48――なんでも知ってる天使のお姉さん
「ここが天空都市レイピテル……」
エレベーターのドアが開き最初に見えたのは、まるでタイムスリップしたかのような熱帯雨林だった。
空を覆うように背の高い木々が鬱蒼と茂り、照りつける陽の光はその隙間からしか届かない。
リコリスによると、この天空都市は特殊なバリアのようなもので覆われているらしく、その標高に関わらず安定した気候が保たれているらしい。
この木々も下界にはない、この浮遊大陸にしかないものだとか。
「幻想的……下じゃあり得ない植生なの」
「ダウニー、植物に詳しいのか?」
「薬草を作る関係で、少しは分かるの。日光がほとんど遮られているはずなのに、こうして背の低い草もよく育ってるのはおかしいの」
ダウニーは、まるで番兵のように生い茂るシダ植物を見て言った。
確かに言われてみれば、成長に必要なはずの要素の一つが欠けているこの環境で歩くことを阻むほどに成長している。
レイピテルがその気候以外に全く人間に配慮されていないと聴いていたが納得した。
俺達はすごく歩きにくい森を抜け、ようやく開けた場所に出た。
そこはさながら庭園。
失われたエデンの園だった。
「綺麗……ちょっとあっち見てきていい?」
「あんまり遠く行くなよ」
「大丈夫~。サザンカちゃんも行こ!」
はしゃぐマルメロに半ば無理やり手を引かれて行く山茶花を見守りながら、内心マルメロに礼を言った。恐らく俺達を気遣って一旦遠ざけてくれたのだろう。
女の子はロジックではないとマルメロは言ったが……早くなんとかして山茶花に期限を取り戻してもらわないと。
「で、俺達はっと……」
天使とは神の被造物であり、それらは全てパソコンのプログラムと同義。故に、天使に自我はなく、そこにあるのは霊的な肉体のみであり、意思の疎通は図れないらしい。
何か訊けば答えてはくれるが、それが要領を得るものかまでは保証できない。
なので、さっきからこの庭園ですれ違う機械のような表情の天使達は当てにならない。俺の目的は、この天空都市で例外的に自我を与えられた天使だ。
「……ホーズキ。私達はここで待ってる。話をしてこい」
「ありがとう。悪いな、また気を遣わせちまってさ……」
「……気にするな。お前と、サザンカの為だ」
庭園を抜けると、突然広がった本当に何もない草原の中にたった一つだけポツリと建てられた教会風の建物があった。
その中に、その天使はいる。
重い扉を開き、中に入ると、生活感など微塵もない殺風景で椅子の一つすらないただの正方形の部屋の中、穏やかな顔をした女性が立っていた。
頭上には光の環、背には三対の翼を携えた、絵に描いたような天使の姿。
その神々しさには思わず息を呑む。
「はぁ~いようこそ天空都市レイピテルへ。わざわざこんな辛気臭~いところに来るなんて今時物好きな若者もいたものね」
「えぇ……」
「いいわよそういうの嫌いじゃない。あのクソセンスないクソ神が作ったこの部屋見てよこれ、マジであり得ないわアイツ。もうちょっと装飾つけろっての。ああごめん勝手に話しちゃって。なんだっけ? お祈り? んなワケないわよね~っはは!」
なんだこの天使!?
ちょっと古い今時の若者みたいな話し方な上に神様のこと思いきりディスってたけど本当に天使なのか!? いやまあ、雰囲気はすごいし……
「え? 何? 話し方が天使っぽくないって? はぁ~やだやだ今時の天使ってのはこういうもんよマジで。そもそも、自我とか感情を与えない意味が分かんない。離反とかわざわざしねーっての面倒臭い。あ、ごめんごめん。何か訊きに来たんだっけ?」
「あ……えーっと」
「緊張しなくていいからいいから。言いたいことあるならズバズバ言っちゃって私みたいに」
本当に大丈夫なのか不安はあるけど、それは訊いてみれば分かることだ。
意を決して、俺はよくしゃべる天使に訊いてみた。
「俺達が……別の世界から来たことは――」
「それは知ってる」
「じゃあ、俺達が元の世界に変える方法は!」
「それは知らない。ごめんだけど、たとえ天使や神とは言えどそうそう簡単に世界から世界の移動を許すワケにはいかないの」
それはあまりに無慈悲な一言だった。
ここまで持ってきていた大きな期待を一気に打ち砕かれた。
「この世界と並行して存在する束ねられた世界と、その束の外側にある別の時間軸の世界、それら全てを総合した『世界』というものにはね、クソ神が定めた『因果』という概念があるの。ある程度、その世界で存在するモノの運命を定めた概念。まあ、あくまである程度だから、例えば人間が取るその場その場での行動によって変わるし、それだけ無数の可能性が存在する。でもね、人の死であるように、絶対に変えてはいけない『運命』が在る。それが『因果』。私達天使はこれを監視しているの。
別の世界に移動するって現象はほんっ~とうにイレギュラーなことで、これだけで色んな因果が歪んじゃうのよ。そしたら私たちの仕事も増えて世界は変なことになるわでマジ迷惑なワケ。まあ、今回のアンタ等のは不可抗力によって偶発的に起きたものだから、気にしなくていいわ」
「気にしなくていいって……じゃあ俺達はどうすればいいんだよ!」
八つ当たりだというのは分かっているが、それでも叫ばずにはいられなかった。
俺達にだって生きてきた世界が、足跡がある。父さんと母さんだって心配してるし、友達だっているんだ……それを全部捨てて、この世界で生きろなんてのを、すぐに許容できる訳がない。
「残念ながら当方ではどうのしようもないことね。でもま、アレよアレ、もうアンタさ、こっちの世界で色々人間関係作っちゃってるし、『仲間』って家族みたいなもんでしょ? この世界を去るとしてこの世界での人間関係を放棄することと、この世界で永住することで元の世界の人間関係を放棄するのは別なこと? 同じでしょ?」
「それは……」
「そんな感じで今は言いくるめられといてよ。まあ? 私だってそこら変に散らばってる愛想のない天使とは違って感情があるワケだから少しくらいはアンタに同情してるわよ? だからま、最善は尽くしてあげる。期待はしないでほしいけどね。だからそんな泣きそうな顔しないの」
山茶花になんて言えばいいんだ……?
