65――純潔の対岸
言うまでもなく俺は未成年。
そうでなくても俺は酒に弱いので飲んでしまえばどうなってしまうか目に見えている。なので一番に気を付けなければいけないのは、マルメロが酒を無理矢理飲ませてくることだ。
「……ホーズキにしてはいい店知ってるな。ここのピラフ美味いぞ」
バルサミナにしては珍しく、美味そうに飯を頬張っている。
ネルセットで昼飯を食べた時は、その時も機嫌もあったろうがめちゃくちゃ不味そうに食べていたので新鮮だ。それ以外で食事シーンを見たのはバレンタインに皆で食べた時以外ないほど、バルサミナの奴はプライベートを見せようとしない。
「ああバルサミナ。割引券もあるからな、今日はいっぱい食え」
「……含みを感じる言い方だな。食事フェチか?」
「ボクもバルサミナの食べる所は興味あるの!」
食べる事が大好きなダウニーは人が食べてるところを見るのも好きらしい。苦手な人種なのか、強くは拒否できず顔を赤らめながら食べだした。
銀色のスプーンが黄色の米を掬う――髪がかからないように左手でたくし上げながら控えめに開けられた口内へ運ばれていくピラフ。ちらりと見えた尖った犬歯、スプーンすらかみ砕かんと力強く口を閉じた。引き抜かれる銀匙。
咀嚼。
音を立てない上品な口使いは育ちの良さを感じさせた。自分はスラム街育ちだといつか言っていたバルサミナだが、隠しきれない淑女感がギャップを刺激する。
「実況するな!!」
「食べ方一つで人柄も見えてくるものなの。バルサミナはやっぱりいい人なの!」
「……それは、どうも。ありがとう」
おおおおお!
カメラがあったら激写したい! バルサミナ紅潮の顔!
「バルサミナ、食事時は暴れるなよ。行儀が悪い」
クナイを投げようとした手がぴたりと止まる。
「……そうだな、この後はホーズキを連れてハンバーグでも食いに行くか」
「なんの肉で作る気だ!?」
その眼がお前だと告げていた。
流石におちょくりすぎたか……ダウニーが楽しそうに笑っていた。まさかこれを狙って!?
「ホーズキは食べないの?」
「いやぁ、俺は今あんまり腹減ってないから、さ。飲み物で十分だよ」
「………………なら仕方ないの、サザンカちゃんとマルメロちゃんは――」
「ほらほらサザンカちゃ~ん、もっと飲まないと喉乾いたでしょ?」
ん?
なんだこのアルコール発酵したみたいな匂いは。おかしいな、確か酒を飲んでいたのはルピナスだけだったはず。そのルピナスは山茶花達とは反対側に座っているんだが。おかしいな。
「らめれすよぉ……まるめろさぁん……これジュースじゃなくてお酒れうぅぅぅ……」
「なんで山茶花が酒飲んでんだよー!?」
「濃度低いからだいじょぶだって。中毒なったりしないから。ちょっとずつしか飲ませてないから。酔って発情したサザンカちゃんがホーズキくんに何するのか見たいワケじゃないからだいじょぶだいじょぶ」
全部言いやがったぞこいつ……!
「てへぺろ」
てへぺろ☆じゃねぇ!!
確かに山茶花はパッチテスト的にはアルコールに強いと分かってはいたのだがあのべろんべろんな酔い方的にかなり飲んでるぞ……まあ、マルメロの思惑通りにならない為にも一旦部屋に運んで水を飲ませてやろう。いや待て、部屋に運んだらマルメロの思い通りになる。絶対になる。こんなあられもない山茶花の誘惑を俺は断れるだろうか? いいや、断れない。
なのでここは酒場の端にあるソファを借りて寝かせてやる事にした。
「おにーしゃあん、暑いですぅ。抱っこしてくださいよぉ……」
「逆に熱くなるだろ」
「熱い方がいいれしゅぅ……おにーちゃんの体温は気持ちいいからぁ……ねぇ?」
ぬっ……!
よし、大丈夫だ。平常心だ平常心。いつかこんなことがあるだろうとイメージトレーニングも済ませてある。ああ、決してイメージの中で山茶花とあんなことがあったりはない。
「はいはい。頭冷やしてよーなー」
「ふぇぇぇ……冷たいれひゅよぅ。あったかい方がいいの!」
「ごほっ」
抱き着こうとした腕がラリアット、首を強打した。
動きが取れない俺はそのまま床へ、山茶花に押し倒される形で覆い被される。
「おにーひゃんのお胸あったかいのぉ……」
「あたしも、あたしもしたい! あたしも酔う!」
そう言いながらマルメロは酒を一気飲みしようとしてルピナスに羽交い締めにされている。
ナイスだルピナス! 今ここでマルメロに来られたら死んでしまう!
