26――その手は何の為に?
「ああ……どっとつかれた」
「……それはどうもごめんなさい」
まだまだ不機嫌気味なバルサミナさん。
最終的に大事には至らず、俺と弓矢のジムナスターさんと着ぐるみ幼女のコスモスちゃんが死ぬほど気を使って事なきを得た。
あまり食べた感じがしないが……まあ、人が多かったのだから仕方ないだろう。
「今昼時なんだろ? 今度もっと早く来ようぜ。四人でな」
「……別にいいけど」
まあ、悪気がある訳ではないから……別にいいか。
「……特訓の続きだ。まずは、人のいないところまで走る」
「りょーかい」
@
人のいない所、バルサミナに着いて行き辿り着いたのは人気のない海岸沿いの林だった。遠くを見れば水平線の向こうまで広がる真っ青な海が見えた。
ちゃんと整備されていて、とても綺麗な場所のはずだが人はまったくいない。
「……ここは、数十年前にゼレーネによって全滅した、元々街があった場所だ」
「……」
「……一晩の内に、人間は肉のオブジェに成り代わった。今はこうして、ただ木が生えるだけの林となって、昔のことを思い出さない為に誰も近寄らない。ここなら誰にも邪魔されない。こんな人の血と肉で育った林なんかには、誰も近づきたくはない」
なんで、バルサミナはここに連れてきたんだ……?
「……今からするのは、簡単で特殊な鬼ごっこ。私の腰に巻いたこの布を取れたら、お前の勝ちだ。私の懐を取ってみろ」
「分かった。行くぞ……!!」
バルサミナに勝てないくらいじゃ、誰にも勝てないってことか……到底、うまくいくとも思えないが、やるしかない。
俺は動揺した精神を落ち着かせるように息を整え、力の込められた足で地を蹴り、前へ一気に駆けだした。
眼前のバルサミナは一歩も動かない。
俺の手が、バルサミナの腰に届く寸前で――
「うぶッ――!?」
バルサミナのつま先が、鳩尾に突き刺さった。
「ご……ほッ、おい……手を出すのかよ……」
「……当たり前だ、今のでお前は100回は死ねた。猪ではゼレーネに勝てない、あたしにすら。遠慮はしなくていい」
バルサミナの、だるそうにしていた双眸が据わる。
「殺すつもりで来い。でなければ殺す」
バルサミナはステゴロだ。
何も武器をもっていないのは俺と同じ条件……だが、その殺気は明らかに俺を殺そうとするものだ。あんな気迫は俺にはない。
今にも押し潰されてしまいそうな感覚で、足が竦む。
「また死んだ」
「ガ――ぁッ!?」
膝が鳩尾に突き刺さる、衝撃の勢いで下がった後頭部を叩き落される。
顔から思い切り硬い土に叩かれて、頭の中に音叉でも入っているかのように揺れる感覚。土の味が惨めさを加速させる。
本気だ、バルサミナは本気でやるつもりだ。
「これくらい……!!」
地面を殴る勢いで立ち上がった俺を、間髪入れずに横蹴りが胸板を襲う。そのまま数メートルは吹っ飛び、木にぶち当たる。
血反吐を吐きながら地を這う俺の頭を、まるでゴミでも踏みつぶすかのように踏みつぶす。
「その程度でサザンカを守れると思うな。その弱さがなければタイは死ななかった。違うか?」
「タイは関係ないだろ……ッ!!」
「いいや、あるな。強ければ助けられた」
そんなこと言ったって、あの時は仕方がなかった。
山茶花のことで精一杯で、それに、人と真正面から戦うなんてことが、あの時の俺にできたとは思えない。未だに人を傷付けることは恐いと思う。たとえそれが山茶花の為であってもだ。
バルサミナは、その甘えを捨てろと言っているのだろうか……?
