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刺青の聖女と契約の王子  作者: じょーもん
第5章

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56 選ばれた嘘

「ちょうど、僕も話がしたいと思っていたところだった。」


 セレノア宮を訪れたレオナルトとリリスを執務室へ通しながら、エリオットが言った。


「それは好都合だ。こちらでも、王都周辺の哨戒にあたっている第五・第六騎士団から報告が届いている。

 オルディウスの言葉が、どうやら嘘ではなかったようだ……」


 レオナルトは手にした書簡を卓上に置き、ため息交じりに続ける。


「魔物の動きが例年よりも活発でな。周辺の村からの応援要請は、昨年比で三割増し……誤差の範囲とは言い難い数字だ。」


「……三割か。確かに、統計的にも異常だね。」


「それだけではない。冒険者ギルドによれば、いくつかのダンジョンでスタンピードの兆候が確認されている。

 ベテラン冒険者たちが揃って警鐘を鳴らしているんだ。」


「……」


「当該領地の領主には警戒を強化するよう通達した。必要に応じて、辺境警備の騎士団を優先的に派遣できるよう、手配も済ませてある。」


「女神の弱体化の影響……かもしれないね。」


 レオナルトがソファに腰を下ろすのを見て、エリオットも執務机からアナスタシアの手帳と、図形や表で埋められた数枚の紙を手に取り、ファナと共に向かいの席に座った。


「……エリオット。対応策は、見つかったか?」


 声は平静を装っていたが、その視線には、深く切実な問いが刻まれていた。

 王都を守る責任を背負う男の――それでも、弟を信じたいという眼差しだった。


「……ああ。見つけたよ。見つけた、けど……」


 エリオットは手を組み、顔を伏せる。その口調は重く、言葉が喉の奥で詰まる。


 ――ファナとは、レオナルトの来訪が知らされた後も、昨晩遅くまで話し合った。

 これ以上の選択肢はないこと。

 自分もファナも議論し尽くし、最善の策だと納得したこと。

 それでも――


 それでも、エリオットにとっては、受け入れがたい案であることに変わりはなかった。


「エル……」


 そっと、ファナがエリオットの背に手を当てる。心配そうな眼差しを向けながら。


「私は、あの案で納得しています。ですから、ね?」


 ファナは、晴れやかな微笑みで彼を励ました。


「ファナ……わかってる。でも……それでも……

 これを選ぶのは、正直、とても苦しい。」


 よく見れば、エリオットの目は赤く充血していた。

 泣きはらしたのだとわかっても、レオナルトもリリスも、何も言わず、ただ静かに続きを待った。


「……ファナを、真の女神にする」


 ようやく搾り出された一言に、二人は小さく息を呑み、言葉を失う。

 その場でただ一人、ファナだけが、変わらぬ微笑をたたえていた。


「真の……女神……とは……?」


 レオナルトの問いに、エリオットは俯いたまま、静かに答える。


「文字通りだよ。現女神――アレヴィシアに成り代わって、新たな女神になる。

 でも、彼女と違って、封印の贄で制御する必要も、神喰の贄で魔力を還元させる必要もない。

 王子による聖女召喚は、国事としては残さなきゃならないだろうけど……

 少なくとも、王子が死ぬ“呪い”は発動しなくなる。

 ……恋の暗示は……うん、あってもいいかも。少しは親切かもしれないし。」


 冗談めかして笑ったが、無理をしているのは明らかだった。


「……そんなこと、可能なんですか?」


 リリスが青ざめた顔で、かすかに震える声を絞り出す。


「ああ。可能だよ。それだけは、自信を持って言える」


 エリオットは静かに答え、少し間を置いて続けた。


「……もし失敗しても、ファナは“従来の女神”として、アレヴィシアと交代するだけだ。

 その場合でも、彼女は――贄を受け入れる覚悟がある」


 エリオットの言葉に、ファナは静かにうなずいた。

 対照的に、リリスの顔からは血の気が引き、凍りついたように動けなくなっていた。


「どう転んでも、人類は救われるさ……」


 その声には皮肉も安堵もなかった。

 ただ、感情の抜けた空虚な響きだけが残った。


 ――ファナ様は、それでいいの?


