第6話「前夜の宴」
牛のゲップには地球温暖化の原因となるガスが含まれているらしい。牛の屠殺が減ってその個体数が増えれば、効果があるかもしれない。人類の皆さん、地球温暖化促進のためにヴィーガンになりましょう。
蒼太の部屋へと足を踏み入れた。部屋の中からはガヤガヤと聞き覚えのある声が聞こえてくる。それを聞く限りではどうやら女子はいないようだ。そもそも女子とは住む場所が分けられているから、来るはずは無いが。
それにしても蒼太のやつ、とうとう多人数でやるのか。……まあ、確かに何人かで一緒にやったら、それなりに楽しいかもしれないけど。
「よぉ! 連れてきたぞ〜」
部屋に入ると、そこには龍一と修也がいた。部屋に入って来た俺たちを見ると、二人は手を叩いて喜びの声を上げた。その様子が動物園の猿のようで笑えてきた。
「遅いぞ〜、イチ」
「ああ、ごめんごめん」
イチ、というのは俺のあだ名だ。由来は俺の名前が数字の「一」だからだ。読みは「はじめ」なのだが、皆これをそのまま「イチ」と呼んでくる。小学生の時なんかは散々からかわれて嫌な思いをした。今はだいぶ慣れたとはいえ、それでもちょっと嫌だ。犬みたいだし。しかも、最近はあだ名で呼ばなくなったのに、今日に限って一体なんなんだ。
「ほらほら、イチ、座って座って!」
「龍一、イチにはこう言うんだぞ!『おすわり』ってな」
「あ、そっか。イチ、おすわり!」
だから犬じゃないってのに。ていうか、傍から見たら完全にいじめだろ。
酷いわ、寄ってたかって二人で私をいじめるのね! なんて泣き寝入りをするつもりはない。やられてばかりなのも癪なので、反撃に転じるか。
「次"イチ"って言ったらただじゃ置かねぇからな」
「暴力反対! 猛犬注意!」
「問題! 犬の鳴き声は?」
「何だよそれ、『ワン』に決まって……クソ!」
華麗な連携で見事に反撃を食らってしまった。そんな様子を修也はヘラヘラと笑いながら見ていた。蒼太と龍一の二人は後で徹底的にシバく。
二人から歓迎の洗礼を受けた俺はテーブルに視線を移した。パーティーかのごとくご馳走が並んでいる。誰かの誕生日ってわけじゃなさそうだし、今日は何があるんだ?
とりあえず、料理に手をつけるのも席に着くのも、これが何の宴なのか分かってからにしておこう。蒼太や龍一は確実に俺のこと馬鹿にするだろうから、比較的マシな修也に聞くことにした。
「……あのさ、ちょっと聞きたいんだけど」
「ん? 別にいいけど」
「これって何の集まりなの?」
「何の、って……とぼけてるのか?」
いや、とぼけてる訳じゃないしさっぱり分からん。もしや何かのドッキリなのか? そういえば、春輝の姿が無い。このメンバーなら、いてもおかしくないはずなんだが……。
その時、部屋の扉が開く音がした。
「お、主役が来たか」
主役? やっぱり誕生日会? 俺がここにいるのって本当に合ってる? ……ココにいても、いいの?
頭の中が疑問符だらけになっている俺の前に「主役」がやって来た。
「あ、皆いる〜」
よく知っている声とともに、一際小柄な影が現れた。頭にはパーティー用の三角の帽子が乗っかっている。やっぱり誕生日なの?
