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54 八百年の罪と希望

 魔法の明かりを頼りに、四人は来た道を引き返す。

 やがて壁画の広間に戻ると、そこは先ほどとは一変していた。


 壁画の文字が、全て先ほどとは違う。禍々しい赤い偏光で浮かび上がった。

 晩餐会で、地下研究所で、ファナを襲った、あの赤い魔力の光だった。


「こ……これは、いったい……」


 あたりを見回しながら、ファナが不安気に、エリオットに寄り添った。

 レオナルトとリリスも、不穏な空気に警戒を強める。


 部屋の反対側、入口の暗がりからカツカツと靴音を鳴らして、黒衣の男が歩いてくる。

 瞬時に、その気配が尋常でないと悟ったファナは、白く輝く蝶を室内に放ち臨戦態勢に入る。エリオットも相手を拒むように右手を突き出し、レオナルトとリリスもいつでも魔術が放てるように手を構える。


「おやおや、性欲に忠実な駄犬だと思っていたが……案外優秀だったようだな……」


 バカにしたような、皮肉たっぷりな声――、エリオットもファナも、すぐにそれとわかった。


「貴様は……ネリファス?いや、オルディウス・フィレウス!!」


「おや、もう正体が知れてしまったか。さては、あのおしゃべり女と話したな……数百年経ったというのに、まだあの場にしがみついているとは忌々しい。」


 言いながら、オルディウスは楽し気に唇の端を吊り上げる。


「しかし、あの状態になったシャズリナと話が出来るとは……貴様の聖女は、実にすばらしい。

 精霊魔法に適合しているばかりか、元から持っている魔力も女神と比べて遜色ない。

 何をしたか知らないが、以前地下研究室で調べさせてもらった時よりも強度がさらに増して、自由に操れるようになっている……」


 そう言って、オルディウスは手を伸ばし、自分の近くを飛んでいた白い蝶を捕らえると、握りつぶした。

 蝶は粉々に砕けて、光の粒が舞う。


「なっ」


「おや、私がこいつを握りつぶせたのが意外だったかね?私は魔物ではないからな……」


 ファナが声を上げると、オルディウスが嬉し気に手を開き、砕け散った光の粒を中空へと放った。


「魔力量も、質も、申し分ない。この質の魔力ならば、なるほど、あの女のいる部屋まで到達できたわけだ……、しかもそれに必要な術式の解読と詠唱の行使も成功している。今代の天才の異名は伊達ではなかったな……」


「用件を言え、返答によっては王太子の名において始末してやろう。」


 レオナルトが言って、威嚇のために風の刃をオルディウスのすぐわきに放った。

 彼の長い黒髪が舞い上がり、その間から無残にちぎられたエルフの耳の古傷が露わになる。


「吠えるな、王太子。貴様にも悪い話ではない……」


 オルディウスはなおも余裕の笑みを浮かべて、一歩進み出る。


「エリオット・ヴァルトリア……貴様なら、この部屋に浮かび上がっている構文の意味が、分かるな?」


 突然名指しされたエリオットは少し驚いたが、警戒を怠らないまま、壁に新たに浮かび上がっている術式を見つめ、ひと文字ずつ脳内で構文をなぞる。

 右壁面から、左壁面へ、そして、自分の背後の正面の壁面へ。目を這わせて、理解する度に、信じられないと、表情が驚愕に染められていった。


「これは……女神の安定化と、封印の贄による制御法……神喰の贄の下準備に関する術式まで含まれている……それから聖女召喚の儀に、契約の儀、魔力の運用……

 ヴァルトリア朝始まって以来の、聖女と女神に関するすべての構文!」


「そうだ。800年余り前、ガルナシオン朝の馬鹿どもに捕らえられ、魔力を汲み出す……そう、まるで魔力炉となったエルフ女王アレヴィシアを、途切れることなく800年間、安定的に運用するために、私が開発したすべての術式が、今この壁面に現わされている。

 貴様にならわかるだろう?この素晴らしさが。

 数十年に一度、封印の贄を取り換え、神喰の贄を与えてやれば、貴様らリューセイオン王国は、未来永劫栄えることが約束されていたのだ。」


 オルディウスが熱弁をふるいながら、もう一歩近づく。


 レオナルトは自分の背後にリリスをかばい、エリオットも自分の後ろにファナをかばう。


「40年ほど前、忌々しい出来損ないの聖女――アナスタシアが余計なことをしなければ、

 アレヴィシアは本来の――未来永劫に近い寿命――その時が尽きるまで、このシステムも稼働し続けていた。

 しかし、あの女のおかげで、女神の寿命はあと数年……いや、数カ月やもしれん。

 先日、高慢ちきな公爵の娘をエサにくれてやったが――大して足しにはならんかった……」


「女神の寿命が尽きたら、どうなる?」


 レオナルトが問いかける。

 オルディウスは待ってましたとばかりに不敵な笑みを浮かべて答えた。


「まず、女神の構文が刻まれている、貴様ら王侯貴族が、魔力暴走や魔力枯渇での不審死や突然死が相次ぐだろうな……

 それから、戦力を失ったリューセイオン王国自体が、他国の侵略に遭い、民も大勢死ぬだろう。

 そして、何より、アレヴィシアが塞いでいた魔境の裂け目が野放しになる。八百年前から多少は改善されているとはいえ、まだまだ魔物に堕ちたままの精霊は多い……そいつらが、人間界にあふれ出し――この大陸は、魔物の大陸と化す。やがてこの世界全てに波及し――人類という種が、根絶やしになるだろう。」