 リリスは、出かかったその問いを、どうにか飲み込んだ。


 良いわけがない。そんなの、聞かれなくたって誰にだってわかる。

 けれど――同年代の、異世界から来たこの少女は、

 この世界のために、自らのすべてを投げ出そうとしている。


 それは、彼女にしかできないこと。

 そして、リリスには、決して代われないことだった。


 だからこそ。

 彼女に、「それでいいの?」などと問う資格は――もう、なかったのだ。


「勝算はある、と言っているが、女神の居場所は分かっているのか?

 それとも、近づかずに遠隔での交代が可能なのか?」


 レオナルトが場を仕切り直すように問いかけると、エリオットは静かに顔を上げた。


「――いや。

 交代には、どうしても現女神の本体と直接接触する必要がある。

 場合によっては、戦闘になる可能性もある。」


 エリオットは一枚の地図を示しながら続けた。


「女神がいるのは、『原初の森』の最奥にある『女神の祭殿』。

 かつてのエルフ王国の王城であり、アレヴィシアの玉座だ。」


 更に彼はアナスタシアの手帳の図を見やすく写し取ったものを示す。


「遺跡で得られた情報と、アナスタシアの手帳を照合すると、『女神の祭殿』は二層構造になっていることがわかった。

 上層には、封印の贄――つまり人柱となった聖女が接続され、そこから精製された魔力が王侯貴族の術環へと送られている。

 そして下層。そこに、女神の本体が鎮座している。」


 ファナが静かに頷く。エリオットは言葉を選びながら続けた。


「かつて、アナスタシアが訪れていたのは上層で、構造も記録に残っている。

 だから、正規ルートからの進入は可能だと思う。


 ただし、下層は――未知の領域だ。

 だが、座標そのものは、手帳の解析から割り出せている。

 万一、下層への進入が阻まれた場合は、その座標を基点に、転移術で直接狙うことになるだろう。」


 エリオットが示した図面に、レオナルトは息をするのも忘れて見入っていた。


「……ただ、ひとつ、重要なことがある。」


 エリオットの声が、わずかに低くなる。


「封印の贄――術環と接続された聖女を解除しないまま、

 女神本体に手を加えれば……その断末魔が術式を通じて、王侯貴族に波及する危険がある。

 最悪の場合、貴族層に壊滅的な被害が及ぶ。」


「だから、レオナルト――

 君たちには、上層の制御装置の停止と、贄との接続遮断を任せたい。」


 レオナルトはしばし無言で地図を見つめていたが、やがて深く頷いた。


「……わかった。上層は俺たちに任せてくれ。

 この感じだと、女神の御力は一時的とはいえ、大きく揺らぐだろうな。


 王国全土の騎士団にも通達を出しておく。

 第一から第四騎士団は王都地下の遺跡警備、第五・第六は王都周辺の哨戒。

 辺境警備団には、ダンジョンの監視強化を命じよう。」


 地図を見下ろしていたレオナルトが、目を伏せたまま静かに言った。


「……つまり、お前は――神殺しをしようというのだな」


 静かだが重いその声に、部屋の空気がわずかに張り詰める。

 誰も何も言わない中、エリオットは目を閉じて、短く頷いた。


「だが、どうする?

『女神の祭殿』は、最高神官のみが立ち入ることを許された聖域だ。

 王太子の俺でさえ、陛下とセラフィオスの許可なくしては、兵を動かせない。」


 そこで一拍置き、視線をエリオットに向ける。


「かといって――

『女神を殺し、自分の聖女を神に据える』などと正直に言って、通るはずがない。

 ……どうするつもりだ?」


「……陛下には、リゼリヤーナを発見し、救出に向かうと進言してほしい。」


 エリオットは地図から目を離し、レオナルトに視線を向けた。


「僕たちは――何も知らない、正義感に駆られた王子を演じるんだ。

 目的は、聖女の奪還。それだけ。

 実際、あの場に封印の贄として捕らえられているのは、リゼリヤーナなんだから。」


 エリオットの視線は、すでに覚悟を決めた者のそれだった。

 強い意志と気迫に満ちたその眼差しに、レオナルトはわずかに気圧される。

 だがすぐに、不敵に笑って返した。


「――任せとけ。」


「ありがとう。セラフィオスには、僕から進言しておくよ。

 彼には貸しがあるし……こういう時に使わない手はないだろ?」


 作戦は整った。

 あとは――それぞれの役を、最後まで演じきるだけだった。


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