第56話:怒りと祈りの交差点
※迂闊視点
バスの窓から、雪の残る山肌が流れていく。
温泉ホテルを出てから、車内はずっとにぎやかだった。
ひよりのポッキー語、北斗の謎テンション、のぞみのツッコミ──
笑い声が響いてるのに、俺の中だけ、音が消えていた。
澪の姿は、最後まで見なかった。
「またね」って言葉だけが、湯気の向こうに残ってる。
あれは、なんだったんだろう。
“また”って……本当に、また会えるって意味だったのか?
ふと、昨日の朝に見た“期待”の花を思い出す。
あの花言葉、なんだったっけ──
「あなたを信じて待つ」だったか。
それとも、「裏切られても、まだ信じたい」だったか。
俺は……信じられる側だったんだろうか。
信じてくれていた澪に、俺は何を返せたんだろう。
謝った。言葉にはした。……でも、それだけで、澪の傷は癒えるのか?
越後湯沢駅に着いた。
バスが停まり、乗客がぞろぞろと降りていく。
「……一日って、あっという間だったね」
のぞみが、荷物を抱えながらみんなにぽつりとつぶやいた。
その声は、どこか名残惜しそうだった。
「ほんとに。温泉もプールも、全部濃かったです」
るいが頷く。
「じゃ、みんなで改札向かおっか!」
のぞみが先頭を切って歩き出す。
……そのとき、のぞみの様子が少しだけ変だと思った。
いつもなら、るいが俺に話しかけるとすかさず茶化してくるのに、
今日は妙に静かだった。
荷物を持つ手が、ほんの少しだけぎこちない。
俺と目が合いそうになると、すぐに視線を逸らす。
「……じゃ、みんなで改札向かおっか!」
のぞみがそう言ったときの声は、いつもより少しだけ高かった。
無理に明るくしてるような、そんなトーンだった。
笑ってるのに、目元が張ってる。
表情が固いわけじゃないのに、どこか落ち着きがない。
俺とるいの距離が気になるのか──それとも、昨日の疲れでも残ってるのか。
のぞみが先頭を切って歩き出す。
その背中は、いつもより少しだけ速かった。
まるで、何かから目を逸らすみたいに。
るいがふと俺の方を見て言った。
「……僕、迂闊先輩の高校に進学しようか迷ってて。ちょっとだけ、話聞いてもいいですか?」
「え?ああ、別にいいけど」
「ありがとうございます。すぐ終わりますから」
るいがのぞみに事情を説明すると、のぞみたちは先に改札へ向かっていった。
俺とるいだけが、バスの横に残った。
ふと、前方でのぞみが立ち止まった。
改札の手前で、ほんの一瞬だけ振り返る。
俺と目が合いそうになって──けれど、すぐに逸らされた。
そのとき、のぞみの目元が、ほんの少しだけ揺れた気がした。
笑っているようで、笑いきれていない。
何かを言いたそうで、言えないまま飲み込んだような、そんな顔だった。
でも、声はかけてこなかった。
そのまま、何事もなかったようにひよりの方へ歩いていった。
……なんだろう。
のぞみが、少しだけ変に見えた。
気のせいかもしれないけど──なんとなく、そんな気がした。
冷たい風が、駅前の空気をかすかに揺らしていた。
るいは、俺の隣に立ったまま、しばらく黙っていた。
その沈黙が、刺すように重かった。
そして──
「……進学の話の前に、ひとつだけ、聞いてほしいことがあります。」
「あ、ああ」
「迂闊さん……澪姉にまだ聞いていませんよね?」
「……え? 何の話だよ?」
「昨日の夜、澪姉から僕、電話であなたの話を聞いたんです。
澪姉が中学の頃……あの日澪姉を迎えに行ったの、僕ですよ。
知ってました?」
「……そうだったのか……」
言葉が喉に引っかかる。
俺は、るいの顔を見られなかった。