「そ……ん、な……」


 レオナルトの顔から、表情が抜け落ちた。


「しかし……エリオット、貴様がその聖女を差し出せば、このシステムは十分持ち直すことができる。

 レオナルト、エリオット、賢いお前たちならわかるだろう?そして、お前たちの先祖……初代国王フィルディアス=カエリオス・ヴァルトリアが下した決断の重さも、意味も、理解できるだろう。」


「……」


 まるで空気が凍り付いたようだった。

 二人の王子は、目を見開いたまま、黙り込んでしまう。

 オルディウスの言葉は、初代国王が、国の……いや、この世界の人類とその未来のすべてと引き換えに、自分の子孫とその配偶者である聖女を生贄にするという決断をした、という事を物語っていた。


 そして今、レオナルトとエリオットにもその決断が迫られている。


「選べ、レオナルト。滅亡か、自分の子孫に僅かな犠牲を払わせるか。

 選べ、エリオット。破滅か、私の弟子となり、女神の座を支配し続ける者となるか。

 さぁっ!!」


 二人の王子の身体が、わずかに震えた。


 二人の決断に、その両肩にのしかかっているのは、この世界の未来、人類の存続、八百年の罪と、八百年の希望……

 その重さに、恐れおののかないわけがなかった。


 静寂が支配した場で、エリオットの後ろにいたファナは一度目を閉じて、この世界に来る前の事、来てからの事、楽しかったこと、うれしかったこと――様々なことを思い出した。それはまるで、胸の奥から、あたたかな記憶が、ひとつひとつ浮かび上がってくるようだった。


 ――私は、幸せだった。この世界に来れて、本当に良かった。だから……


 それから、諦めたように笑うと、目を開き、一歩踏み出して何かを言おうと口を開きかける。


 それに気が付いたリリスが、慌ててファナの手を引いて阻止した。


「ダメっ!騙されちゃダメ!あんな奴の言ってることなんて、耳を貸しちゃダメよ!

 もし本当だったとしても……これから先ずっと、あなたが犠牲になり続けるの?

 そんなの、おかしいよ。

 何も知らないまま捧げられる聖女たちや、悲しみに沈んだまま終わる王子を――また生み出すつもり?

 そんなのが正しいって、私は思えないっっ!」


 リリスは言うと、レオナルトの前に飛び出して、


「《エアロ・ブレイド》」


 大声で詠唱して、令嬢として洗練も装飾もされていない、攻撃魔法をオルディウスに向かって打ち込んだ。


「愚かな……」


 オルディウスは涼しい顔で風の刃をいなすと、彼女に向かって同じ技を無詠唱で打ち返してくる。

 それはまるで格の違いを見せつけるようで、リリスは覚悟を決めて目をつぶるが――


 レオナルトが彼女の前に、無詠唱で風の壁を作って防いだ。


「オルディウス、あんたの著書は読ませてもらったけど……僕はあんたの弟子になるのは、お断りだ。

 ファナを生贄に差し出すつもりもない。悪いけど、交渉決裂だよ。」


 エリオットがそう言うと、右手から繰り出された氷の刃が空気を凍てつかせ、左手からは黒曜の蔓が地面を割って伸び、オルディウスの足元を絡め取ろうとする。


「王太子としては、失格かもしれんが……弟の大事な聖女や、まだ見ぬ子孫たちに、八百年の鎖を巻きつける……そんな王位に、価値はない……それも本心だ。」


 レオナルトも炎の魔術で攻撃を加える。それをリリスが援護し、

 ファナは後方から手を掲げ、澄んだ声で詠唱した。


「《光の子よ、猛き子らを鼓舞せよ その御盾で守り給え!》」


 詠唱とともに、ファナの足元に淡い金色の紋章が浮かび上がる。

 魔力が空気を震わせ、広がる光が仲間たちを包み込んだ。

 聖女の加護が、彼らの魔術を支え、肉体の限界さえも越えさせる。


 オルディウスが舌打ちした。


 エリオットの氷刃を身をひるがえしてかわし、

 レオナルトとリリスの魔法を片手で切り払うと、視線をファナに向ける。

 そして、音もなく一歩――いや、一線を踏み越えた。


 その動きは荒々しさではなく、研ぎ澄まされた静謐。

 最短距離で、最も脆弱な支援者へ。

 狙いすました刃のような動き。


 おそらく、彼はファナを――奪取するつもりだった。


「させるかっ!」

 鋭い声が飛び、誰かが身を投げた。


 オルディウスの懐に、風のように潜り込んだのは――エリオットだった。


 彼の右手には、かつてファナから贈られた黒曜石の短剣。

 その刃に纏わせた魔力が、ひときわ強く脈打ち、蒼白の光を帯びる。


「……っ!」


 その一瞬、オルディウスの表情がかすかに歪む。


 エリオットの動きに迷いはなかった。

 黒曜の刃は、正確に、彼の脇腹に突き立てられていた。


「オルディウス、ここまでだっ!」


 エリオットは言って、刃を引き抜くと、今度はとどめを刺そうと振りかぶる。


「愚か者どもめ!私の死はそのまま女神の死に直結しているぞ!!」


 叫んだオルディウスの気迫に押されて、エリオットは一瞬躊躇った。

 その隙を逃すオルディウスではない。


 素早く後退すると、オルディウスは脇腹を押さえる手に魔力を集中させ、淡い赤光が傷口を覆っていく。

 その顔に、初めて痛みと焦りの色がにじんだ。


「まあいい。せいぜい足掻くがいい。

 どうせ貴様らには、滅亡を選ぶ覚悟などできはしない。

 最後には、這いつくばって私に命乞いをすることになるのだ。」


 オルディウスは片手を振ると、魔力の揺らぎが空間をねじ曲げる。

 風が巻き、光が歪み――次の瞬間には、その姿は戦場から掻き消えていた。

 壁面の模様からも、赤い光が消え、広間は元の静寂を取り戻していった。



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