63――茫縛の大地
装甲車に乗ったのはこれで初めてではないがやはり尻が痛い。
そして窮屈だ。それほど大勢が乗る事を考えて作られていないものらしいので、さっきから左右の山茶花とマルメロの柔らかい肉の感触を直に感じているせいで煩悩が悲鳴を上げている。
揺れる度に肌と肌が擦れあう。
無論、暑いから脱ごうとしたマルメロは気絶させておいたので問題ない。
「あのさぁ……君らおじさんが誰か分かってるの? ネルセットの首相様だよ。それがなんで車の運転手なんか……」
「仕事中にナンパした挙句人の妹にまで手を出そうとした人がなんですって?」
「あぁ~こんなことならさっさとアザミんとこ行っとけばよかったよ。よりにもよってパシリだなんてさぁトホホ」
全く反省してねぇなこの人……アザミさんは大丈夫だと言っていたが正直言って心配だ。
もし山茶花に触れようとでもした時には体の骨を全部飴細工みたいにしてやるからな。
「おぉ怖い顔してる。なにもしないから大丈夫だってホーズキ君」
「……安心しろホーズキ。何かあればあたしが殺す」
「ちょっと不敬罪とかだよそういうの」
「お主別に国王ではないじゃろ」
女性陣にボッコボコに言われて意気消沈のルドベキア。
少し同情が湧いてきたが自業自得なので助け舟は出さない。
「もうちょっとおじさんを労ってほしいんだけどなぁ。腐っても頑張ってネルセット支えてるんだよ? ギルドの運営とかもさぁ」
「サーヴァリアの傀儡組織を支えてるって言っても凄さは伝わらないの」
「あーもう! いいんだよそれは! ギルドが君達に払ってる報酬は全部サーヴァリアから来てるんだからね! みんな色々言ってるけどあの国別に悪の枢軸国とかじゃないから!」
そう、そうなんだ。あの時訪れたサーヴァリア。
奴隷を育成する学校や、不穏な雰囲気を感じる闘技場の存在。人攫いやスラム街――そんなマイナスの要素からは考えられないほどあの国は綺麗だった。
「……ふん、金の為に孤児を誘拐する奴等が資金源の国が悪の枢軸国でないとは片腹痛しにも程がある」
「いやぁ違うんだって。ミザクロだっけ? アイツは特別悪人だっただけで、他の奴隷商人はちゃんと綺麗だから。偏見偏見」
「まあまあ、ルドベキアさ――ルドベキアもこう言ってるしそこまでにしとけよバルサミナ」
「ちょっとホーズキ君!? おじさんには別に敬称つけてもらっても構わないからね!? わざわざ呼び捨てに言い直さないでいいから!」
面白いなこの人。叩けば幾らでも反応してくれるぞ。
まあそれはこの辺にしておいて、ちゃんと目的を忘れないようにしなければ。
――そう、俺達が向かっているのはエスティパの西端にある荒野。
雑木林を抜けた先にある、草木も生えぬ不毛の地。よく喋る天使が言うには、俺が夢で何度も見た荒野と同じ場所らしいが。さて、本当の所はどうなのだろうか。
もし本当にそうだとして、何か元の世界に戻る手掛かりはあるのだろうか?
「ところでルドベキアさん、厄介なゼレーネってのはなんですか?」
「え? ああ、アレだよアレ。〈ゼレーネ=ドゥルジ〉っていう奴なんだけどさ、超微細で、口から体の中に侵入して細胞を破壊するんだよ。だからこうして常に浄化された空気を循環できる機能を備えた装甲車で走ってるって訳。荒野についた後は防護マスクがあるから大丈夫だよ」
「……ドゥルジは全てのゼレーネの中でも最もデリケートだ。完全なる不浄の土地でなければ生活できない。ここから境界線を越えることはないから安心しろ」
運転席に取り付けられたモニターに映し出された光景は、人の住む世界に存在する場所とは思えなかった。
紫外線や赤外線がそのまま見えているかのように極彩色の空気は、一目で人が吸っていいものではないと分かる。デルラ・ハンザーのようにただ赤い霧なだけでない。あの微粒子一つ一つに、ゼレーネの殺意が、悪意が籠っているのだ。
ふと――空気は一瞬にして晴れた。
不浄の空気は存在しなくなり、視界は良好。だがそこには何もなかった。
「本当に荒れた野ですね……」
山茶花がポツリと呟いた。
乾きひび割れた大地には一部の根性ある雑草以外は何も生えず、ただただ地平線の先にまで大地が続くだけ。まるで世界全てがそうであるかのように、ずっと向こうにまで続いていた。その先にあるはずの海すら一切見えない。
ただ――ただ、その荒野には、等間隔に無数に並んだ”墓石”があった。
「さ、外に出るなら防護マスク付けて。おじさんはここで待ってるからね」
「おいマルメロ起きろ。着いたぞ」
マルメロを叩き起こして、謎の機械が取り付けられているマスクをつけて外に出る。
ドクンと、全身の血管が意思を持ったように鼓動した。
血流が沸々と熱を帯び、マスク越しの吐息の暑さに顔をしかめる。
山茶花達に悟られないように平常心を装いながら車を降りる。
足を地面につけると砂利の音がする。少し歩くだけでは一切の光景が切り替わらない。全く同じ墓石が延々と続く、夢で見たビジョンと全く同じ光景。
こんな所に何があるってんだ……?