代わりに、バスの窓に映る自分の顔を見ていた。
どこか他人みたいだった。
何も知らずに笑っていた頃の、自分の顔だった。
「ええ。冬の日……澪姉、ずっと待ってたんですよ。寒い中、ずっと。
迂闊先輩……あんたが来るって、最後まで信じてたんですから」
「……俺、知らなかった。
いや──知らなかったなんて、言い訳だよな。
気づこうともしなかった。……最低だ」
言いながら、胸の奥がじわりと痛んだ。
澪が、寒空の下で俺を待っていた。
その姿を、俺は想像することすらしてこなかった。
「僕、あのときの澪姉の顔、今でも忘れられませんよ。……澪姉、僕に背中を向けて泣いてたんですよ。声も出さずに」
「……俺が、泣かせたんだ。
澪が、そんなふうに泣いてたのに……俺は、何も知らずに、何も考えずに……」
言葉が震えた。
罪悪感が、喉の奥で膨らんでいく。
俺は、澪の涙を知らずに生きてきた。
それが、どれだけ残酷だったか──今さら、思い知る。
「だから、僕はあんたのこと、絶対許さない」
「……許されるなんて、思ってない。
謝ったって、澪の傷が消えるわけじゃない。
でも、それでも──俺は、ちゃんと向き合いたい。
澪が背負ったものを、俺も背負いたいんだ」
るいの目が、俺を刺すように見ていた。
でも、それが当然だと思った。
俺は……澪の痛みに気づくのが、あまりにも遅すぎた。
「謝る相手、僕じゃなくて澪姉でしょ!!
それに、謝ったからって、全部チャラになるなんて……そんな都合よく思わないで」
「……わかってる。
チャラになんて、できるわけない。
でも、澪にちゃんと伝えたいんだ。
俺がどれだけ後悔してるか、どれだけ……あのときの澪を、守れなかったことが悔しいか」
風が吹いた。
るいの髪が揺れる。
その背中には、澪を守ろうとする弟の強い意志が見えた気がした。
「……でも、それでも澪姉は、あんたを待ってた。今も、たぶん、どこかで。
迂闊さん、あなたぼくより歳上の先輩でしょ?
……だから、逃げないでちゃんと澪姉の過去に向き合ってくださいよ!」
「……俺は、もう逃げない。澪の過去に、ちゃんと向……」
「澪姉を傷付けた人の口先なんて信じません!
“つぎ”澪姉を泣かせたら──今度は僕、絶対に許しませんよ!」
るいはそれだけ言って、先に改札へ向かっていった。
俺は、るいの背中を見送った。
何も言えずに。
荷物を持った手が、少しだけ震えていた。
澪の「またね」が、るいの「絶対許さない」に重なって──
俺の中で、何かが崩れそうだった。
「……“期待”って、どういう意味なんだろう」
俺の声は、駅の雑踏に静かに溶けていった。
そのとき、改札の向こうでのぞみが立ち止まった。
ひよりと北斗に呼ばれながらも、足がふと止まりかける。
振り返るように、ゆっくりと顔をこちらに向けた。
俺と目が合いそうになって──でも、すぐに逸らされた。
唇が、何か言いかけて動いた。
けれど、声にはならなかった。
笑っているようで、笑いきれていない。
何かを言いたそうで、言えないまま飲み込んだような、そんな顔だった。
──その唇の動き、ほんの一瞬の……。
俺には読めた気がした。
俺は、その表情を見て、少しだけ胸がざわつく。
理由はわからなかった。
ただ──いまののぞみはいつものあいつじゃない。
気のせいかもしれないけど、なんとなく、そんな気がした。
次回予告
駅弁売り場で、記憶と今がすれ違う。
澪の面影、器に残る想い、そしてるいの変化。
笑いの中で、のぞみの視線がふと揺れる。
選んだのは、弁当だけじゃない。
次回、「器と駅弁と、二つの視線」
ほんの少しだけ、誰かの心がほどけて、誰かの心が霞む──




