第57話:器と駅弁と、二つの視線
上越線の車内は、どこか静かだった。
さっきまでの笑い声が、少しだけ遠くに感じる。
窓の外を流れる景色は、雪の残る山肌から、乾いた田畑へと変わっていた。
俺は、るいの言葉を反芻していた。
「澪姉、僕に背中を向けて泣いてたんですよ」──
その一言が、胸の奥に、ずっと刺さっている。
ふと、通路の向こうに澪の姿が浮かんだ気がした。
窓の外を見ているようで、見ていないような横顔。
何かを考えているようで、何も考えていないようにも見える──
それは、記憶の中の澪だった。
今ここにはいないはずなのに、俺の中では、まだ隣に座っていた。
「……あの、駅弁ってたしか、器持って帰れるやつありますよね?」
北斗が、ふと声を上げた。
「あるある!釜めしのやつ!陶器の!」
のぞみが即座に反応する。
「ひよりちゃんの器にポッキー入れたら、絶対かわいいと思うんだよね」
「それ、かわいいかどうかより、湿気との戦いでは?」
北斗が微笑みながらツッコむ。
「迂闊くんはきっと牛めし派ですね。タンパク質系の食材好きそうですから」
北斗が真顔で言うと、のぞみが「肉食弁当じゃん!」と笑った。
──その笑顔が、ほんの一瞬だけ、目元で揺れた気がした。
俺とるいのやり取りに、何か言いたげな間があった。
でも、すぐに北斗のツッコミに乗っかって、いつものテンポに戻った。
……なんだろう。
のぞみが、少しだけ無理してるように見えた。
気のせいかもしれないけど──なんとなく、そんな気がした。
車内の空気が、少しだけ張りつめたものから解けかけているように感じた。
──でも、それは誰かが無理して笑ってるからかもしれない。
るいが、ふと口元をゆるめた。
その笑顔はほんの一瞬だったけど、俺の中で何かがほどけるような気がした。
高崎駅が近づいてくる。
昼食の時間だ。
澪がいない帰り道で、駅弁を選ぶだけなのに──なんだか少しだけ、楽しみだった。
そして、高崎駅に着いた。
ホームに降りると、午後の空気が少しだけやわらいでいた。
けれど、のぞみの声の調子が、どこか心細く聞こえた。
駅構内には、旅人たちの足音と、どこか懐かしい駅弁売り場の香りが漂っている。
「わー!あったあった、釜めし!」
のぞみが声を弾ませた。
「んんんー!」
ひよりが駆け寄るようにして、陶器の器を手に取った。
「ひよりちゃん?それね、横川の名物だけど、高崎でも売ってるんだよ」
のぞみが優しく説明しながら、隣の棚を覗き込む。
「ほら、この器、やっぱりポッキー入れにぴったりじゃない?」
のぞみが真顔で言うと、北斗が即座に反応する。
「湿気でポッキーがしなしなになる未来が見えます」
「……それはそれで、しっとり系ってことで、ダメ?」
「いやぁ〜、ポッキーにしっとり求める人いないですよ」
北斗のツッコミが、売り場に小さく響いた。
「俺はこれにするわ。牛めし」
迂闊が何気なく選んだ弁当には、北斗が予想したとおり群馬県産牛めしの文字が光っていた。
「肉食弁当、ここに極まれり」
のぞみはそう言い迂闊に笑いながらも、自らは鶏めしを手に取る。
──その笑顔は、ほんの少しだけ形が崩れていた。
鶏めしのパッケージを手に取る指先が、わずかに迷っていたようにも見えた。
俺が澪のことを思い出していたのを、のぞみは気づいていたんだろうか。
いや、そんなわけない。……でも、のぞみの視線が、俺の手元をちらりと見たのは確かだった。
俺は、売り場の棚越しに、のぞみが手にした鶏めしのパッケージをちらりと見た。
写真付きのラベルには、甘辛く煮た鶏肉と炊き込みご飯のイメージが載っている。
その色合いが、澪の好きだった二色弁当に、少しだけ似ていた。
「鶏そぼろと卵の二色弁当が好き」──
あのとき澪が、少し照れながら言った言葉が、ふいに胸の奥でほどけた。
「……それ、美味しそうですね」
隣から、るいの声がした。
「ん?ああ、うん。なんか、ちょうどいいなって」
牛めしを手にしたまま、ほんの少しだけ笑った。
るいは何も言わずに、俺の顔を見ていた。
その視線は、さっきより少しだけ、柔らかかった。
「……僕は、釜めしにします。器、持って帰りたいんで」
「まさか、るい……おまえもポッキー入れるのか?」
「まさか……さすがにポッキーは入れませんよ。
文房具です」
「まじめか」
「嘘です。蓄チュウです」
「ポケ……パチモンか」
蓄チュウ──
聞こえはいいが、エコぶって放電サボる予感しかしない。
俺のキレッキレのツッコミが、二度も、売り場に響いた。
駅弁を手に、それぞれが自然とレジへ向かった。
──のぞみの背中が、ほんの少しだけ遅れていた。
ひよりに話しかけられて笑っていたけど、足取りがどこか不安定だった。
俺が振り返ったとき、のぞみは一瞬だけ目を伏せた。
何かを言いかけて──でも、言わなかった。
……のぞみが、少しだけ悲しく見えた。
気のせいかもしれないけど、なんとなく、そんな気がした。
旅の終わりが近づいているからだけじゃない。
なんだか少しだけ、俺の心は複雑だった。
次回予告
女子会、爆笑、そして突然の決意!?
笑いすぎて湯呑みが揺れる午後、心も揺れる。
次回、「午後の光と、少しの勇気」
“送るか、送らないか”──その一歩が恋を動かす。