「やっほー、春輝」
龍一が差し出した手のひらに、春輝はハイタッチを返すと、俺の隣にちょこんと座った。それに続いて、蒼太たちも席についた。
始まる前にちゃんと確認しておこうと、失礼ながら「主役」に小声で尋ねた。
「春輝くんって、今日誕生日だっけ?」
「違うよ。でも、もうすぐかな」
何か妙な言い方だな。すると、蒼太が話に割り込んできた。
「春輝は明後日だもんな。だから、こうして送別会をしているわけだけど」
「うん、僕、すごい嬉しいよ。ありがとう」
送別会……。俺は一週間前のことを思い出した。あの時、俺は嘘をついて一人で帰った。多分、俺がいなくなった後にこの送別会のことが決まったんだ。一方で俺は、別れという事実から目を背けて毎日を過ごしていた。いつか来るであろう「その日」が今この瞬間、すぐそばまで近づいていることに気づいてしまった。
春輝は十歳の小学生。いや、十歳の小学生だった。俺たちよりずっと幼いのにこの世界に来てしまった少年。俺たちより先に来たから、年は下でも学校では俺たちの先輩になる。とはいえ、春輝はそういう上下関係はあまり気にしない子だった。多分、甘えられる存在が欲しかったんだと思う。俺たちからしても弟みたいな感じだった。
俺は「その日」が来ることを拒んでいた。別れから自分勝手に目を逸らしてしまった。「その日」は大好きな春輝にとって、大切な日でもあるというのに。
一緒にいられる時間があるうちに春輝と何か話そうと思ったが、この会のことを忘れていた――というより知らなかった――ということへの申し訳なさと、話したら余計に悲しくなってしまいそうに思えたせいで、何も言えなかった。生前から、俺は「お別れ」をするのが得意じゃない。
俺が黙々と料理を口に運ぶ間に、話題は春輝の来世のことに移った。
「そういえば、春輝、来世はどんな家の子だって?」
「分かんないよ、まだ」
「でも、ぜってぇ金持ちの家だぜ。春輝いい子だもんな。そんで、親も美人で――」
「そんなことないよ。あんまり覚えてないけど、僕、お母さんに何回も怒られたことあるもん。それに、親より先に死ぬ子供なんて―――」
蒼太たちが盛り上がっていくのを春輝が遮った。謙遜しているのか、自罰的なのか。どちらにしても春輝らしい答えだった。だが、その言葉を蒼太がさらに遮った。
「いやいや、子供が良い人になってほしいから親は叱るんだよ。それに、親からしたら、死んだ後も思っててくれるなんていい子どもだろ」
「お、蒼太、良いこと言うねぇ!」
蒼太達のやり取りを見た春輝の顔に笑顔が戻った。それも束の間、春輝は眉を下げ、心配そうな表情で俺の顔をのぞきこんだ。俺は春輝の視線から逃げるように目を逸らした。
「はじめくん、大丈夫? ずっと喋ってくれないし……」
春輝は優しい。こんな薄情で自分勝手な俺のことを心配してくれている。生きていたら友達もたくさんいて、女の子からもモテていたに違いない。それなのに、どうして死ななくちゃいけなかったんだろう。春輝はこんなに小さくて、優しくて、良い奴なのに。
俺は涙を堪えながら、自分に言い聞かせる。これは春輝とのお別れの会じゃない。春輝がもう一度誕生するのを祝う会なんだ、と。
それじゃあ――祝う時はどんな顔をすればいい。
俺は顔を拭って、捻り出した笑顔を向けた。
「大丈夫だよ。何でもない。その……料理がすごく美味かったから……つい夢中になっちゃって」
震えた声で俺は答えた。この状況で料理に夢中ってそれはそれでどうなんだ。我ながら下手な嘘だが、春輝は笑顔を返してくれた。こんな下手な嘘、バレてるだろうな。そう思ったとき、そこへ蒼太の声が飛んできた。
「俺の腕もなかなかのモンだろ? イチは本当に食いしん坊だからなァ。……あ! 俺はまだ『よし』って言ってないのに食いやがって! このバカ犬〜!」
「黙れ、飼い主の躾が悪いからだろうが! ……って、犬じゃねえっつーの!」
俺は髪をわしゃわしゃと撫でられた。蒼太が馬鹿で助かった。悲しい気持ちも一瞬で吹き飛んでしまった。まさか、コイツも……いや、コイツに限っては無いな。絶対に無い。
と、俺の注意が蒼太へ逸れたところで、優翔が春輝に何か耳打ちしていた。俺は蒼太を振り払い、急いで修也を止めにかかる。
「春輝、こいつ酷いんだぜ。こいつな、今日のことわすれ――むぐっ」
「お前黙れ。マジで黙れ」
余計な事を話そうとした修也の口に手羽元をねじこんでやった。
「ホラ、オイシイダロウ。修也クン」
「ふぁゐ……」
笑ったらさっきまでの暗い感情も吹き飛んでしまったみたいだ。気持ちも少し落ち着いたし、話をしよう。
「春輝くんは、生まれ変わったら何したい?」
「……お父さんやお母さん、皆に会いたい」
春輝は暗い口調で答えた。その願いが叶わないことであると分かっているからだ。その理由は大きく二つ。時間と記憶だ。
死から転生の間の日数は49日。だが、この世界と現世では時の経ち方が大きく異なっている。それは「一秒」の長さの差にある。体感での長さは同じなのだが、ここで流れている世界本来の一秒は人間が定めた一秒よりも長い。この世界で一日が経つころには、現世では何十日も過ぎてしまっているし、転生して自我が芽生えるまでには更に数年が経過している。
そしてもう一つ、魂に宿った記憶は例外なく取り除かれてしまうこと。稀に記憶が残ったまま転生することもあるらしいが、それも産まれるまでにはほとんど消え、どんなに遅くとも言葉を話せるようになる頃には消えてしまう。つまり、来世で再会できたとしても、それが前世の家族とは分からないし、そもそも「会いたい」という願いがあったことすら消えてしまうのだ。
自分が愛した者、自分を愛してくれた者との永遠の別れ。それが、死。
「春輝くんが出会った人達も、きっとそう思ってるよ。また会いたいってね。たとえそれが叶わない願いだとしても。だから悲しいんだよ、死ぬのってさ」
「うん……」
「生まれ変わったら、今度は長生きしろよ?」
つづく