「ふあぁ~、よく寝た」
「マイペースな奴だなマルメロは」
「へへへ……それが取り得だからね。でもさ、ホーズキくんも大概マイペースだよね」
マルメロの言葉の意味が分からない。
自慢ではないが、俺は必要以上に気を使う人間だ。振り回せる事は多々あれど、マイペースだと言われるほど振り回した覚えは……多分ない。
「どういうことだ?」
「だってさ、こんな所、みんな来たくなかったんだよ」
「え……?」
「来たくなかった……来たくなかったんだよ! でも来なくちゃならなかった……ねえ分かる!? ホーズキくん!?」
「……もういいマルメロ! 行くぞ」
バルサミナに怒鳴られ、マルメロは口を閉ざした。
突然の豹変に驚いたが、バルサミナも珍しく声を荒げた事にも驚きだ。みんな、どこか様子がおかしい。様子がおかしい……? ああ、そうだ。これだ。あの時と同じ。さっきまでと同じ。よそよそしい。言動がちぐはぐだ。
「バルサミナ、行くったってどこに行くんだよ」
「……知るか。どこかに何かあるだろ」
いつも以上にぶっきらぼうで仏頂面なバルサミナ。
車から降りた途端にみんなおかしくなっている。
いや、もしかすると俺がそう見えているように感じているだけなのか? これもゼレーネの能力か何かなのだろうか?
「おにーちゃん……なんか、みんな顔が怖いです」
「だよな……不浄な空気ってのはそういうものなのかもな」
適当な事を言って自分を納得させる。
しかし明らかに違和感を覚える。気が立ったような、上の空のような。特にバルサミナとマルメロは、その背中だけでも話しかけるなと威圧感を出しているのが目に見えて分かる。
他のみんなもその規模は違えど、イライラしているように見えてしまう。
事実俺も鳥肌が収まらない。
熱が出た時のような、心臓の音が全身に響く感覚――なんとか思考を纏めながら墓以外何もない場所を何かないかと捜し歩く。
唐突にバルサミナが口を開く。
「……ここには魔女がいる」
「魔女? マルメロじゃなくてか?」
「……ああ。マルメロ、ひいてはサマギの連中はあくまで魔法を使える女という意味での『魔女』だ。今あたしが言った”魔女”とは、魔物や怪物の意味を含んだ類の女だ」
「つまり……?」
あまりに突然の話題に話が見えない。
だがその突き刺すような声色は茶化した言葉を絶対に許さない意思を感じる。
誰も、俺と顔を合わせようとしない。みんな押し黙ったまま、バルサミナの言葉を待っているようだった。
「……魔女は――呪ったんだ」
「何を?」
「……あたし、達を。そう、呪った。永遠に消えない呪いだ。それこそ、末代まで呪うとはこの事だと言わんばかりの、強い怨念」
「達って事は、マルメロやダウニーもか?」
「……そう、そうだ。その呪いはあたし達を苦しめる。そしてこれからも苦しめ続けるだろう。いずれ、サザンカも私達のように、奴の呪いに苦しめられる事になる」
「待てよ、なんで急に山茶花が出てくるんだ。どういう因果でそんなことに――」
「……そうならない為に、そうならない為にだ、ホーズキは絶対にサザンカを死なせてはならない。そしてホーズキ自身も、死んではならない」
「バルサミナなんで、急に――いいや、そうか。お前がそういう顔をする時は決まって、何かある時だよな。言えないことなんだよな。分かるよ、言葉を選んでるのが。分かってる。言われるまでもなく、俺は死なないし山茶花は俺が死なせない」
「……違う! 結果ではない! あたしが言いたいのは今までの過程で!」
何か、もっと別の何かを伝えようとするバルサミナを、ルピナスが止めた。
それ以上はダメだと言いながら。
いつもなら、なんとなく分かったはずのバルサミナの考えが、今回は全く分からない。どんな意図なのかさえも一切伝わってこない。唯一分かるのは、俺と山茶花が死んではいけないという言葉が、俺と山茶花に死んでほしくないという意味ではないということ。
何故だろうか、普通なら分からないようなことのはずなのに、分かってしまう。
「辛気臭くなってしもうたのう、話題を変えるかホーズキ」
ルピナスはそう言って、マスクを外した。
つけていなければ不浄の空気とやらで死んでしまうはずなのに、なんの躊躇いもなくはずした。
「おいルピナス!?」
「もう大丈夫じゃ。のう天使様よ」
天使っ、てことはシクラか?
