第15話:のぞみ、特別乗務員
駅のホームは、誰もいなかった。
のぞみは、ベンチの端に腰を下ろし、リュックを膝に抱えた。
風が吹いて、髪が頬にかかる。
その風は、少し冷たかった。
(ほんとに、乗れるかな)
不安が、じわじわと広がっていく。
お金は足りるだろうか。
駅員さんは怒らないだろうか。
ママは、病院にいてくれるだろうか。
のぞみは、リュックの中からお小遣い袋を取り出した。
手のひらに乗った硬貨が、カランと音を立てた。
その音が、やけに大きく響いた気がした。
(もし、乗れなかったら……)
そのとき、遠くからディーゼルの音が聞こえてきた。
キハ40系が、ゆっくりと近づいてくる。
車体は、少し古びたブルーとホワイトのツートン。
窓枠の金属が陽に照らされて、まぶしく光っていた。
のぞみは、ホームの端で立ち尽くした。
心臓が、ドクンと鳴った。
足が、少し震えた。
でも——
(乗る。ママに、会いに行く)
のぞみは、ゆっくりと一歩を踏み出した。
その一歩は、小さかったけれど、確かだった。
*
列車が止まり、ドアが開く。
のぞみは、詰所にいた駅員に近づいた。
制服の男性は、書類を整理していたが、のぞみの気配に気づいて顔を上げた。
「こんにちは。どこまで行くの?」
「……病院のある駅まで。ママが、そこにいるの」
のぞみは、お小遣い袋を差し出した。
手のひらに乗った硬貨が、カランと音を立てた。
「これで……足りますか?」
駅員は、硬貨を見て、そしてのぞみの顔を見た。
少し困ったように首を振った。
「うーん……ごめんね。ちょっと足りないかな。あと……君、ひとりで来たの?」
のぞみは、答えなかった。
ただ、唇を噛んで、うつむいた。
目の奥が、じんわりと熱くなっていた。
ママに会いたい。でも、どうしても届かない。
そのとき——
「どうしたんだい?」
背後から、優しい声がした。
振り返ると、制服姿の車掌さんが立っていた。
帽子の影から覗く目は、のぞみの不安をすぐに見抜いたようだった。
駅員が事情を説明すると、車掌さんは静かに頷いた。
「よし。じゃあ、特別に“乗車券なし”でご案内しようか。
コックピット、空いてるよ。乗ってみる?」
のぞみは、目を見開いた。
「……え、ほんとに?」
「うん。今日は君が“特別乗務員”だ」
*
キハ40系の運転席は、のぞみにとってまるで秘密基地のようだった。
銀色のレバー、丸いメーター、窓の向こうに広がる線路。
のぞみは、車掌さんの隣に座り、息を呑んだ。
列車がゆっくりと走り出す。
エンジンの振動が足元から伝わってくる。
田んぼの緑が流れ、遠くの山が近づいてくる。
川が見えた。錦川だった。
水面が陽に照らされて、キラキラと光っていた。
「この景色、好き?」
車掌さんが聞いた。
「……うん。なんか、映画みたい」
「そうだね。でも、これは“のぞみちゃんの映画”だよ。
君が乗ってるから、特別な景色になるんだ」
のぞみは、※車掌さんの手元を見た。
レバーを握る手。メーターの針。
そのすべてが、まるで魔法みたいに見えた。
「車掌さんって、すごいね。
いいなぁ、私も……いつか、電車を運転してみたい」
車掌さんは、少しだけ笑った。
「うん。きっとできるよ。
運転ってね、ただ前に進むだけじゃない。
止まることも、乗り換えることも、全部“運転”なんだ。
君は、ちゃんと“乗り継ぎ”できる子だよ」
のぞみは、胸の奥がじんわりと熱くなった。
涙が出そうだったけど、出なかった。
その代わり、笑った。
車窓の外では、夏の雲がゆっくりと流れていた。
線路は、まっすぐに続いていた。
でも、のぞみには、その先が少しだけ明るく見えた。
※
錦川清流線はワンマン運転で、
のぞみが車掌さんと呼んでいるおじさんは、運転士兼車掌という設定です。
次回予告
次回、「星ひとつ、乗車完了」。
のぞみは、気持ちを運ぶ旅の終点で、夢の始発を見つける。
夕暮れのホームに手を振る車掌さんの姿が、心の中でずっと走り続ける——。




