第14話:のぞみ、ひとり乗車券
祖父母の家の朝は、静かだった。
風鈴が鳴り、庭の水撒きの音が遠くで響いている。
のぞみは、縁側に座って、祖母が置いてくれた麦茶に手を伸ばした。
でも、飲まなかった。
(ママ、ほんとに帰ってくるのかな)
昨日の電話で「もうすぐ退院」と聞いたけれど、のぞみの胸はざわついていた。
“もうすぐ”が、どれくらいなのか分からない。
“ほんとに”が、どれくらい信じていいのか分からない。
祖母は「もうすぐよ」と言った。
祖父は「心配せんでええ」と言った。
でも、のぞみの心は、どこか空っぽだった。
(もし、ママが……帰ってこなかったら)
その考えが、頭の隅にこびりついて離れなかった。
のぞみは、祖母の財布の横に置いてあった自分のお小遣い袋を握りしめた。
中には、500円玉が2枚と、100円玉が3枚。
(これだけあれば……)
祖父母が昼寝を始めた頃、のぞみはそっと玄関を抜け出した。
麦茶のグラスが、縁側にぽつんと残っていた。
*
駅までの道は、ゆるやかな坂だった。
アスファルトの端には、夏草が伸びていて、のぞみの足に触れた。
蝉の声が遠くで鳴いている。
でも、のぞみの耳には、ほとんど届いていなかった。
(ママに会いたい。ちゃんと、目で見たい。声を聞きたい)
のぞみは、リュックの紐をぎゅっと握りしめた。
歩くたびに、靴の中で汗がにじんでいく。
でも、止まらなかった。
駅が見えてきた。
田んぼの中にぽつんとある、小さな無人駅。
ホームの屋根は少し錆びていて、ベンチの木目が日に焼けていた。
のぞみは、ホームの端に立った。
風が吹いて、髪が頬にかかる。
その風は、少し冷たかった。
(ほんとに、乗れるかな)
不安が、じわじわと広がっていく。
お金は足りるだろうか。
駅員さんは怒らないだろうか。
ママは、病院にいてくれるだろうか。
のぞみは、リュックの中からお小遣い袋を取り出した。
手のひらに乗った硬貨が、カランと音を立てた。
その音が、やけに大きく響いた気がした。
(もし、乗れなかったら……)
そのとき、遠くからディーゼルの音が聞こえてきた。
キハ40系が、ゆっくりと近づいてくる。
車体は、少し古びたブルーとホワイトのツートン。
窓枠の金属が陽に照らされて、まぶしく光っていた。
のぞみは、ホームの端で立ち尽くした。
心臓が、ドクンと鳴った。
足が、少し震えた。
でも——
(乗る。ママに、会いに行く)
のぞみは、ゆっくりと一歩を踏み出した。
その一歩は、小さかったけれど、確かだった。
次回予告
次回、「のぞみ、特別乗務員」。
乗車券よりも大切なものを胸に、のぞみはコックピットから初めての景色を見る。
その線路の先に、夢と“乗り継ぎ案内”が静かに走り出す——。