変えることができる可能性が限りなくゼロに近いなんて知れば、悲しむどころの話ではないはずだ。俺よりもメンタルが弱いとは思わないけど、ゼレノイド化という言葉を思い出して余計に心配だ。
「私が言うのもなんだけど、前向きに考えよ? このまま死にそうな顔して一生を過ごすよりも、明るい顔で生きた方が絶対いいって。こんな殺伐とした世界だけどさ、平和に生きようと思えばできないこともないしさ」
「だろうな……俺がもっと、そう簡単に物事を決められる人間だったら、それでよかったんだろうな」
でも俺はそうじゃない。
一つの決意も簡単に抱けないヘタレだ。
「でも昨日、決めたんでしょ? 俺が山茶花を守らなきゃって。今までみたいに山茶花が自分の傍にいることで自分の弱い精神を保つんじゃなくて、ただ純粋に守ることを決めたんでしょ? あの可哀相な機械仕掛けの少女を孤独から永久に救ってあげることはできなくても、たった一つ絶対に手が届く最愛の妹を、さ」
そうだ。
俺はこの弱い心に誓ったんだ。
俺が山茶花を守らなくてはならないのではなく、俺が山茶花を守るのだと。
「そうそう、その眼。本当にアンタは最後の一押しが必要なのね。おっと、そうこう言ってる内に誰か来たみたいよ」
「え……?」
「サザンカちゃんほら早く!」
「ちょ、ちょっとマルメロさん……!」
いつの間にか、マルメロが山茶花を連れて来ていたようだ。
無理やり部屋の中に押し込まれて、ポカンとする俺の前にもじもじしながら立っている。
「おにーちゃん、わたしのこと、そんな風に思っててくれたんですね。ちょっと、ちょっとだけですけど、見直しました」
「山茶花ちゃんは、もっと見てほしかったんだよね。自分のことを」
天使が放ったその言葉に、まだちょっと不機嫌そうだった山茶花の顔が茹でたタコみたいに赤くなった。
狼狽しあたふたするその姿を見るのは久方ぶりだった。
「天使のお姉さんはなんでも知ってるからね~、マルメロちゃんが自分を慰めていたところを目撃してしまった鬼灯くんのことを怒っていたんじゃなくって、マルメロちゃんに嫉妬してたんだよね?」
「なっ……ち、違います! 嫉妬なんて、そんなこと……」
「山茶花ちゃんもあの直前まで、同じことをしてたんだよね?」
それは本当か!?
「この世界に来てから自分に構ってくれる時間が減って、兄の周りにはどんどん他の女の子が増えていって、相対的に自分と話してくれる時間が更に減って……寂しかったんだよね」
「だって……だっておにーちゃんいつもマルメロさんと楽しそうに話してて、下ネタなんてわたしには言えないけど、わたしだってもっとおにーちゃんと一緒に……一緒に楽しくお話がしたいんですっ!」
「そう……でも、怖かったんだよね。そんなこと言っておにーちゃんを独り占めにしたら今の関係に亀裂が入るかもしれない。今回のはその考えに限界が訪れた結果ね。アンタ等気ぃ遣いすぎなのよ。もうちょっと楽に生きれば?」
心の内を吐露した山茶花は泣いていた。
ボロボロと大粒の涙を流してその場に膝をついた。
在り来たりでもいい、俺は山茶花を抱きしめた。今の俺にできる最高の愛情表現だ。
「山茶花……ごめんな、気づいてやれなくて。そうだよな、今までずっと二人で一緒だったもんな……」
「おにーちゃん……」
「これからは本当の意味でお前を守る。もう絶対に、絶対にこの手を離すことはない。お前の幸せを最後まで見届けるまで、俺はお前を守り生き続けるから」
「ちょっと重いです……でも、嬉しいです」
「あ~一件落着ね~でもイチャイチャするのは外でやってよね~もう。あ、そうだ。山茶花ちゃんがどんな風に”してた”か知りたい? 鬼灯くん」
「え……それは」
何故このタイミングでんなもんぶっこんで来てんだこの天使は!?
「おにーちゃん、サイテーです。でも、そんなおにーちゃんが大好きです!」