案の定、ルピナスの言葉に呼応するかのように虚空から翼の生えた少女が顕現した。シクラだ。
「これは、バリアですか?」
「ご、ご名答ですサザンカさん。腐っても皆さんをお守りする守護天使ですから、これくらいは簡単ですっ。試しに外してみてください」
マルメロや他のみんなもマスクを外し始めたので、俺もつけている訳もいかず渋々外す。
すると、驚くほどに空気が綺麗だった。むしろ今までいたどこよりも、息がしやすく感じる。
「すげぇな、これじゃマスクいらねぇじゃん。つーか、なんでわざわざ?」
「それは簡単な話じゃ。マルメロ」
「ほいほーい。えいやっと」
マルメロが軽く人差し指を動かすと、俺達の持つマスクに電流が走った。
思わず手放すが関電はしないようだ。
「盗聴器がしかけられていたのでな。あのアザミに出会った時点で、あのままあっち側にいては我らの完全にフリーな空間は作れんかったじゃろうな。監視もついとったし」
「アザミさんが……? じゃあやっぱりあの人は」
ゼレノイドを殺す側の人間だった、という事か?
だとしたら、俺達に接触してそのまま泳がせているのが謎だ。それにアザミさん自身だってゼレノイドなんだ。わざわざ俺達にそれを見せた。その上で、盗聴器までしかけて監視する必要がどこにある?
「まあ、断定はできんがな。じゃが少なくとも、仲良しこよしをしましょうやとはいかんらしい。まあ、まず第一にアザミが我らに、自身がゼレノイドであることを明かしたことじゃな。そうする事で我らはアザミ達に協力せざるを得なくなる」
「アザミがゼレノイドである事を誰かに話せば、俺達の身も危なくなるし、アザミさんは俺達に自分が敵じゃないっていう明確な理由を提示できる……」
「うむ。これによって、アザミ等は我らを味方につけた、我らはアザミ等の見方でなければいけなくなった。実に綺麗なwinwinじゃ。じゃがの、そうした場合、疑問が一つ浮かび上がる。アザミの目的じゃ。どこの馬の骨かも分からん怪しい集団を危険を冒してまで味方に付けようなどとは思わん。危険を冒すに足る存在であることを分かっていたからこそ、アザミは我らに近付いた。我らの実績を知り、鬼灯がゼレノイドに対し特別な感情を抱いていることを知っていたとしたら?」
アザミさんの目的……?
