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蚊としての人生  作者: 内田らいす
序章:戻らない時間
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第7話「別れと約束」

「牛のあいきによる地球温暖化促進計画」の一環として、牛肉を食べようとしたり牛を殺そうとした者は処刑することにした。白昼堂々の公開処刑を幾度か行った結果、日本国内においては牛肉が店頭に並ぶことはなくなった。

 俺の死から39日後――。


 目を覚ましたベッドの上。時計は午前五時半くらいを指している。いつかのあの日から、俺は早く起きることが習慣となっていた。はじめの頃は皆褒めてくれた。それが嬉しかった。だから次の日も、その次の日も早起きをした。けれど、いつしかそれが誰にとっても当たり前となり、日常になった。もう誰も俺を褒めてはくれない。それでも俺は早起きして「学校」に行っていた。多分、考えないようにしていても心のどこかでは気になっていたんだと思う。春輝との別れまでの時間を。


 昨日のパーティームードから一転、俺の心は虚しさでいっぱいだった。明日、四十九日を迎えて春輝は転生する。今日は一日かけて最後の処置が行われ、春輝の魂からこの世界での記憶も含めて全てが消え去る。だから、まともに春輝と話せるのは昨日が最後だった。だけど俺は少ししか話せなかった。ありがとうとも、おめでとうとも、さよならとも言えなかった。このまま何も言えずに終わりにはしたくない。そう思った。

 さっそく俺は行動に出ることにした。最低限の身支度をして部屋を出る。目指すは春輝の部屋。春輝が「そこ」へ行くまでにどれだけの時間があるかは分からないがし、その時が訪れれば春輝の記憶は全て消える。それでも、残された時間がまだ少しでもあるのなら伝えたい。昨日の俺が言ってやれなかったことを。

 まだ眠っているであろう他部屋の人達を起こしてしまわないように慎重に廊下を進む。階段を上り、さらに先へ進む。そしてたどり着いた、春輝の部屋。チャイムはないので、軽く扉を叩く。果たして――鍵が開き、春輝が顔を出した。


「はい……もう時間ですか。――!」


 硬い表情で出迎えた春輝だったが、やってきたのが俺だと気づくと、ぱっと明るい表情になった。そのまま嬉しそうに俺に抱きついてきた。


「はじめ君? 来てくれたの? でも何で――」

「もう会えなくなるって思ったら、春輝君の顔を見たくなって……それと、おめでとう」

「ありがとう」


 ちゃんと伝えられた。名残惜しいけど、迎えの人たちが来る前にとっとと戻った方が良いか。そう思った俺は、それじゃあ、とだけ声をかけて部屋に戻ろうとした。それを春輝の声が引き止めた。


「もう少し、一緒に話さない?」


 俺と話すこと、この世界で出会ってからいつものようにやってきたこと。これが春輝の最後の願いになるんだ。それなら、応えてやるしかないじゃないか。最後までいつも通りでいさせてやるんだ。


「いいよ、どんなこと話したい?」

「ぼくのこと話してもいい?」

「好きなだけ話しな」


 思い返してみると、いつも俺が話したいことを話して、それに春輝が乗ってくれることが多くて、春輝の話というのは少なかった。そのことに申し訳なさを感じながら春輝の話に耳を傾けた。


「昨日、蒼太君が僕のこと『良い子』って言ってくれたけど、生きてたころのぼくは、本当にそうだったのかな……」


 春輝が話し始めたのは自分の家族の事だった。両親は仕事ばかりで家では一人だったこと、学校でも友達が少なかったこと、寂しかったこと、苦しかったこと、そんな日々でも楽しいことがあったこと。「学校」で少なくない数の記憶を消去されているはずなのに、春輝はこういった話をしてくれた。きっと記憶は消えたとしても、心に深く残っていることなんだろう。そう思った。


「死んだ後も一人なんじゃないかって思ってたけど、はじめ君たちが友達になってくれた。お兄ちゃんができたみたいで嬉しかった。だから、ありがとう」


 俺は無言のまま春輝の頭を撫でた。多分、何か言葉を並べるよりもこっちの方が良いと思うから。

 並べる言葉が見つからなかったことと照れ隠しの意味もあるけど。

 沈黙の中、時だけが過ぎていく。何か話したいが、どんなことを話せばいいかよく分からない。それでも良かった。こうして一緒に並んでなんの変哲もない風景を眺める。この時間が心地よかった。


「あ、そうだ!」


 何かを思いついたような様子で春輝は部屋の中へ戻っていってしまった。俺はといえば、突然のことすぎてどんな反応をすればいいのか、というか状況が読めなくて固まってしまった。しかし、一分もしないうちに春輝は再び戻ってきた。


「これ、あげるよ」


 そう言って春輝が手渡したのは、一冊の本だった。それは朝の「学校」でいつも春輝が読んでいたものだった。この世界に娯楽は無い。それは本だって例外じゃない。つまりこれは――。


「その本って、春輝の――」

「お母さんが買ってくれたものだよ。ぼくの大切なもの!」


 この本は春輝の副葬品の一つ。

 この世界には、家族が棺に入れてくれた物の中で特に大切なものやお互いの思いのこもった物を一つだけ持ってくることができる。さらに、それはこの世界に存在しない娯楽であっても許されているのだ。

 ちなみに、俺の場合はあのぬいぐるみ「まろくん」がこれにあたる。


「大切なものなんじゃないのか? それに、俺はあんまり本読むの得意じゃないし……」

「それじゃあ、これが『最後の願い』なら受け取ってくれる?」

「……分かったよ」


 俺は本を受け取った。表紙には破れたところも汚れも見当たらない。それだけでも春輝がこの本を大切にしていたことが分かる。


「頑張って読むよ」


 そう答えた時、足音が近づいてきた。階段を登ってやってきたのは、白い服に身を包んだ人だった。


「狩凪 春輝様、お迎えに参りました」


 ついに時間になってしまった。春輝は残念そうに、けれど満足そうに微笑んだ。


「お別れだね」

「ああ……」

「本当にありがとう。さようなら」


 それだけ言い残して、春輝は白服の後ろについて歩いていった。これで本当に最後。もう二度と会えない。そう考えた途端、俺は無意識に春輝の後を追っていた。

 屋外の広場に出ると、白服が春輝を神の部屋へ送ろうとしていた。春輝の姿ももう見えなくなってきている。その背中へ、俺は叫んだ。


「春輝!」


 春輝がこちらに振り向いた。


「俺、生まれ変わったら絶対会いに行くから! 死んだりするんじゃねぇぞ!」

「うん! 僕、生きるよ! 何があってもね!」


 大きく腕を振ると、春輝も同じように手を振って応えてくれた。その顔は笑っている。無邪気で希望に溢れた笑顔だった。


「またね!」


 次の瞬間、春輝の姿は光となって消えた。神の部屋に送られたのだ。新たな肉体を得て生まれ変わるために。

 これからの数日に春輝はいない。寂しくなるだろうけど、多分大丈夫だと思う。友達や、春輝が残してくれた本が、それを埋めてくれるだろうから。それに、いつかきっとまた会えるから。

 でも、生まれ変わった後の約束を果たすより前にやることがある。今日も「学校」へ行かなくちゃ。

 俺は新しい今日への一歩を踏み出した。

つづく

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