、バイオレットが口を開いた。
「少し顔色が悪いデス。何か嫌な夢でも見ましたカ?」
「相変わらず、なんでもお見通しだな」
「…………もしかして」
「そうだよ。みんな、殺された時のことを思い出してた。これだけゼレーネが近くにいればそりゃあ嫌でも思い出すさ」
虚勢を張るように笑って見せる。ピアニー自身でも分かるほど、顔の筋肉は微動だにしていなかった。
死んだ心は感情を動かせなくなっていた。
復讐に燃えつつも、死ねなかったことを後悔し、復讐鬼になりきれない中途半端な自分に嫌気がさして、疲れ切った心が炎に映し出すのは枯れた灰。
包み込むのは、バイオレットの腕だった。
少女の体温と体重を背中に感じ、ピアニーは静かに目を閉じる。
「バイオレット……あたしは、どうしたらいいんだ。結局あたしはここまで生きてしまった」
あの時、家族と一緒に死ねればそれで終わりだった。
だが、自分を助けてくれた兄の命を無駄にはしなくないという思いが勝ってしまった。だから逃げた。逃げたのなら、無駄にしない為に生きなければならない。
幸せなはずの誕生日、家族全員を殺され自分だけ生き残ってしまった少女が、心の平静を保ったまま生きられるだろうか?
少女は他と比べて特別、恩に厚い性格だったのも災いした。今でも大切に兄から託された呪いを大事に抱え続け、それで苦しんでいる。いつでも捨てる機会はあったはずなのに、生かしてもらった自分は”生きなければならないと”、身を焼くサバイバーズギルトに苛まれながら。
「大丈夫デス……ずっと、ピアニーの傍にいマス……」
いつしか一人で死のうと思った。
それで楽になれると思ったのに、見つけてしまった、生きる意味を。
「まだあたしの為に、笑ってくれるのか?」
「ハイ! バイオレットの笑顔はピアニーだけのものデス」
「ありがと……」
ピアニーはバイオレットの方へ振り向いた――その輝かんばかりの笑顔を一瞥すると優しく抱き着いた。ずっと見ていたい。だがそれでは満足してしまう。これから戦わなくてはならないのだ。復讐の炎を燃やして燃やして、生きなければならない。殺し続けなければならない。
その笑顔は言わば燃料だった。
異常なほどの生への執着、歪み切った死への渇望、親友の笑顔という名の生きる希望、それら全てを燃焼し、ピアニーは憎悪を拳に籠める。
今はそれでよかった。
未来は一切、視えなかったが。
「――ッ、どうやら邪魔者が紛れ込んだらしい」
炎光に映る草の影が揺れた。
今まで何度も殺しその手に浴びたゼレーネの血の臭いを嗅ぎ取った。
互いに腕を放し背を向け合って周囲に気を張り巡らせる。
ビオラが来ないということは死んだか、複数体いるか……ジムナスター達のことだからあっちは大丈夫だろうと考える。大丈夫でなくとも、この状況では感知できるものではないが。
「行くぞ、防御は頼んだ」
「ハイ!」