アザミさんはゼレノイドを保護する為に活動すると言っていた。そこから垂直に考えると、俺達にゼレノイド保護の手伝いをしてもらいたい、とかが思い付く。俺の考えはなんとなく分かるのか、言葉を待たずにルピナスは続ける。俺もわざわざ話を止めるつもりはない。
「監視をつけ、盗聴していたのは我らが裏切らないようにする為か? 今までの話を総合すれば、念の為にそうしたのだと結論付けてもよいじゃろう」
じゃが! といつかのエリーマイルの時の様にテンション高めのルピナスさん。
「このままいいように使われるのは面白くないとは思わんか?」
「……なんだ、結局そういう話か。お前の個人的な感情だろ」
「何を言っておるバルサミナ。影で操られていると分かっていながら、それを受け入れるを良しとするのか?」
「……む、確かにムカつく」
まあ、言われてみればいい気はしない。
きっと”言えない事情”とやらがあるのだろうが、それにしたって目的の為に人の体を断りもなく使うような理不尽は気に入らない。それで大勢の人が救われるのであればそれ自体に問題はないが、何をするべきなのかははっきりさせておかないと、何よりやる気が出ない。
「自らの信念に基づかない行為などに、最上の結果は伴わない。故に我らは、アザミの目的を理解した上で、手の平の上で踊らずに雑に足踏みでもしてやろうではないか。ま、アザミが悪い奴には見えんから悪人として見ることはないじゃろと我の良心が告げとるがな。要するに敵と味方の区別はしっかりとつけるべきじゃと言いたい。鬼灯よ、何よりもまず、自分の目と心を信じるのじゃ。他は二の次じゃ」
「ルピナス……なんだよ、回りくどい奴だな」
「はっはっは! ついでじゃついで。事実、話しておくべき事ではあったからな。アザミの目的がどうあれ、サーヴァリアと繋がっているとも考えられる。あくまで憶測じゃが、ゼレノイドの保護というのも、実際は自分がゼレノイドであることを見逃してもらう為の生贄をサーヴァリアに捧げているだけかもしれん」
「それだけはないと思いたい。でも、もしそうだった時の覚悟を決めておけと、そう言いたいんだな?」
ルピナスは首肯した。
もし、もしルピナスの言う通りだった時、俺はアザミを殺さなければいけなくなるだろう。そうなれば俺はまた誰かを手に掛ける。新しい十字架を背負わなければならない。もうこれ以上そんな事はしたくない。
だと言うのに、その覚悟とやらはいとも簡単にできてしまった。驚くほどに心が落ち着いている。
いつもなら人を殺す事なんて思い出すだけで動悸が止まらなくなると言うのに、いよいよ、慣れてきてしまったのだろうか?
「ふぁ~あ、ルピナスは話が長いんだよねー。わたし半分寝てたよ?」
「マルメロは能天気すぎるのじゃ」
「ダウニーほどじゃないよ。あの子はお腹いっぱいになって幸せそうに寝てるよそこで」
大量の墓石に囲まれながらあんな天使のような寝顔で寝れるダウニーは流石のネクロマンサーと言ったところか。
見てると俺も眠くなってくるが、ここに来た本来の目的を忘れてはならない。
そう、俺と山茶花が元の世界に戻る為の手がかりを探しに来たのだ。
正直、『Re:Bury』が何かは分かりそうにないが、ほんの少しでも手掛かりがあるはずだ。
そう思ってでもいないと不安で押し潰されそうになる。
「おにーちゃん……」
「大丈夫、大丈夫だ。きっと何かあるはずだ。俺達が元の世界帰る方法が」
ルピナスとマルメロが寝ているダウニーを弄っているのを横目で見ながら、墓石の裏に何かないかとか思いながら虱潰しに探していく。
何もない。
何もない。
何もない。
何もない。
何もない。
そう、何もない。
ここにあるのは墓石だけ。
本当に意味のあるものなのかすら分からない、石の塊しか置いていない。
まるで俺のようだ。
何もない。
首を横に振る。
何もないなら、作っていけばいいだけだろうが。もう昔とは違うんだ。俺には皆がいるんだ。俺を同等に見てくれる、全てと等価値に扱ってくれる。だから自分を卑下するな。俺をリーダーだと言ってくれたバルサミナの思いを裏切るな!
そして、決して気負うな。
どれだけ頑張っても俺は凡人だ。それを仲間が補ってくれるんだ。自分を理解して行動を選ぶんだ。俺を助けてくれる皆の思いを無駄にするな!
それでいい、それで、俺は……俺はそれでどうするんだ?
この世界で生きて行く?
『この世界で生きて行くのも悪くないのではないか?』
そうだ。
別に、無理に帰る必要なんてないじゃないか、あんな場所。
父さんと母さんには……ずっと心配かけたままになってしまうのだけが心残りだけど、俺達が幸せに暮らすには、あの世界は狭すぎるんだ。
「ダメだ……! 帰らないとダメだ……!」
「……ホーズキ、ここにはまたくればいいだろう。今無理をすることはない。もっと落ち着いた時に来ればいい。お前は今、他の大きなことで悩んでいるだろう?」
「そうですよおにーちゃん。わたしのことは心配しないでください……と言うのは無理があるかもしれませんけど、おにーちゃんが思ってるよりもわたしは強いんですから」
慰められてばかりだな俺は。
「ああよし! もう大丈夫だ。すっきりした! そうだな。今は一旦戻るか。あの人待たせてるしな」
立ち上がった時だった、視界の端に何かが映った。
山茶花とバルサミナを連れてそこに駆け寄る。
落ちていたのは一冊の古ぼけた本……いや、本というにはあまりに薄っぺらい――待てよ、これってノートじゃねぇか!?
俺や山茶花に限らず、俺達が元居た世界で一般的に使われていた学習用ノートだった。