ルピナスの手助けもあり、なんとかソファに山茶花を戻し寝かしつける。数分もぽんぽんしてやると驚くほどスムーズに眠りに就いた。山茶花が小さい頃を思い出すなぁ……
「ふぅ、ありがとなルピナス……ルピナス? どうしたいきなり肩に手を回してちょっと荒い息遣いで怖いぞ」
「ホーズキ。女の魅力は飴色の酒に透かして見るのが一番だとは思わんか?」
「は?」
「やはりホーズキ可愛い顔をしている……」
「お ま え も か !」
顔を極限まで近づけられているせいで、女性の香りと酒臭さが相まって非常に、非常にこう……なんというかエロいことになっている。
「はいはいルピナスも頭を冷やしてくるの」
「おいダウニー! われのじゃまをするとしょうしせんばん! ああ何をするのじゃー! 離せ!」
強制退去させられたルピナス。暫くするとダウニーだけ戻ってきた。
「部屋に突っ込んできたの。まったく……酒場だからと言って騒いでいい訳ではないの」
「……ダウニーは食事が絡むと別段真面目だな」
「当たり前なの! 食事は生命活動に不可欠な代謝を行う為の生理現象なの。それを疎かにすることは生命の放棄にも等しいの」
大げさだが言いたいことは分かる。
食べている人がいるのだから、静かにしていろ、だな!
「それにしても、ホーズキくんは何も食べないんだね。お腹空いてないって言ってたけど、確か朝何も食べてないよね? 昼は装甲車に積んでたレーションだけだし。ダウニーが分けてくれた時も一人だけ食べてなかったでしょ?」
マルメロが心配の眼差しを俺に向けながらそう言った。
言う通り、確かに俺は朝からちゃんとした食事は獲っていない。
「そんな顔すんなよ。実は昨日の夜中に食いすぎたんだよ。売店の菓子が美味そうだったからついな」
「ホーズキがそう言うならいいけどさー。あー、あたしカツカレー一つで」
「俺はちょっと外の空気吸ってくるわ。地味に汗かいたしな」
@
ホテルから出て、辺りを見回した。
俺にあの店を紹介してくれたスノーフの姿が店内で見当たらなかったからだ。店の人に訊いてみると、丁度買い出しに行っているらしかったが、そう訊いてからかなり時間が経っている。買い出しに行ける店はここからそう遠くないはずなのに。
と、重そうな荷物を引き摺るように持ったスノーフの姿が見えた。
見かねて駆け寄る。
「おーい」
「え……!? あ、えっと、朝の?」
「やっぱりアンタだったか。手伝うぞ」
「だ、ダメですよそんなお客さんに!」
「店から出てんだから客もクソもねぇよ」
そう言って半ば奪い取る形で買い物袋を持った。
う……これは思っていたよりも相当重いな。
こんな重い物を少女一人に持たせるとは。しかもこんな夜中に買い出しだ。何を考えているんだまったく。
「すいません……で、でも、店に入る時は私が持ちますからね!」
「何かされてんのか?」
「……それは、その」
案の定だった。
あの酒屋、その店主っぽいおっさんと、奥さんであろう女性。どちらをとってもスノーフとは似ても似つかない。娘ではないのは確かだ。
「その、ですね。私はサーヴァリアの奴隷なんです。奴隷学校って知ってますか?」
「ああ」
「そこを卒業しまして……私を買ったのがあの酒場の夫婦なんです。娘ができないから、欲しかったらしいんです。あの二人はとてもいい人なんです。だから、ですね」
少女の声は悲痛に聞こえた。
それが、どういうベクトルへの悲痛かは分からなかった。
「分かってる。余計なことはしない」
「すいません……」
それからは暫く無言だった。
俺とした事がやってしまった。マルメロ達に慣れてしまったせいでコミュニケーション能力に偏りが出ていた。
探りを入れるにしても、もう少し慎重に行くべきだ。
どう考えてもスノーフはまともな扱いを受けていない。南の島、特にエスティパは夜も気温が高い。なのにスノーフは厚着だ。
「着きましたね。じゃあ、後は私が持ちます」
「お、おお。それはいいけど、俺はこっちだぞ」
「すいません……! ボーっとしてました!」
いや、今のは明らかに上の空ではなく、視えていなかったぞ?
「じ、じゃあ私はこれで失礼しますね!」
「あ……」
店のバックヤードにまで入られてはどうしようもない。
しかしあれは確実に……目が見えていなかったのではないか? 俺がスノーフに呼び掛けた時の反応も少し不自然だった。
だが、だとしたら今日の早朝に俺を見つけた時のことを説明できない。俺が屈強ではない男だと分かったのだから、やっぱり俺の考えすぎか?
「あ、おにーちゃん。どうしてたんですか、遅かったじゃないですか」
「あれ、お前らもう出たのか」
「もう閉店時間ですよ」
そんなに時間が経ってたのか。
そういや月も随分と傾いてたしな。ていうか山茶花もうすっかり素面に戻ってるな。早い。
「……なんかあったのか」
「いや、さっき言ってた自称看板娘に会ってたんだ。特に何もない」
「……そうか。まあいい。明日は出発の日だ。部屋に戻って英気を養え。またあの森を抜けないといけないからな」
「へいへい」
きっとバルサミナは気が付いているだろう。
何かはあったということぐらいは。
だが、追及しなかった。お前になら任せられる、とでも言いたいのだろうか。ご期待に沿えるかは分からんが、できるだけやってみよう。