「強さは必然だ。必ず必要な要素だ。たとえどんな境遇で、どんな場所に住んでいようと、偉そうに『大切なモノ』を持つ人間が、弱いことなど許されない。許してはいけない」
「なんで……バルサミナはそんなに強さに拘るんだ……?」
這いつくばりながら、せめてもの軽口を叩く。
するとその動きが一瞬だけ止まった。
――その隙を突いた、つもりだったが、
「甘い」
「くっ……」
左に避けられ、背中に肘打ちを喰らう。
「俊敏さ、強靭さ、腕力、それら物理的な力、それらは絶対的に、お前が優先して手に入れるべきものだ。そうでなければ、守れない」
何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、肺が擦り切れるくらい息を切らしながら飛びかかったが、やがて一度も成功することはなかった。
体力に限界が訪れ、体の動きも鈍くなる。正直、よくここまで動けたと自分の体を褒めてやりたいくらいだ。
だがまだ、バルサミナは終わる気はないらしい。
だったら……とことんまで付き合って――
「もうやめてください……!」
と、俺とバルサミナの間に割って入る形で、山茶花が茂みの中から現れた。茂みの向こうでは慌てた様子のマルメロもいる。
「もう、これ以上は……見ていられません……!! わたしも強くなります! だから、これ以上おにーちゃんを苦しめないでください!!」
「山茶花……」
どうやら、最初から全部聴いていたようだ。
「やめようって言ったんだけど、聞かなくって……ついてきちゃった」
地面に座り込んで動けない俺を支えるようにしながら、マルメロがそう言った。
バルサミナは俯いたまま何も言わない。山茶花に睨みつけられたまま、緊張した状態が続く。
「……分かった。今日は終わりにしよう。だが、また明日から続ける」
「そんな……!!」
「山茶花、俺は大丈夫だ。心配してくれるのはありがたいけど、これは必要な事なんだ。お前の為だけじゃない。生きていく為には今のままじゃ弱すぎる」
「おにーちゃん……」
「そんな顔しなくても、もう勝手にいなくなったりはしないからさ。ずっと傍にいるから」
ひゅーひゅーとすぐ横でマルメロが言っているが、しめやかに無視。
「も……もう、そんな、みんな、いる前で……」
恥ずかしそうに顔を赤らめる山茶花の頭を撫でる。もちろんちゃんと手は拭いた。
「……戻るか。お腹が空いた」
「確か、飯も出るんだったよな?」
「すっごいディナーらしいよ!」
体を動かせない俺は、バルサミナにおぶられながらギルドへ戻った。
@
次の日も。
その次の日も。
はたまた次の日も。
明後日も明々後日も弥の明後日も、バルサミナによるスパルタ特訓が行われた。
その度に死にかける手前まで追い込まれたが、次第に自分の体が頑丈になっていくのは感じていた。
そして、ついに、バルサミナから布を奪い取ることに成功した。
「手を抜いた訳じゃ、ないよな……?」
「……あたり、まえだ。お前の実力だ……」
バルサミナも息を荒げている所からするに、どうやら本当に強くなっているようだ。こんなことで本当に大丈夫なのかと少しは疑っていたが、火事場の馬鹿力なのか、はたまた本当に効果があったのか。
「……だが、これでもまだ序の口だ。次は私が持つ短刀を弾く練習――」
バルサミナがそう言いかけた時、マルメロが急いだ様子で林の中へ入ってきた。
「す、すぐに戻ってきて……! なんか、ギルドの偉い人が直々に頼みたい依頼があるって……!」
俺達は顔を見合わせた。
恐らく考えている事は同じだろう。
『何故、まだ一度も功績も何も挙げていない俺達の所へわざわざ来たのだろうか?』。
すぐに戻った俺達は、ギルドのロビーで待っていた、髭が立派な厳かな雰囲気のおじさんにその疑問をぶつけた。
「その答えは簡単だ。我々には『人手が足りない』。簡単に説明しよう……今、問題になっているのは『エリーマイル』だ」
エリーマイルと呼ばれる、今俺達がいる『ネルセット』から陸続きの北西にある雪国でゼレーネが現れているらしい。
街一つが目の前が見えないほどの赤い霧に包まれ、それが少しずつ広がっているようで、その視界の悪さから未だにその正体を掴めていないのだとか。どこにいるかもわからないせいで探しようもなく、エリーマイルにしてもギルドにしても早めに斃さなければ経済とか色々なことに影響が出るし、何よりその街の人々の住む場所がない事態が長く続くのはよろしくない。なので人員を多めに投入したいのだが、他の場所でもゼレーネの事件は立て続けに起こっている為人手が足りない。なので、丁度暇をしていた俺達に白羽の矢がたった、という事だ。
「バルサミナ、どうする?」
「……私を誘ったのはお前だ。つまり、リーダーはお前だ」
む、まあ確かにそれはそうだ。
そうなると、バルサミナの年齢は分からないので除くとして、この中で一番の年長者は俺という事になる。山茶花とマルメロもこっちに振られても困るという顔をしているので、そうなると必然的に俺が決めたくてはいけない訳だが……さてどうするか。
「ルザーブの騒ぎを収めた君達にならできるはずだ。それに、バルサミナ君から聴いたが、あの”白蛇”も倒したんだって?」
バルサミナの奴……思っていたよりも口が軽いんじゃないか?
だがまあ、確かにそう言われればそうだ。白蛇のゼレーネに関してはほぼマルメロの力、ケルベロスのゼレーネにしても勢いで、と俺達全員が褒められるものではないが、間違いないのが、それらが一人では成し得なかったということ。
俺だって強くなった、はずだ。それにバルサミナだっている。だとしたら、少しくらい胸を張ってもいいのではないだろうか。
「分かりました。行きます」
「その言葉を待っていたよ。では早速、明日出発してくれたまえ。武器などの支給品は後で揃えさせておくから、必要なだけ持っていきなさい。期待しているよ」
「はい! ……ふぅ、緊張した」
去っていくのを確認して、一気に体の力を抜いた。
「……ギルドの最高責任者だからな」
バルサミナの言葉に、もし変な事を言っていたら、という恐怖が浮かび上がって冷や汗が湧いてくる。偉いと人とは聞いていたがまさか一番偉い人だとは……
「そういうのは先に言ってくれよ……」
「……まあ、とにかく準備だ。出発は明日、ぐずぐずしている暇はない」
「分かりました!」
山茶花もどうやらやる気のようだ。
最近になってようやく、山茶花の元気が元の世界にいた時と同じくらいまで戻った気がする。色々と吹っ切れることがあったのだろう。それに改めて一安心するのだが……ただ一人、マルメロの表情には、陰が射しているように見えた。




